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【前編】日本一「教えたくない」と思われてるカレー屋の店主に聞いた、奇跡のカレーができるまでのお話 

人に自慢したい反面、どこか自分だけの甘美な秘密として大切にしまっておきたい――
誰しもが人生の中で1つか2つは、そんな風に思える何かと出会ったことがあるでしょう。
そんな“誰かのとっておきの秘密”のカレーレストランが今回のお話の主役なのですが、何がすごいってこのレストラン、日本全国各地の老若男女からそんな風に思われているんです。

『一番おいしいお店』でも
『一番好きなお店』でもなく、
『一番教えたくないお店』
数多くの人からそんな風に愛されているそのお店の名前は、刻音。
刻む音と書いてコトと読みます。

これはそんな日本一「教えたくない」カレー店の店主に聞いた、
人生のヒントが詰まった物語です。

interview by  s.todoroki

鹿児島県出水市。
毎年冬は約1万羽の鶴が飛来する土地として知られるのどかなこの田舎町。
その片田舎の、1時間に1本しか新幹線が止まらない(!)町唯一の駅から徒歩5分の場所に、刻音は店舗を構えています。

こじんまりとしたお店の暖簾をくぐると、まず目につくのは真っ赤なギターとアンプ、そしてところせましと並べられたCDやライブイベントのフライヤーたち。
店名にある「音」は、
どうやら音楽の「音」のようです。

「全部で座席数は16席とかかな。コロナ禍になってからはソーシャルディスタンスもあるから、マックス8席ですよ」
そう言ってカウンター越しに穏やかに笑うのは、店主の橋爪孝憲さん。
見渡せば確かに、店内は一人で切り盛りするのに十分とも言えるような広さです。


大型店舗じゃない、都会じゃない、
そして昨今には珍しくネットでの宣伝活動も、ほぼしていない。
それでもこの小さなお店を目掛けて、北は北海道・南は沖縄までの全国各地から多くのファンが訪れます。
中にはわざわざ刻音のカレーを食べるためだけに7時間かけてお店にきて、食べ終わったその足でまた7時間かけて帰るというお客様もいらっしゃるそうです。

インタビュアー(以下、イ):本日はよろしくお願いします。
橋爪さん(以下、橋):よろしくお願いします。
イ:本格的にお話に入る前に、自慢のカレーを先程頂いたのでまず感想をお伝えしてもよろしいでしょうか。
橋:はい、率直にお願いします。
イ:…正直びっくりしました。カレーってこんな美味しいんですか?
橋:やらせみたいだなあ。(笑)
イ:いやもう、取材だからとかではなく、衝撃的でした!いわゆる欧風カレー、スーパーで売ってる市販のカレールーで作るようなものと大まかな括りは同じなんですよね。欧風カレーを外食する機会自体があまりないのもあるのかもしれないんですが、なんだろう、味に奥行きがある、と言いますか…拙い言葉にはなりますが、“カレーってこんなに美味しいの!?”と思いました。大衆料理のイメージを良い意味で裏切るカレーですね。

辛さの中に複雑なコクや旨味を感じるカレーソースと、
ターメリックライスの相性が抜群!

橋:ありがとうございます。おっしゃる通り、欧風カレーはどちらかというと大衆料理、家庭料理ですよね。外食するとしても大抵の人は格安チェーン店で食べるものという認識で。
イ:その前提認識があればあるほど、一口食べた時の衝撃がすごいです。
失礼を承知でお聞きしますが、秘訣やこだわりなど明かせる範囲で教えてもらっても…?
橋:特別なことしてないですけどね。もちろん、じっくり煮込んだりですとか、あとスパイスの調合や調理法をカレーによってガラっと変えたりなどはしてますよ。でも、それはレストランだったら普通ですからね。
そんなすごいことはしてない。
イ:何にせよ、ファンが多いのも納得のお味のカレーです。ちなみに一番遠方のお客様というとどの辺りからいらっしゃいますか?
橋:本当に色々ですよ。北海道から沖縄、東京大阪名古屋…九州圏外のお客様は珍しくはないかも。ああ、あとイギリスのお客様もいますね。
イ:まさかの海外ファンも!
橋:流石にコロナ禍ですから、なかなか九州圏外のお客様のご来店は難しいけど。
イ:全国各地にファンがいるというだけでもすごいコトですが、事前リサーチでキーワードとして浮かんだのが、「教えたくなさ」という。
橋:店主としては嬉しい反面、ちょっと複雑なんですけどね。(笑)
イ:でも、このカレーの味もですが、店内の雰囲気、居心地の良さ、橋爪さんのお人柄なども含めてなんとなく気持ちがわかります。このお店、とっても居心地がいいんですよね。隠れ家と言ったら陳腐な表現かもしれませんが…
橋:嬉しいですね。ボクの目標というかポリシーが1つあって、「リラックスして食事を楽しんでいただける空間づくり」というのを意識しているんです。その場にいて快適で、楽しく食事できたらそれが一番。この店はずっとお客さんたちにとって、そういう場所であって欲しいなぁと。
イ:そのホスピタリティが空間全体から伝わリます。


