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重力と恩寵

キミの中にある貴重なものはすべて、
たったひとつの例外もなく、
キミ自身とは別のところから来たのである。

それも貸与物としてだ。

キミの中にある総てものものは、
たったひとつの例外もなく、
まったく無価値である。

あらゆる状況において、キミが存在するということは、大いなる意志のキミに対する愛である。

言っておくけど、
神はただ自分自身をしか愛することが出来ない。キミや僕に対する神の愛は、
キミや僕を通して自分自身を愛する愛ってことだ。

どうしようもない必然、
貧困、窮迫、押しつぶすばかりに重く迫る欠乏と極度の疲労をさそいだす労働、残酷さ、迫害、非業の死、強制、恐怖、病苦など、これらはみな、神の愛である。

これら必然は、キミが存在出来るようにと、大いなる意志とキミの間にはられた羊水である。キミは、存在するのをやめるために、この羊水を突き破らねばならない。

そもそも人が自我を高めようとするとき、どんなに高く見積もったとしても、
自分をそれだけに過ぎないものと見ているなら、限りなく下へ落ちていく。

そして、人は自分が捨てるものだけしか、所有しない。
捨てないものは、キミからのがれ去る。
この意味において、何ものであろうと、大いなる意志を通すことなしには所有することができない。

自分が無であることをいったん理解したならば、あらゆる努力の目標は、無となることである。この目的を目指して、すべてを耐え忍び、この目的を目指して働き、この目的を目指して祈るのである。

神よ、どうか私を無とならせてください。

キミが無になるにつれて、
神はキミを通して自分自身を愛する。

そんなわけで、秩序を回復するには、キミの中の造られたものを総て壊して行かなければならない。

By シモーヌ・ヴェイユ
By オレの勝手な超訳

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