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ショートショート 「飯屋は心の拠りどころ」

日本国が消滅してから百余年が経った。
中国に併合されたことを機に方々に離散した日本人の末裔は現在流れ着いたそれぞれの地で様々な商売を営んでいる。
特に飯屋は比較的参入障壁が低いこともあり人気業種だった。
日本人の営む飯屋は単に飯を提供する場であったばかりでなく、同胞たちの物理的なそしてまた精神的な拠りどころとしての役割をも担っていた。
彼ら日本人は寄り集まって日本食を食べることによって、アイデンティティを確かめ合い、同胞間の繋がりを維持しているのだ。

彼らはなぜそれ程までに食事を重んじるのか。
それは日本人を規定する明確な基準が存在しなかったからだ。
彼らの多くは基本的に仏教徒だったが離散する以前からそもそも信仰心は希薄だったし、北東アジア圏の他国の国民と比べて際立った外見的特徴を有している訳でもない。
また三世や四世のなかには日本語をまったく話せない者も数多くいたため、言語も基準たりえなかった。
だからこそ彼らは仲間と一緒に梅干しの酸っぱさに口を窄めたりそばやうどんをずるずると音を立てて啜る機会を殊の外大事にしているのである。

日本人は欧米の食事を「糖分と脂分が多過ぎる」と言って嫌う。
それに対して欧米人から「日本食は塩分が多過ぎる」と文句を付けられると、彼らは決まってこう返すのだった。

「我らに食事を与えたもう飯屋はシオイズム思想に基づいて…」

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