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コーチができる精一杯のこと
ビジネスにおいてお得感と納得感は異なる。
価格競争から逃れたければ納得感を最大化させることだ。
しかし、人生においては納得できるできないの軸は、時にかえって自分の枠に自分を閉じ込めることになる。
では今から納得しにくい話を始めよう。
売るために、儲けるために誠実さを手放しても構わないという考えが微塵たりとも〝過る隙〟を与えてはならない。
量の話ではない。
これくらいなら、他社もやってるしいいだろうとか、これ以上だとマズいからここまでにしておこうとか、勿論そんな類の話ではない。
バレるバレない許される許されないの話では断じてないのである。
どんな心で、どんな構えで、どんな姿勢で商売しようとしているのか?ビジネスしようとしているのか?
つまりそうなってくると、結局のところ、問うべきはそれだけでいい。
今既に経営者であるあなたも、これから起業しようとしているあなたもこの問いと向き合い続けるだけでいい。
万が一億が一会社をたたまなければならない
状況になったとしてもだ。
だって誠実さを、真心を手放さなければ経営できないようなそんな社会なら、もしそんな社会なら会社を存続させてる意味なんてないじゃないか。そんな社会を喜ばせたって。
お客様が喜ぶ喜ばないは確かに大切だ。
もっと大切なのは喜ぼうが喜ばまいがただただそうすることが大切だと信じられるからそれをする、そこに立ち続けたい。
だから誠実さを手放す隙なんて与えちゃいけないんだ。たとえ路上で倒れ果てても。
自分のボディーに相応しい服しか着こなせないでしょ?
同様に自分に相応しい現実しか出現しないし、扱えないんだ。
で、身も蓋もないことを言うようだけれど、コーチングのおかげの結果なんて滅多に出ない。
厳密に言うと皆無だ。
コーチのオレがこう言うと本当に身も蓋もないないけれど、本質は間違いなくそういうもんだ。
クライアントの努力で運良く、違いをもたらす違いが創造され、結果が出たに過ぎない。
コーチングの成果とはほとんど関係ない。
それをコーチングの成果としているコーチにはだから違和感がある。
クライアントがコーチのおかげと言ってくれることはあってもそれをまともに受け取るならば、プロのコーチとは言えない。
なぜならば、クライアントのビジネスや人生が順調だったとしても、コーチングが最善であった保証には一切ならないんだ。
ただし、結果が出ていなとなると、今度はまるっきり違う。つまり、コーチングがクソなんだ。成果が出れば間違いなくクライアントのチカラ。成果が出なければコーチとそのコーチのコーチングがクソったれってことだ。(いつになく下品でごめんなさい)
んじゃ一体全体オレは、コーチは何のために存在しているのか?そうツッコミたくなるわな!?
そりゃーあーた、とことん自分自身とむきあってもらうため。
醜い部分、汚い部分、不誠実で狡賢い部分、あーた無いとは言わせませんよ。
オレには嫌ってほどそれらがある。可能性と同じくらいある。
だからコーチはただただ可能性を信じて、ただただ可能性を拠り所にして、共に自分自身と真摯に向き合い続ける。どうやってって?
一生懸命聞いて
一生懸命話す
それが、コーチができる精一杯のことなんだ。
By オレの殴り書き
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