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死にたがりのわたしの居場所




27歳まで生きていれば良い


昔から何度口にしたか
分からない言葉。
27歳、母親が自死を選び
自ら命を絶った歳。
幼い頃から漠然と
「27歳まで生きられるのか」
「同じ道を辿るのではないか」
と不安で仕方が無かった。


2022年1月5日、
遂に27歳になった。
約2ヶ月が経った今、何故
死にたがりが貪欲に
生きられているのか考えてみた。



Clubhouseの仲間たち


昨年突如バズったClubhouse、
このアプリで人生が変わるとは
1年前は想像もしていなかった。




児童養護施設についての発信を
始めたのが2月頃、
当時軽い気持ちで話しを始めた。
児童養護施設について、
生い立ちについて。
もちろん母の自死についても
何度も話をしてきた。
産後うつ、育児放棄(育児0日)、
乳児院への保護から児童養護施設、
さらにそこから自立援助ホーム。

自分の人生が人とは違うと
思ってはいたがこうして
文字にするとなんとも言えない。
が、クラブハウスは音声のみ。
いかに分かりやすく児童養護施設や
社会的養護を伝えるか、
当時の思いをどう伝えるか
割と頭を抱えた時期もある。
し、何より言語化するにあたり自分が
逃げてきた母への複雑な感情に
どうしても向き合わざるを得なかった。


しっかりしてるね


昔からよく言われた言葉。
クラブハウスを始めてから今日までも
たくさんの人に言われ続けている。
「ありがとう」と今は返せるが
メンタルが落ちていた時は
「しっかりしたくてした訳じゃない」
「しっかりしなきゃ生きられなかった」
とどす黒い感情に飲み込まれた日もある。



ことちゃんはことちゃん


発信を続けていく中で
サポートしてくれる人達が増えた。
信頼できる人も増えた。
頼る事が苦手なわたしだけど気軽に
相談できる人達の存在に助けられた。
「ことちゃんはことちゃんなんだよ」
「気負わなくて良いよ」
「いつでもサポートするよ」
言葉通り支えてくれる人達が
1年経った今も側にいてくれている。


すきな人達に祝って欲しい


27歳の誕生日を前に、
前回のnoteタイトルである
「死んだら座禅な」と
言ったらぶな友人にLINEをした。
即答で「もちろん!」と返ってきた。

彼女はクラブハウスを始めて
1番最初にオフラインで会った。
初対面からだらっとゆるっと
脱力してるわたしも全て
受け入れてくれるらぶすぎる友人。
彼女の事だけでnote5本くらい
投稿できそうなくらいには愛してる。

彼女ともう1人だいすきな友人が
企画をしてくれて誕生日当日を
すきな人達に祝ってもらえる事になった。


声をかけて来てくれるのか
不安でいっぱいだったが
当日集まってくれた全員が即答で
「もちろん」「誘ってくれてありがとう」
と返信をくれていた。総勢12人。
ほとんどがクラブハウス仲間たち。

児童養護施設関連で繋がった人
別のお部屋で繋がった人
どこからともなく繋がった人

当日の写真を見ると今も泣きそうに
なるくらい幸せな時間と
たくさんの愛情をくれた。


場所も人も変わるけどこの人達と
生きていきたいと思える"感情"が
「わたしの居場所」なのだと思う。


ことが求めた愛情と
わたし達が届けた愛情が
違った事もきっと
たくさんあると思う


児童養護施設を卒園する時、
幼稚園の頃からいてくれている
職員からの手紙に書かれていた。
人手不足で仕事に追われている中
「側にいて欲しい」
「もっと時間作ってよ」
と何度もお願いしたがその願いすら
叶わなくて怒っては泣いて喧嘩した。
でも職員も事情があって
したくてもできない、
叶えてあげられないもどかしさを
常に感じていたのだろうなと思う。


過去形になってもそこにあった
愛情は変わらないよ。
たくさんの職員さんに
愛されてきたね。


つい最近のLINEでふと言われた言葉。
なんだかしっくりきた。
わたしは自分が傷付かないように
「いつかはいなくなる」職員からの
愛情を見ないようにしてきた。
失った時に悲しいから。
でも関わってくれていた期間に
くれていた愛情は本物だ。
受け取らず突っぱねあげく
「親じゃないくせに」と暴言まで
吐いたがそれでも辞める時には
ほとんどの職員が

"ことの良い所は〇〇で"

と書き出した手紙をくれていた。


愛情タンクぶっ壊れ


27歳の今はたくさんの人達を
愛する事ができている。
愛情タンクぶっ壊れてんじゃない?
と言われるくらいには
周りの人達が本当にだいすきで
大切で全員尊くて愛おしい。

児童養護施設を卒園して
ずっと育った場所から飛び立って
ガッチガチに背負っていた物を
ゆっくりだが抱えず降ろしてみたり
手放してみたり試行錯誤して
1人でどうにかしようとして
上手くいかなくて負の連鎖になり
叫び散らかしたい時もあった。

が、ここ1年はクラブハウスで
出会っただいすきな人達と
共有しながらどうしたら
背負ってきた物を楽しく気負わず
荷解き、断捨離できるかを
話しながら進める事ができている。

きっと今こうして周りの人達を
全力で愛する事ができているのも
過去に関わってくれた人達が
全力で愛情をくれていたからだ。
そして無意識に受け取った愛情は
回り回って側にいてくれている人達を
愛する力をくれている。

突っぱねながらも
子ども達を全力で愛してくれた
職員の背中を見て
愛する事がどういう事なのかを
自然に学べていたのだと思う。


置かれた場所で咲きなさい



児童養護施設という家から出て
しばらくは、というより
クラブハウスで公にするまでは
居場所がない、帰る場所がない
と何度も思ったし今でも時々思う。

学生時代には教師から
置かれた場所で咲きなさい、
と言われた事もある。
が、今のわたしはそうは思わない。
置かれた場所で咲けないのなら
今すぐにでも環境を変えるべきだし
置かれた場所が劣悪だった場合
逃げるという選択肢も必要だ。

この事はクラブハウスを始めて
たくさんの人達に出会った事で
始めて気が付いた事。

自分が居心地良いなと思う環境は
殻から飛び出せばいくらでも作れる。
置かれた場所で咲く必要も無いし
そもそも咲かない選択もある。
でもどうしたいかどんな環境で
どんな人達と生きていきたいかは
自分で殻を破って飛び込んでみないと
居場所は到底見つからないし
どれだけ素敵な人が居ようが出会えない。


自分の居場所は自分で決めるし
幸も不幸もわたしが決める。
そこに他人のジャッジは不要。



27年かけてようやく学んだ事。


道に迷う事は道を知る事。
行動こそが不安への良薬だ。



もう気付いている人もいるだろうが
わたしはかなりの暴走機関車だ。
行動力も多分レベチで爆走する。
すきな人には全力で愛を伝えるし
常日頃感謝している。
言葉だけでなく行動も伴っていたいと
爆走全力疾走の暴走機関車だ。


でもいつも書いているように
今日いる人が明日もいるとは
限らないと思っているからこそ
毎日を全力で生きているし
noteも長くなってしまうし
(関係ない語彙力の問題)
毎日どこかで発信している。
どこかで目にした際には
「こいつ今日も全力で生きてんなぁ」
と思ってくれたら嬉しい。



長くなってしまったけれど
読んでくれてありがとう🎀


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