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綺麗な夢はいつまでも



将来何の仕事がしたい?

よくある保育園や
幼稚園での質問。

ケーキ屋さんになりたい
お花屋さんになりたい
消防士になりたい
警察官になりたい

色んな「なりたい」が出る中
わたしは「職業」が全く
分かっていなかった。

幼児さんの時は
「施設の職員」が仕事だとも
思っていなかった。


当時わたしが何と答えていたか
覚えていないから何とも言えないが
職業を知らなかったのは覚えている。
今思い返すと「とんだ箱入り娘だな」
と思うが施設の中が全てで
施設の職員が全てだった。


5教科合計偏差値24


は?と思うかも知れないが中3の
6月に行われた全国一斉模試で
5教科合計偏差値が24だった。
さすがに職員も頭を抱え
急遽塾に通う事になった。
そしてその塾の塾長にも
「行ける高校無いよ」
「偏差値の最低記録更新」
と言われるくらいには
本当に頭が悪かった。

通常授業に加えて
夏期講習、冬期講習はもちろん
夏期冬期の塾合同合宿にも行った。


半年で偏差値65


12月の模試では偏差値は
65まで上がり高校選択の幅が
一気に広がった。
この件に関して1番驚いていたのは
塾長で「偏差値の概念壊れた」
とも言われた(どういう意味だろう)。


児童養護施設の職員になりたい


色々な高校を調べたり
将来の話をするなかでいつからか
「児童養護施設で働きたい」
と思うようになっていた。
そして施設の職員になるためには
保育士免許が必須だという事も知った。
今はどうか分からないが
わたしが施設にいた時は
基本的に都立高校のみだった。
滑り止めで私立高校も受けるが
基本的には都立高校への進学。


だいすきな職員の母校


滑り止めで私立を受けられる、
と知っていたため絶対に
「ここを受ける」と決めていた
保育学科のある高校があった。
中高一貫、大学もある所で
幼稚園の頃から一緒の職員が
卒業した学校でもあった。
私立願書はその高校一択だった。


私立、都立合格


無事に私立、都立
両方とも希望した学校へ合格。
本命は私立だったが先述の通り
都立高校への進学が原則。
そのため都立高校は制服が可愛い
という理由だけで選んだ。


高3生、2度目の受験


当初、書いた通り滑り止めで
受験した私立高校の付属大学へ
進学しようと思っていた。
が、身元保証人問題があり
奨学金が取れなかった。
児童養護向けの奨学金も全滅。
児童養護施設の職員になりたい
という夢は一瞬で消えた。

(ここに関しては当時の制度とは
 おそらく異なっているだろうから
 深くは書かないが進学率は低い。
 また、当時の進学率を知らないので
 この件に関して特に言及はしない。)


本気で悔しかったがそれも
仕方がないと諦めた。


18歳、将来の夢は


冒頭に書いたようなふわっとした
話ではなく現実を突き付けられた
高3生が答えた将来の夢は

「児童養護施設の職員になりたい」

から変わってはいなかった。

退所する際に職員と一緒にした
振り返りノートには
平成○○年4月 保育学科入学(予定)
と明記されている。
保育学科への進学はできなかったものの
東京都が実験的に行った制度のおかげで
退所後に福祉専門学校への進学と
病院への就職が決まっており
その専門学校を卒業した後に
保育の専門学校への進学をする、
というある程度の目標の設定だった。


27歳の将来の夢


27歳現在、過去に拘った
「児童養護施設の職員になる」
という夢は持っていない。

子どもに全力で向き合う職員になりたい
と思っていたが性格上無理だと判断した。
19歳から発達障がい者児支援員として
働く中で子どもに関する課題に
何度もぶち当たり支援についての
在り方を日々言い争いながら仕事をし
休みの日でもスタッフから電話が
かかってくればそれに対応し
寝ても醒めても子ども達の事を考え
いつからか子ども達が中心になった。
この仕事をして大きく成長したが
まだ自分と向き合う事から逃げている。
そこに生育歴や環境が加わると冷静に
仕事ができるか分からない。
自分の過去を見つめて病んで
すぐに辞めてしまうかも知れない。
だったらたまにお菓子持って
遊びに来るお姉さんくらいの感覚で
子ども達とフラットに居られる関係で
関わっていようという結論に至った。

