見出し画像

離された手と追った背中




1番古い記憶はなんですか?


わたしの1番古い記憶は施設の門を
出る職員を泣きながら追いかけた記憶。

辞める日だったのかなんなのか
記憶の中のわたしが何故あんなに
泣いていたのかは覚えていないが
この世の終わりかのように
泣き叫びながら追いかけた。
それを他の職員が制止してようやく
職員は門から出られた。

そんな事が1度や2度ではない。
辞めていく職員の背中を
何度も追ってその度に泣いて
「行かないで」と追いかけた。
だが人間の慣れとは恐ろしいもので
次第に追いかけなくなった。
同時にわたしの中での職員は
「いつかはいなくなる人」という
位置付けになっていった。
きっと自分なりの諦めだった。



握り返せなかった手


繋いだ手を何度も離されその度
泣きながら背中を追いかけてきた。
わたしが児童養護施設に
入所した理由は虐待ではない。
母の事は前回のnoteに書いたが
父は顔も名前も知らない。
入所理由は「養育者不在」だ。
繋がれる事が無かった母の手、
繋いだが離れていった手、
27年間生きてきて何度この手を
離された経験をしたか分からない。

「また離されるのでは」
「きっとこの人もいなくなる」

度が過ぎる喪失体験はわたしの
自己肯定感を下げ信用する力すら
奪っていき信頼という概念を無くした。

救いの手が差し伸べられても
その手を取る事ができなかった。
握り返せなかったどころか、
むしろその手を振り払ってきた。
思い返すとそんな手がいくつもある。



繋いだ手の温かさ


クラブハウスを始めてたくさんの
人に出会う事ができた。
普通に生活していたら出会えなかった
様々な職業の人と肩書きを取っ払って
「1人の人として」会話をし
今日あった事や悩み事、
時には酔っ払いながらゲラゲラ笑い
日常を音声で共有してきた。

しばらく経つとリアルで会う事も増えた。

出会って1ヶ月経っていないのに
昔からの友人のように話せた。
気が付くとどんどん輪は広がり、
クラブハウスから始まった交友関係は
とてつもなく幅広くなった。
ほとんど全員会っているが
「初めまして」ではなく「やっほー」が
第一声なのが面白いし友人だ、と思った。

リアルで会い始めた頃、今まで同様
「いつかいなくなる」と思っていたが
1年が経過した今はもう思っていない。
むしろ一緒に歳を重ねていくだろう。
それはいつでも側にいてくれて
支えてくれて温かく見守ってくれる
みんながわたしに「人を信じる」という
失った感情を取り戻させてくれたのと
実際に信頼できる関係を作ってくれたから
そう思えるのであってそう思わせてくれる
周りの環境やいつも側で見守ってくれる
友人たちの温かさに感謝しかない。
そして今だいすきな友人達の前では
素のわたしでいる事ができる。
だいすきな人達にはすぐに抱きつくが
きっとそれは幼少期から辞めていく
職員を何度も追ってきたからだと思う。
側にいてくれる大切な人達でさえ
「いつかはいなくなる」と
常に思っていたしだからこそ
会った時は全力で抱きしめる。
体温や心音、抱きしめてくれる手の
温かさが「存在している」と
物理的に教えてくれ安心できる。
それを感じながら時間を共有できる事が
何より幸せな時間だし生きていると思う。
と同時に「離れていかないで」と
不安になる時もあるがどんな時でも
抱き締め返してくれる友人達のおかげで
わたしは今日もこれからも生きていける。



