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一緒につくらない?

今日は僕が感じてる違和感について、思いを巡らしていく。

当たり前な事だけれど、他人はあなたとは異なるわけだから、わざわざあなたと同じように考えさせたり、いちいちあなたと同じようなやり方をさせたりしようとすることに躍起になるのは、本来的に価値などない。

また現代の組織論からすると同じであることに価値はない。

あなたと違うから価値がある。

そうでなければ他人と仕事しなくていいではないか。

それを己の常識と正義を振りかざし自分の思い通りにしようとする。

僕たちはともすると自分の理屈をもっともな正論として他人に押し付けようとする。

大人が子供に
上司が部下に
お客様が商売人に
匿名が芸能人に

こういうと色々反論があることは分かっている。

反論する余地はあるからだ。

かと言って
反論できない領域だってあるはずだ。

ではそこはどこか?

きっちり考え給え。

あとここ最近の違和感に徹底する、というのがある。

徹底する。
とても便利な言葉だ。

そう思わないか?

しかし、これを口にした人間が徹底を起こしたところを未だかつて見た事がない。

そこでレイノゴトク独断と偏見で徹底の属性を再定義しておこう。

徹底とは、行動が変容するまで自分をあるいは他の人々を励まし、勇気付けることだ。
それに相応しいコミユニケーションを取り続けることだ。

OK牧場?!

所で、世界一のコーチングとは何が起こることを言うのだろうか?

コーチを生業にして12年目に入ろうとしている僕にとっては、大切な問いのひとつだ。

その問いの僕の現段階の応えは、クライアントが成れる最高に自分になる、そして、目標達成にふさわしいチームになる、ってことが起こることだと思う。

では、それが起こるようにコーチができる努力は何だろうか?

真っ先に立ち上がってくるのは良き理解者になることだ。

次にクライアントのいつもの調子のコンテキストを揺さぶり、その結果クライアント自ら大胆にシフトを試みたくなることだ。

3番目に、自らの人生、つまりは平生を人格を磨く場と考え、自分と向き合い、良心に従い続けること。

余談だが、昨日7つの習慣のセミナーに参加してみた。その中で、一年後に死ぬと分かっていたら、今からの一年で何をするか?(お金も含めたリソースは十分にある)という問いに対して、普段と変わらぬことをすると書いた。自分でも驚くような刹那だったが、どうやら幸いにも今の僕は昨日たちに決して失礼な生き方をしていないようだ。方向性は間違ってない。質はまだまだ上げられるけれど。

でも、コーチ以前に僕たちが人間として志すべきは、ひとり一人が悲しみを打ち明けられる存在になれるよう努力する。それだけで充分なのかもしれない。

さてさて話を戻してコーチではなく、では、世界一のマネジャーとは何を起こす人だろうか?

あなたがもしその立場なら考えて見るといい。

ちなみに、私の態度や言動があなたに敬意を感じてないと思わせてしまうものがあれば
都度教えてください。

とマネジャーは全部下に伝えた方がいい。

マネジャーは朝昼晩しっかりフィードバックを食せ。

そして、願わくば、これを一緒に創らない?

これって何かと言うと、御社で働く人々が誰かに話したくなる今日を。

毎日が誰かに話したくなる今日という体験を。

もっと本音で言えば、生きてて良かったという世界を。

M.Hに捧ぐ

By オレの殴り書き

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