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代表作

決意したことなのに
始める前それは、いつだって大概暗く重い。

しかしながら、一歩を踏み出したとたん明るく、そして、軽くなる。

しかしまた訪れる。
もうダメかも…。

人間の分際で、道の途上で傲慢な予測は慎むがいい。

もうダメかも…そう言いそうになった時こそ、そのちっぽけな己の状態をしっかりとかみしめる時だ。

もうダメかも…なんて言ってしまうことと、
神でもないのに未来を、小さな頭と偏った経験の中で予言する点においてもDDNSだ。
ダブルでナンセンスだ。

そうかと思えば、賢い頭を他人を裁くことに
忙しく使ってしまったりもする。

そう言うときっと反論もあるだろう。

そう僕はキミがどれだけ努力してるかなんて、全く知らないって言っていい。

キミは僕がキミにどれだけ気持ちを向け、キミの成功にコミットしているかなんて、同じように全くもって知らないし、分かっちゃいやしない。

でもだからこそ、だからこそ、理解しようとする気持ちに触れるだけで嬉しくなるわけだし、どこまで行っても分かり合おうとする気持ちが大切になる。

一ヶ月前のスキと今日のスキは決して同じじゃない。目が盆暗だとその変化を見逃す。そもそも一度理解出来ればもう大丈夫みたいになる。

だけど、ホントは分かった気になるなんて奢りでしかない。

最後の最後まで知ることができないんじゃないかな。互いに。
だからこそ、理解しようとするその側に立ち続けられるか?が大切なんだ。

コミュニケーションスキルとか心理テクニックとかNLPとかコーチングとかそんなのはどうだっていい。

重要なのはどこに立っているか?だ。

例えば上司と部下。役割は上下だけど、関係まで縦にする必要はない。横に立つことも出来れば、水のように低き低きに行くことだってできる。それでいて万物の母のように。

立ち位置、そして人間関係が育つのに必要な事、それは根気だ。

その人間関係の中にはキミとキミという関係が勿論含まれている。それが他者との関係性における主軸になっていると言っても過言ではない。

だからキミはキミを今日も明日も創り続ける必要がある。重たい始めの一歩を踏み出し、志半ばでもうダメかも…と思い、そうかと思えば他人を裁き、愛したいのに愛されたいのに理解されない理解できない現実を直視しながら。それでも大切な何かに突き動かされるかの如く、根気よく育む。

キミも僕もひとつの作品なんだね。

キミはダ・ヴィンチであり、キミが創った神秘のモナリザ。

キミはベートーヴェンであり、キミが創った運命という交響曲である。

キミはキミの何によって創作されるのどろう?そもそも日々の創作活動は最高傑作へ向かっているのか?

いずれにせよキミはキミのそのまんま
僕は僕のそのまんまが代表作となる。



By オレの殴り書き

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