自分を変えていきたい


過去に離された手、
自ら振り払った手、
握り返せなかった手、
たくさんの手があったが
それでも尚わたしは手を繋ぐ。
それは過去に救えなかった自分を
救うためでもあるが今の自分を
救うためでもあるからだ。
きっとこれからも離される手は
たくさんあるだろうし
泣きながら追う背中もあるだろう。
でももう何もできなかった
子どものわたしじゃない。
そして何より周りの人達が
差し出してくれる手を取ってきて
この1年で大きく環境が変わった。
一種の成功体験になっている。
信頼できる友人や尊敬できる人が
差し伸べてくれた手がたくさんある。
そしてその手を取ったから
チャレンジできた事もたくさんある。
殻に引き篭るという選択肢もある中
わたしのガッチガチの殻を
叩いてくれてヒビ入れしてくれて
更にそこから引っ張り出してくれて
様々な世界を見せてくれた
たくさんの人達のおかげでわたしは
今自分を変えようと奮闘している。
クラブハウスで発信するのも
noteを書くのもその手段だ。 



弱い自分と共存していく



クラブハウスの住人だったわたしは
主に音声を主として発信してきた為
noteという文字に残る媒体で
自分についてや過去の事を
発信するのが怖かった。
Twitterは140字で日常や
思ったことをパッと書けるが
深い話は特に書かない。
過去に付随する話も特にない。
が、noteは過去が文字に残る。
必然的に過去と向き合わなければ
書くことができないし、
そして過去を客観的に見れなければ
読んでもらえる文章すら書けない。
自分の中で過去を消化してから書こう
と決めそこから1本目のnote公開まで
丸々1年がかかってしまった。

そしてnoteを公開すると共に
ありのままをさらけ出そうと決めた。
等身大のわたしを発信して
児童養護施設や社会的養護、
そして社会的養護下で育った19年間、
辛かった過去やしんどい過去を
27歳のわたしがどう思っているか
可視化できるメリットもあると思った。
何より、読んでくれる人達に
着飾った大人ぶったわたしを
発信するより全てを見せてそれでも
生きていくと決意表明がしたかった。
強くないしすぐめげるしポンコツだし
それでもわたしを愛してくれる人達が
側にいてくれて支えてくれて
いつだって踏み出す勇気をくれて
こうして自主的に書く事ができている。
弱い自分を受け入れ、今を変える。
そんな事ができたら良いなと
思いながらnoteを更新している。

残念だが過去は変わらないし
事実も変えられない。
だが未来だけは変えられる。
その為にわたしは弱い自分と共存し
すきな人達と笑う日々を過ごすため
このnoteを書き続ける。


人生はネタ探し


唐突に話が変わるが、
関取花さんの「もしも僕に」
という曲がありその曲がすきだ。
noteを書く時はこの曲を
聴きながら書いている。

"努力は大抵報われない
 願いはそんなに叶わない
 それでもどうか腐らずに
 でかい夢見て歩いて行くんだよ"

"うまくいかないことばかり
なぜいつもあいつばっかり
隣の芝はいつだって青いけれど
知りたくないこと知ったり
優しい嘘を覚えたり
いらない荷物は増えてしまうけれど

それもこれも 最後には
笑い話に変えられるように
人生なんてそうさネタ探し
楽しんだもん勝ち そういうものだよ "


上手くいっている人を羨んだり
なぜ自分はこんなにポンコツなのだろう
と凹むことも多いが初めてこの曲を
聞いた時(まだクラハもなかった頃)、
「あぁ、そうか、ネタ探しなのか。」
と腑に落ちたというか自分の中での
モヤモヤが解消できたのを覚えている。
幸い生い立ちから何からネタ人間で
それを憎んだ時もあったが
最後に笑い話にできれば良いのだ、
と思わせてくれた曲だった。
わたしの発信の原点はこの曲だ。
笑えない過去もいつかきっと、
最後には笑い話になる。
そう信じる力をくれた。
そしてそのためには自分が動かねば
笑い話にすらならないと気付いた。
そんな事もあったね、と
いつか笑いながら話せるように
足掻きながらもがきながら、
わたしはこれからも発信を続けるので
今後も読んでくださると嬉しいし
シェアやDMが物凄く心強い。
いつも読んでくれてありがとう。
これからもよろしくお願いします🎀💕


☟関取花さんの「もしも僕に」

 これは本当に一度聞いて欲しい!



☟関取花さんのTwitter



Twitter、Instagram🕊📷
@kotocha_15
フォローよろしくお願いします🎀




.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?