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忙しいと言ってる奴はうまく行かない。

多忙とは文字通り心を亡くす事が多いってこと。
忙しくする
ならまだ救いがあるが、
忙しいは
厄介だ。

場合によっては
間がないから、間抜けとなる。

まして貧乏暇なし。

その先には忙殺が待っている。

また、

○○しい
○○い

経験的事実に基づく解釈的描写
になる。
また多くの場合、切実な経験的事実であることが確かに多い。

忙しい
美しい
苦しい
清々しい
痛い
暑い
涼しい
ダサい
うるさい
眠い

など。

変な表現だが
苦しい

苦しくする
苦しくしている
という所に立ってそう表現すると
すぐさま能動的含意表現になる。

だから忙しい
ではなく
忙しくしている

という立ち位置でせめて
目の前のスケジュールを
扱いたい。

有名な話だが、
マーク・ザッカーバーグは
朝、何を着ていくか?
の時間が勿体ないから、同じグレーのTシャツを何枚も買い込んで、毎日それを着ている。

だから、今忙しいってことを理由に〝何かできない〟ことを僕に売り込む幹部や経営者には、ザッカーバーグと同じようなレベルになってから、それ(忙しい)を口にする資格があると突っぱねる。

そもそも、余裕がないとうまく行かない。

うまく行くか?行かないか?は余裕があるか?ないか?だ。(厳密に言えば違う表現になるが)

余裕の裕は裕福の裕だ。
裕は〝ゆたか〟とも読む。

ゆたかが余るくらいある。

それが余裕だ。

大人の余裕。
余裕綽々。

もちろん、常に余裕ある状態が
健全か?と言えばそうでは無い。

時に必死のパッチで
昨日までの限界を超える
自分を超える
ギリギリを生きる日々も必要だ。

常に持てる力の8割しか
出していなければ、錆びる。
焼きが回る。

飛ばない鳥が飛べなくなるのと同じ原理だ。

それでもやはり、余裕は欲しい。

海を背後にして船を燃やす不退の覚悟と
刺し違えても掴むという決心だとしても、
余裕が欲しい。

否、そこに立っていればこそ生じる
余裕がある。

その余裕とは、迷いがないという余裕だ。

つまり、余裕がないやつが
うまく行かないとオレが断言出来るのは、迷いがある状態だからだ。

まして、上っ面だけ忙しい忙しい…と、
貧乏暇なしの言葉通りに怠け続けているとしたら、大切なことを疎かにしてしまっていることだろう。

車のハンドルに遊びがなかったら
おっかなくて運転出来まい。
忙しいってのは人間として遊びがない状態だ。

そして、余裕も自信と同じで、
あるか?無いか?を問うのは愚かだ。

自信しているか?していないか?同様に、余裕しているか?していないか?だ。

ところで、
あなたはこの記事をどのような状態で読んでる?

もちろん、余裕だよな?!



By オレの殴り書き


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