見出し画像

オトナなんて大嫌い


乳児院、児童養護施設、
自立援助ホームと
19年間社会的養護下で育った。

「好きだよ」「愛してるよ」
そう言ってくれた職員は
次々と辞めていった。
27歳になった今
彼、彼女らが辞めていった理由は
山ほどあるのだと分かる。
労働環境、結婚、出産、
1人の人間としてのターニングポイント。
でも当時のわたしには
「また居なくなるのか」「信じない」
という感情しかなかった。
期待して裏切られるのなら
「いつかは居なくなる、離れていく」
と思ったほうが楽なのだと。

親がいない、という事は
わたしにとっては当たり前で
特別ではなかった。
でも児童養護施設で育ったとは
言えずに隠して生きてきた。
とはいえ全く隠していた訳ではなく
要所要所では話していた。
その時偏見や同情、哀れみの目を
向けてきた人達の顔は今でも
脳裏に焼き付いている。
悪意のない「可哀想」。

職員が日々変わるというのは
母親が日替わりだということ。
実家に帰ったら家族まるまる
変わってました、なんて
一般家庭ではありえない事が
日常と化していてそれが
児童養護施設だ、と思っている。

代替え養育である社会的養護、
家庭復帰が望めなかった
わたしにとっては職員の入れ替わりは
絶望、裏切り、不安でしかなかった。

では全員が全員辞めたか、というと
そうではなく幼稚園児の頃から
一緒の職員もいる。
彼女とはもう20年以上の関係。
出産、育休と居なかった期間はあれど
今も変わらず働いてくれている。
その職員がいてくれているおかげで
「ただいま、おかえり」ができる。
どうせ居なくなる、とまだ
心のどこかで思っているけれど
その反面彼女はずっといるだろう、
と根拠のない信頼がある。

「オトナなんて大嫌い」

小学生くらいからは
そう言って何度も反抗した。
「親じゃないくせに」
「辞めればいいのに」
「帰る家がある人には分からない」
今のわたしと同世代だった
あの頃の職員に何度も
心無い言葉を投げつけた。
でも、それが本心だった。
何かあれば助けてくれる親がいて
実家があってそんな職員が
羨ましかったのだと思う。
「わたしには何もない」
「母親はわたしを捨てた」
「18歳になったら1人になる」
「帰る場所がなくなる」
常にそんな不安と生きてきた。

人は人の数だけ事情がある。
きっと辞めていった職員達にも
様々な事情があったのだと
27歳になった今なら分かる。
20代前半で小学生から高校生まで
1人で何人も見て雑務もこなし
時間を割きたくても割けない
関わりたくても時間も人も足りない。
そんな中で子どもからは
悪意満載の「辞めればいいのに」。

本心とはいえ言葉にしては
いけなかったと今は反省している。

「わたしの実家は児童養護施設」

そう言えるようになったのは
本当にここ最近の事。
昨年バズったclubhouseで
児童養護施設について
2021年2月頃からポツポツと
話すようになってからだ。
その時後にわたしの人生を変える
JETBOOK作戦の代表
当時18歳のゆなちゃんと出会った。
施設内から児童養護施設について
知ってもらいたいと発信をしている
その姿に物凄い衝撃を受けた。
18歳が頑張っているのに
26歳のわたしは何をしているのか
できる事があるのではないか。
そう思い発信を始め施設格差や
アフターケアの壁の高さを伝え
社会的養護の子ども達、
そして偏見無く子ども達を見守る
大人達を主としたオンライン自宅
「みんなのお家」を作成した。


進学に必要なパソコン集め、
住民票の移し方、住所変更、
食事の作り方、夕飯のメニューから
時には洗濯機から水漏れしている
状況を「どうしよう!笑」と
みんなで解決策を考えた事もある。
(結構な珍事件だった。笑)

職業や年齢性別問わず
メンバー全員がフラットに
偏見なく自分の持っている知識を
最大限に惜しみなく使ってくれて
一緒に悩んだり喜んだりしてくれて
"作って良かったな"と思う。


「あと1人職員がいたら…」


中学2年生まで大舎と呼ばれる
40人以上での生活をして
中学3年生から高校卒業までの
4年間はグループホーム(GH)で
6人での生活だった。
大舎の時はとにかく職員はバタバタと
忙しそうにしていたし、
グループホームに移ってからは
小学生が4人いたため宿題、
調理、入浴介助、就寝介助と
こちらもとにかく忙しそうで
更に子ども6人に対して
職員が1人という大舎より
大変なんじゃないか…?
という状況を目の当たりにして
「自分でやろう」「どうにかしよう」
と頼る事を諦めたというか
自力でどうにかしないともっと
忙しくさせてしまう、と思った。
大人になった今あの4年間は
貴重な体験だったしおかげで
家事も難なくこなせるようになった。
でも進路や悩み、良かった事も
悪かった事も聞いて欲しかった。
もっと時間を作ってほしかった。
あと1人職員がいてくれたら
きっと少しでも変わっていたのかな、
我慢しなくて良かったのかなと今は思う。

そして今、児童養護施設をはじめ
社会的養護の職員の確保と定着
というところに注力した
国内唯一のNPO法人がある。



(①チャイボラHP
 ②クラファンページ)

代表の大山さんの熱意が凄いし、
何より子どもを最優先に考えた
理念が新しいと思った。
子どもへのダイレクト支援ではないが
職員の定着率が上がるということは
信頼できる大人が増える事、
自分の過去を知る人と長く関われる事は
回り回って1番の支援になる。
2021年12月25日まで行われていた
READYFORでのクラウドファンディングも
児童養護施設出身者として
チャイボラさんの活動がどれほど
偉大な事なのかをめちゃくちゃ話した。
おかえり、ただいまができる関係の構築、
同じ人と過去を共有できる安心感。
これ以上に必要な事は無い。


過去は過去、事実も変えられない。
でも行動する事で変わる未来はある。
そう思えたチャイボラとの出会い。
あと1人職員がいてくれたら、
何度も何度も思った。
でも思うだけだった。
でもその想いをBenesseから
福祉領域へとキャリアを一転させた
社会的養護出身者でもない
子どもを守りたいと熱意を持った
代表が形にしてくれている。

人生何が起こるか分からなくて
誰と出会って何をするか
その行動がどんな結果を齎すのか
更にそれがこれから先いつどこで
何が変わるのか良い方に行くのか
悪い方に行ってしまうのか
全部未知で分からないのだから
自分が信じた事を全力で
悩みながら迷いながら
生きていけばいいのかも知れない。
と思わせてくれたチャイボラの
代表大山さんとの出会い。


できる事は限られているかも知れない、
でも発信をしなければ何も変わらない。
気付いてもらえない。
過去を嘆くより今この瞬間、
未来を変えようと奮闘している人がいる。
ならばわたしも発信し続けようと思う。


思い付きで書き始めたnote、
まさかこんな長文になるとは思わず。

最後まで読んでくれた方
本当にありがとうございます。
ちょこちょこ更新していきたいと思います。


Twitterはこちら🕊


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?