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捨ててくれてありがとう。




27歳、節目の歳。



27歳、母が自死した歳。
27歳まで生きていればいい、
何度も口にした言葉。
それほどまでにわたしは
27歳という年齢が怖かった。
自分も母と同じ道を辿るのでは
という思いが消えず
母の年齢を追い越す恐怖感や
漠然とした不安感に追われていた。


2022/1/5



好きな人達に囲まれて
27歳をスタートしたい。
そんな願いを友人達が叶えてくれた。
果てしなく我儘な願い。
だが「もちろん」と叶えてくれた。




当日の写真を見返すと
今でも涙が出てくるほどに
温かくて優しくて幸せな時間。
来れなかったけど
行きたいと言ってくれた人、
LINEや電話をくれた人、
たくさんの人たちの愛に触れ
27歳の初日をきれた。



出会いと別れ



振り返ると27歳は
たくさんの出会いがあった。
新しく出会った人が
たくさんいた年になった。

大切な人がたくさん増えた。
新しい場所で新しい人と
息をしていけるようになった。

反面、たくさんの失敗をした。
自分の弱さやプライドの高さで
壊した人間関係もある。
相手の痛みに鈍感すぎて
結果、とても深く傷付けた。
正面からぶつかってくれた人を
わたしは突き放した。
なにより酷い形で傷付けた。

なぜ、あの時素直になれなかったのか
なぜあんな言葉を発したのか。

大人になったつもりが
全然大人になれていなかった。
この一件は自分の子供さに
正直かなり堪えたと同時に
申し訳なさでいっぱいになった。



育ての母との再会



そんな事があってから
より息の仕方が分からなくなった。
人を傷付け突き放し
自分でも自分を突き放した。
もうここまでくると
メンタルが崩壊していた。
そして母の事を考える時間が
どんどん増えていった。
母のように自死はしたくないと
思いながら死にたいという
気持ちから逃れる事ができなかった。

そんなある日唐突に
徳之島に移住している
施設時代の母に会いたくなった。
何より1人で過ごす環境は
良くないと思った。
そう思った瞬間突発的に
「徳之島行っていい?」と
考えるより先にLINEをしていた。
二つ返事でOKと言ってくれ
急遽徳之島へ向かう事になった。

空港に迎えに来てくれた彼女は
10年前と変わらない笑顔で
「やっほー!」と出迎えてくれた。
10年前、1番喧嘩をし
家出の引き金を引いた彼女は
もう三児の母になっている。
11日間、ゆったりした島で
綺麗な海を眺め美味しいご飯を食べ
夜2人で思い出話をしたり
子供たちと遊びながら過ごした。

施設時代、コロコロ変わる
職員が大嫌いだった。
早く辞めちゃえと何度も思った。
が、徳之島に行き当時と
何も変わらない彼女と11日間過ごし
職員が嫌いだったのではなく
職員が変わる"環境"が嫌いだったのだ
と今回彼女に再会して強く思った。

彼女とはたくさん衝突した。
でもその分たくさん笑った。
良い思い出も悪い思い出も
たくさんあって10年経って
こうしてまた一緒に過ごせた事で
「おかえり」「ただいま」が
どれほどわたしにとって
魔法の言葉なのか身に染みた。
そう言える関係がこれからも
続くと良いなと心から思った。




2023年1月5日28歳



母の年齢を超え28歳。
なんとか27歳を生き抜いた。
傷付け傷付き愛し愛され
泣いて笑って時には喚いた。
きっとそれは28歳になっても
変わらないと思う。
ただ1つ、27歳を終えると同時に
母の事を赦そうと決めた。
母の事情なんて知らないし、
自死に至るまで何があったかも
わたしは知らない。
けど駆け込み出産、育児放棄
という最悪な状況下でも
命を繋いでくれた事には感謝したい。
自宅出産で生後0日の虐待死も
有り得る状況だったにも関わらず
育てなかったけどきちんと
病院で放棄してくれたから
乳児院、児童養護施設、
自立援助ホームと社会的養護下で
生き延びる事ができたのは
母の最後の賭けだったと思いたい。

あなたのおかげでわたしの周りは
素敵な人達がたくさんいます。
そんな素敵な人達に
出会わせてくれてありがとう。

わたしにとっては
最低な母親だけれど 
あなたが捨ててくれたおかげで
最高の育ての母達や
たくさんの素敵な友人達に
たくさん愛情をもらいながら
今色んな感情と共に生きています。

いつかわたしを捨てて
自死を選んだ事を
後悔させてあげます。
その時までさようなら。



28歳も変わらずポンコツで
たくさん迷惑かけますが
どうぞ温かく見守って
頂けると幸いです。
これからもどうぞ
よろしくお願い致します🧸


    2023年1月5日   こと



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