Koto

ぽんこつ人間の備忘録✎*。

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オトナなんて大嫌い

乳児院、児童養護施設、 自立援助ホームと 19年間社会的養護下で育った。 「好きだよ」「愛してるよ」 そう言ってくれた職員は 次々と辞めていった。 27歳になった今 彼、彼女らが辞めていった理由は 山ほどあるのだと分かる。 労働環境、結婚、出産、 1人の人間としてのターニングポイント。 でも当時のわたしには 「また居なくなるのか」「信じない」 という感情しかなかった。 期待して裏切られるのなら 「いつかは居なくなる、離れていく」 と思ったほうが楽なのだと。 親がいない、と

    • 愛という名の呪い

      みんなのお家2周年 本日3月7日みんなのお家2周年🏠❤️ 2年前18歳だったメンバーは 今年成人を迎えとびきりの笑顔で 振袖を着た可愛い写真が沢山届いた。 カメラに映るキラキラした彼女達は あの頃不安な声を出していたとは 思えないくらい自分の足で立って 前を見て夢を見て輝いている。 2年前みんなのお家を作った時は 措置が終わる頃で進学に必要な PCを集めたりご飯決めをしたり 家族の事で悩んだり泣いたり 怒ったりそれでも笑いながら 他愛もない毎日を共有していた。 あの頃は毎日

      • 捨ててくれてありがとう。

        27歳、節目の歳。 27歳、母が自死した歳。 27歳まで生きていればいい、 何度も口にした言葉。 それほどまでにわたしは 27歳という年齢が怖かった。 自分も母と同じ道を辿るのでは という思いが消えず 母の年齢を追い越す恐怖感や 漠然とした不安感に追われていた。 2022/1/5 好きな人達に囲まれて 27歳をスタートしたい。 そんな願いを友人達が叶えてくれた。 果てしなく我儘な願い。 だが「もちろん」と叶えてくれた。 当日の写真を見返すと 今でも涙が出てくるほどに

        • 息の仕方は忘れていい

          自分は何者なのか 何が好きで何が嫌いで 何が得意で何が不得意か。 人によって得手不得手がある。 それでも他人と比べてしまって 上手くできないわたしはダメだ 他の人が軽々とやってのける事を どうしてできないのだろう。 なぜ、どうしてと悩んでしまう。 最近そんな事が続いて 息が詰まって涙が溢れる日が続いた。 自分が何者なのか分からなくなった。 自分を見失い涙で前が見えなくて 途端に足元が崩れて途方もない 暗闇に突き落とされた感覚に陥った。 明日が怖い このまま消えて

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        オトナなんて大嫌い

          おかえりとか、ただいまとか。

          なんで施設で働くの? このnoteに何度も登場する 20年以上の付き合いの  わたしの担当職員に昔ふと 「どうして児童養護施設で    働いてるの?」 と聞いたことがある。 彼女は保育士の学校へ行っていた為 保育園や幼稚園といった一般的に 「保育士」とされる仕事をしても おかしくはないのにその中でなぜ 児童養護施設で働くと決めたのかが 気になったのだと思う。 おかえりとかただいまとか。 「色んな所に実習に行ったけど    保育園とかは朝子どもを預かって    お迎え来

          おかえりとか、ただいまとか。

          離された手と追った背中

          1番古い記憶はなんですか? わたしの1番古い記憶は施設の門を 出る職員を泣きながら追いかけた記憶。 辞める日だったのかなんなのか 記憶の中のわたしが何故あんなに 泣いていたのかは覚えていないが この世の終わりかのように 泣き叫びながら追いかけた。 それを他の職員が制止してようやく 職員は門から出られた。 そんな事が1度や2度ではない。 辞めていく職員の背中を 何度も追ってその度に泣いて 「行かないで」と追いかけた。 だが人間の慣れとは恐ろしいもので 次第に追いかけなく

          離された手と追った背中

          自死は悪か尊厳か

          自死は悪なのか 母親が27歳で自死を選んだ。 わたしはずっと母親の呪縛から 解ける事ができずにいた。 元々聞かされていた死因は 「心不全」だった。 が、絶対に違うと思い(謎の勘) 20歳を目前に控えた19歳の冬 児童相談所に持っている情報を 全て開示してくれと直談判しに行った。 結果としては何も分からず ただただストレスが溜まっただけで モヤモヤが増えて終わった。 保管された死体検案書 いつかのタイミングで、 遺体発見まで数日かかった とどこかで誰かが言っていたのを

          自死は悪か尊厳か

          綺麗な夢はいつまでも

          将来何の仕事がしたい? よくある保育園や 幼稚園での質問。 ケーキ屋さんになりたい お花屋さんになりたい 消防士になりたい 警察官になりたい 色んな「なりたい」が出る中 わたしは「職業」が全く 分かっていなかった。 幼児さんの時は 「施設の職員」が仕事だとも 思っていなかった。 当時わたしが何と答えていたか 覚えていないから何とも言えないが 職業を知らなかったのは覚えている。 今思い返すと「とんだ箱入り娘だな」 と思うが施設の中が全てで 施設の職員が全てだった。

          綺麗な夢はいつまでも

          死にたがりのわたしの居場所

          27歳まで生きていれば良い 昔から何度口にしたか 分からない言葉。 27歳、母親が自死を選び 自ら命を絶った歳。 幼い頃から漠然と 「27歳まで生きられるのか」 「同じ道を辿るのではないか」 と不安で仕方が無かった。 2022年1月5日、 遂に27歳になった。 約2ヶ月が経った今、何故 死にたがりが貪欲に 生きられているのか考えてみた。 Clubhouseの仲間たち 昨年突如バズったClubhouse、 このアプリで人生が変わるとは 1年前は想像もしていなかった。

          死にたがりのわたしの居場所

          死んだら座禅な。

          生後1ヶ月から乳児院に保護され 2歳からは児童養護施設、 18歳からは自立援助ホームと 人生の半分以上を 社会的養護で過ごしてきた。 日々替わる職員、施設仲間。 児童養護施設にいる子ども達は 18歳、高校卒業までいる と思われる事も多いが実は 家庭復帰をする子も多い。 いわゆる家族再統合というやつだ。 わたしは児童養護施設に2歳で 入所したが小学校の入学式の日に 施設の門の所で撮った写真には ランドセルを背負った同学年の子が わたし含めて4人写っている。 途中から入所した

          死んだら座禅な。