コロコロ変わる施設職員に
絶望しては不信感を抱いていたのに
自分が率先して不信感を抱かせる
存在になってはいけない。

おそらく今後わたしが
「児童養護施設の職員になりたい」
という事は二度とないと思う。

が、何らかの形で児童養護施設や
社会的養護に関わる人でいたいと思う。

それが27歳の今導き出した答え。

そしてそれを発信する場所が
Clubhouse「みんなのお家」

NPO法人チャイボラとの出会い


みんなのお家で児童養護施設や
社会的養護について発信をする際は
モデレーターを複数名配置して
意見が偏らぬように分散させたり
1歩引いた発信を心がけているが
どうしても全力で発信したい、
伝えたい、広まって欲しいと思い
とにかく全力で応援したのが
NPO法人チャイボラだ。
昨年10月末にクラファンの拡散依頼がきて
初めてチャイボラの存在を知った。
1年間Clubhouseで発信を
していたが特定のNPO法人と
関わること無く一匹狼で
発信をしていたのでその依頼が
来た時はチャイボラという
名前すら知らなかったし
「なんかクラファンやってんなぁ」
と思っただけだった(めちゃくちゃ失礼)。


が、関わってみると
とにかく代表大山遥の熱が凄い。
初めましてのzoomから
熱量に圧倒され全力で
応援したい!と思わされた。
「チャイボラ」というよりかは
「大山遥」を応援したいという
不思議な感情になった。
おそらく時間を無限に与えたら
彼女はずっと喋っているだろうし
ずっと動き続けるであろう。
わたしも周りの人から「忙しない」と
言われる事が多いが彼女は比じゃない。
下手したらわたしより断然
暴走機関車なんじゃないかとも思う。


そして何よりチャイボラの
クラファン期間中何度もTwitterやクラハで
個人的に発信しているなかで
「チャイボラとはなんぞや」と
興味を持ってくれたフォロワーさんが
あまりにも多くてそれがすごく嬉しかった。
部屋を開けば「チャイボラ達成した?」や
「あとどれくらい?」と聞いてくれ
あといくら、あと何時間!と伝えると
ほとんど全員が協力してくれた。
JETBOOK作戦は運営メンバーだったので
41日間全力で走りきるのは当たり前で
とにかく必死だったがJETBOOKと
同じ熱量で他団体を広報できて改めて
いかにフォロワーさん達に助けられたかを
知れてすごく温かい気持ちになった。



職員の確保と定着


なぜ、そこまでチャイボラに
必死になったのか未だに聞かれる。
以前書いたように知ってる職員が
長く働いている事が子どもにとって
1番の支援になるのだが正直職員は
「いつかはいなくなる存在」だと
思っていたので確保と定着を目指す
チャイボラの活動理念にすごく共感し
同時にこの団体を潰してはならない、
という謎の使命感に駆られたからだ。
本来なら「いつかは辞める」と
突っぱねていたであろう活動だが、
大山さんの熱意に押され押され押され。
発信を始めた頃のふわっとした
チャイボラなら叶えてくれるのでは、
という期待が1ヶ月後のCF最終週には
チャイボラならやってくれるできる
と確信に変わっていた。
それくらいチャイボラ代表は
周りの人を惹きつける能力や
周りを巻き込む熱量や力が
本当にすごい。あれは才能だ。
この人は天才なのだと思ったし
より知った今は更に強く思う。

人柄、理念、全力さ。
どれを取ってもここまで人を
惹きつけて離さないNPOに出会ったのは
初めてだったのでこれからも全力で
サポートしていきたいと思う。


書き始めたら案の定長くなったし
チャイボラだけでnoteが何本も
書けそうなくらい代表がすきすぎるので
また別で書こうと思う。


読んでくれてありがとう🎀

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