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ショートショート 「要らないもの」

居間でタバコを吸いながらテレビを観ていると台所から母の声がした。

「仕事もしないで朝から晩までタバコ吸って。いい加減にしなさいよ」

よく飽きもせずに毎日毎日おなじセリフが言えるものだ。
呼び込みくんを買ってやろうかな。
ボタンを押せば一言一句おなじ音声を再生してくれるし、母も少しは楽が出来る。
僕ももうすぐ22になるんだから、少しは親孝行をしなきゃ。
でも僕には呼び込みくんを買う金がなかった。
よし、就職して初任給を貰ったら買ってやろう。
いや、就職したら呼び込みくんを買う必要がなくなるぞ。
なんだか出来の悪い落語みたいだな、あはは...。
僕はタバコを消して2階の自室に避難した。
ちなみにタバコは近所の月島さんから貰った。
互いに犬を連れて散歩をしている時に会うたび、「1本下さい」と言ったら5本くれるのだ。
月島さんに幸あれ。

「母さん、婦人会に行って来るから」

夕刻、そう言って母が出掛けて行った。
僕は裏庭に出て最後の一本に火を点けた。
まだ6時前だというのに外はもう真っ暗だ。
退屈しのぎにけむりで輪っかを作ってみたけど、うまく行かなかった。
金はないけど時間はたっぷりあるので、僕はもう一度チャレンジすることにした。
タバコを咥え、けむりを口に含む…。
とその時、暗闇の中から男の声がした。

「下手っぴだなあ。こうやるんだよ」

僕はびっくりしてけむりを吹き出してしまった。
いつの間に現れたのだろう。
闇の中に輪っか状のけむりが浮かんでいる。
まさか僕が吹き出した煙じゃないだろうし…。
けむりはゆっくりと上昇しながら徐々に形を失って行き、そして消えた。
キツネにつままれた気分で目をぱちくりしていると、南天の木の陰から白いものがスーッと出て来た。
一瞬ヒヤッとしたが、見れば3年前に亡くなった父だった。
白装束を着ていて足がない。

「慶彦、見てろよ」

そう言うと、父はタバコを咥えて口内にけむりを溜め、口をアルファベットのOの形にして顎を上げ、人差し指で頬をポンポンと叩いた。
父が作った輪っかは見事な出来栄えだった。

「すごいね、父さん」
「なにごとも練習だよ」
「わざわざ輪っかの作り方を教えに来てくれたの?」
「そんな暇じゃねえよ。頼みごとがあって来たんだ」
「頼みごとって?」
「向こうによ…。あ、向こうってあの世な。塩辛のいいのがねえんだよ。だから鬼太鼓に行ってよ、大将に別けて貰って、明日の晩、仏壇に供えてくれよ」
「鬼太鼓って飲み屋の?」
「ああ。明日あたり教授が来るだろうから歓待してやろうと思うんだ」
「教授って? …ああ、島本さんのことか」

父は教授と呼んでいたが、島本さんは左官屋さんだった。
島本さんは国立大学を出ていたので、飲み屋界隈でそう呼ばれていたのだ。
島本さんはつい最近父と同じ62歳で亡くなったばかりだった。

「慶彦。仕事のことだけどよ…」
「うん。困ってるんだよね」
「まあ、焦るこたぁねえんだ。ただ、あんまり選び過ぎんなよ」
「うん…」
「コンピューターの専門学校出たからって無理にエンジニアを目指す必要はねえんだ。人に迷惑掛けなきゃなんだっていいんだよ、仕事なんて」
「まあ、確かにそうだね」
「教授なんかその気になりゃ所謂世間で立派と見做されるような仕事に就くことだって出来たんだ。でもあいつは左官屋になった。性に合ってたんだろう。俺だってそうさ。高校を出て一旦は企業に就職したがすぐに辞めちまった。あのネクタイってのが気に入らなくてよ。なんか首輪みてぇだろ?」
「はは…。それで大工になったんだ」
「そうだ。大工のほうがよっぽど面白かったよ」
「向いてたんだね。…実は僕いまコンビニでバイトしようかと思ってるんだよ」
「いいじゃねえか、コンビニのバイト。立派な仕事だよ」
「でも母さんが…」
「気にすんじゃねえよ。母さんは家柄がいいから親戚縁者に社長だとか医者だとか弁護士だとかそんなのがゴロゴロいるだろ? それでお前にもなんかそういう小難しい仕事をして欲しいって思い込んでるんだ。母さんはいい人だが見栄っ張りなところがあるからな」

母の父、つまり僕のおじいさんは県内に5店舗を構える書店を一代で築き、社長職を退いた後は商工会議所の副会頭を務めた地元の名士だった。
父の言う通り、おじいさんを始めとして母方の親戚はみんな堅実に商売をしているか、さもなくば堅い仕事に就いていた。

「考えてみれば僕も見栄や体裁にこだわってるのかもね」
「それがお前にとって必要なものなら後生大事に取っときゃいいさ。でも要らねえんなら捨てちまうこった。ところでお前、腕時計は好きか?」
「ぜんぜん。興味ないね」
「じゃあ手元にロレックスだとかそんなのがあったって嬉しくねえだろ?」
「うん。ちっとも嬉しくない」
「肩書きだっておんなじようなもんだよ」
「なるほど。そうかもね。…それにしてもその三角巾よく似合ってるよ」
「ああ、これか? いいだろ。結構気に入ってんだ」
「板に付いてる」
「3年目だからな。まあ、気楽にやれよ。じゃあ、塩辛頼んだぞ」
「もう行くの?」
「ああ。柴田の野郎と飲む約束してんだ。覚えてるだろ? お前が小さい頃よくカブトムシ捕りに連れてってくれたおっさん」
「もちろん覚えてるさ。よろしく伝えといてよ」
「ああ。言っとく」

父はそう言うと、タバコを6本縁側の上に並べた。
そしてそのうちの1本に火を点けるとまたけむりで輪っかを作って見せた。
またしても見事に仕上がった輪っかは、ぷかぷか浮いたかと思うと、父の頭上に留まった。

「クリスチャンの連中はこれで上まで昇ってくんだぜ」
「へえ」
「あ、そうだ。俺にも要らねえものがあるんだ。捨てといてくれ。じゃあな」

父はそう言い残して姿を消した。
縁側の上には5本のタバコと白い足袋が残されていた。

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