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コミュニケーションアップデートの観点

「ある男が手袋の片方をホームに
落としたのを気づかないまま電車に駆け込み、
気づいた時は電車が走り始めていた。
男はどうしたか?
残ったもう片方の手袋も窓からホームに投げ込んだ。
なぜか?
拾った人が両手がそろっている手袋を使えるように。」

この話を聞いて
キミはどう解釈する?

やってしまったミスも、
水平思考で咄嗟に他の人に与えるという可能性へとある種の機会に変えられるという示唆を刺激しただろうか?

しかしながら
同じ話でも
どういう文脈の中で
語られたか?
即ちコンテキストが置かれているか?
でまるっきり解釈、聞こえ方が違ってくる。

たとえば
間違いを犯してしまった。
そのことを届け出ることをせずに、違う人が間違いを犯したようにもうひとつの間違いを犯した。そんな人間に向けられた話だとしたら?

実際にこの例え話は、自分の妻を殺してしまったのにその罪を巧みに弟に着せた、そんな男にむかって警察官が語ったあるドラマでの1シーンだ。

オレには
頭が混乱するほど
違って聞こえる(笑)

このように実は文脈こそが決定的で、何を言ったかの含意はガラリと変わる。

では、日常という文脈ではなくキミが過酷な時のその文脈において、心に浮かぶ人は誰だろう?

そして、それはどうしてだろうか?
また、そんな過酷な時にキミを思い浮かべるのは果たして誰だろうか?

はっきり言えるのは、オレたちが極限で掴み取ったものが、いざという時の拠り所になるし、その時に思い浮かべる存在こそが、オレたちが日々心を開いて大事に大切に関わるべき相手なのかもしれない。

もちろん、たとえば部下があるいはチームが過酷な状況や場面をむかえたそのときに、チームメイトひとり一人がもしもキミを思い浮かべてくれたなら、それほど冥利なことはないのではないか。

言うまでもないが、それには普段からリーダーとしてチームメイトを惹き付ける必要がある。

それをエンロールメントなんて言ったりする。Enrollment≒まぁ巻き込むってことだ。

今日はこいつをガイドしておこう。

で、まず何かを明らかにしたければ、そうでないものを明らかにする必要がある。

ってことで、Enrollmentで無いものから見ていこう。

1.操作はエンロールメントではない。
操作とは、金の卵が欲しい?それとも金の卵を産むニワトリが欲しい?みたいに個人が意思決定する際に、特定の結論へと誘導する技術のことだ。
2.支配はエンロールメントではない。
支配とは、権力や立場を利用して自由に個人を拘束できる体制を指す。ちなみに支配の反対は従属である。
3.強制力の使用はエンロールメントではない。強制とは、無理にさせること。強制の反対は任意だ。
4.説得力はエンロールメントではない。
説得とは、説き伏せること。たとえば説得して結婚する!だと違和感があるだろ?本質的には説得が必要な場合、説得しようとしている本人が説得されていないケースがほとんどだし、またキミが何かの件で説得されたとすると、説得を受ける前から説得されていたことになる。(禅問答みたいでゴメンよ)
5.誘惑はエンロールメントではない。
誘惑とは、相手の心を迷わせて誘い込むこと。
6.交渉はエンロールメントではない。
交渉とは、利害関係のある二者(もしくは複数)が、互いの要求を主張して、最終的な妥結点に到達するプロセスのことだ。

これらはEnrollmentではないから注意を払え。

んで、だとすると、キミが言うにはEnrollmentとは何か?

この記事をきっかけに是非ともエンロールメントを探求する旅に出てみて欲しい。マネジメントに大きな違いをもたらしてくれるからだ。
コミュニケーションには真空を創るコミュニケーションと、ただの説明という名の情報伝達に過ぎないコミュニケーションの二つがある。

文字通り、自然は真空状態を嫌う。

キミの言葉(非言語も含めて)が真空を創ったならば、聞き手は惹き込まれずにはいられない。何かが呼び起こされる。喚起される。

志や愛や責任や徳などの大切さを説明したところで真空状態ができる訳では無い。それとは違う次元のコミュニケーションが必要になってくる。機会があれば直接会って、今どきだから、Zoomでもいいが対話したいね。

とにかく、人を惹きつけ、巻き込むエンロールメントとは、独りでも〝そいつ〟を楽しむ、やり遂げる覚悟を持つ者のみに与えられるチカラってことは予めキミに伝えておこう。

それとは逆に、巻き込む意図は持ちながらも、他人の欠点に支配されているマネジャーやリーダーには、そのチカラは決して与えられないってことも覚えておこう。

誰からも学べるという〝実際〟のことを忘却している人間ほど、 結果的に裸の王様な奴はいない。

そして、つまりは、キミもオレもそんな裸の王様からでさえ、学べるってことなのだけれど。

だから人生って実に素晴らしい。

何よりオレたちの〝内側と呼べる範囲〟の大きさに比例して、キミ個人も組織も豊かになるのだから。

なんで争いや戦争なんかが起こるんだと思う?

オレたち人間が内側と外側を作るからだ。

戦争に限った事じゃない。身近なことで言えば、たとえば部下の育成が思うようにいかないなら、もしかしたならば、それをキミが部下の問題、つまり〝外側に問題がある〟ととらえているからかもしれない。そんな思うようにいかない事柄がもし好転し始める時がくるとしたなら、それはほぼ間違いなく部下の問題を(自分の子供の問題でも伴侶の問題でも同じ)自分の内側に〝拡張させた時〟だけだ。

果たしていま、キミの内側と呼んでいる範囲はどれくらいだろう?

それをオレと一緒に拡張していかないか?
だってそうしたら、世界はもっと美しい場所になるだろ?

全部が内側と呼べたらどんな世界になるのだろう。


(今日もオレの徒然な投稿に最後まで付き合ってくれてマジ有難う!!キミとオレとの間に何がしかの真空が創れたとしたら望外の喜び、パパ大喜び!!そして、今日は2020年で最強運気の日。)

By オレの殴り書き


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