料理人になろうなんて気持ちは一切なかった

イ:こんな素敵なお店を作られた橋爪さんですが、やはり小さい頃からずっと料理人を目指してこられたんですか?
橋:いや全然!(キッパリ)
小さい頃から興味があったのは、工学とか科学とかのテクノロジー系ですね。技術開発というか。幼稚園の文集みたいなのにも確かそんな風に書いた記憶があるよ。
イ:全然違う分野なんですね。じゃあ結構青春時代というか、青年になってから料理に目覚めたという感じでしょうか…?
橋:ないない。(笑)大学は熊本なんだけど、工業系の学部に行きましたし、料理の専門学校とかも一切出てないし。というか、なんならこのお店、今年で9周年なんですけど、それがそのままボクのカレー歴ですよ。
イ:えっ、冗談ですか?
橋:あははは、よく言われます。まあきっかけというか、料理の道にいくことになった直接的な要因として思い当たるのは、大学の時にバイトしてた喫茶店かな。当時親の事業が少し傾いてしまったことでちょっとお金が入り用になったので、大学を中退してそのバイトして喫茶店で本格的に働くようになったんです。そこでまあ一通り色々やって身につけて…という感じなんですけど、これも別にシェフになりたい!とか修行のため!とかでもない。言っちゃえば生活のため。
イ:生活のため!?
橋:飲食店って賄いも出るから困らないでしょ?(笑)
イ:今一気にいろんな情報が出てきて驚いているんですけど、動機が現実的すぎません?
橋:しかも決まりかけていた内定を蹴って、喫茶店の店員になったからね。
イ:思い切りが良すぎます。そのお店はどんな喫茶店だったんですか?
橋:いわゆる純喫茶ですね。フードは日替わりのランチセットと、あとナポリタンスパゲッティとかサンドイッチなんかを出してたかな。朝8時から深夜の3時までやってるようなお店で、遅番早番とあって。ボクは遅番担当で、それを1年くらいやってた。とにかく回転が早くて忙しかった記憶があります。
イ:そこではまだ「シェフになるぞ!」の目覚めは来てないんですか?
橋:全然まだまだ。ていうかかなり先の事になるけど、大丈夫?端折って話しましょうか?(笑)
イ:いえ、寧ろじっくりお聞かせ願いたいです!

始めの一歩!フレンチレストランデビュー

イ:話を戻しまして、その喫茶店にずっとお勤めになっていた訳ではないんですよね?
橋:うん、なんかもっと給与が良い場所に行きたくなって、それで地元である福岡のフレンチレストランに転職するんだよね。これももちろん、生活のためですよ。(笑) 家族収入増やそうと思ったから。それで、そこのレストランが結構大きなお店…40席くらいかな?3階建てで、宴会場もあるような場所でした。
イ:そこで厨房に入られたのですか?
橋:ううん、ホール。それと兼任してデザートの盛り付けも担当。あ、でもここで初めてちょっとそれらしい話になるかも?この時に、フランス語に興味が出てくるんですよ。
イ:フランス語にですか?
橋:そう。ほら、フレンチレストランのメニューって、当たり前だけどフランス語でしょう。
イ:ああ、確かに!
橋:アラなんとか、とかドゥなんとか、みたいな。そういう単語を覚えたいなと思って、当時の料理長に質問して、メモしていって。そういう風にずっと教えてもらってたら、ある日料理長が「これやるよ」って料理事典みたいなのをくれたんですよ。それを見て、フランス料理に興味が湧いてきたんだよね。そしてある時「そんなに面白そうに見てるなら、キッチン見学する?」って言われて。
イ:だんだん今のお姿に繋がる面影が垣間見えてきましたね!ちなみにですが、その当時最も興味があったお料理って覚えてます?
橋:どれか特定の、というよりかは、もうフランス料理という概念自体が丸ごと興味深かったですね。メインがあって、デザートがあって、コーヒーでシメる。そして料理長が必ずお客様とコミュニケーションを取る…というような、食事の流れがすごく面白かった。あ、でもね、食べてみたいと思った料理はありました。セルベル・ダニョー…ってわかるかな?
イ:セル…?なんですか?
橋:仔羊の脳みそです。
イ:脳みそ!?
橋:そう、そんな反応になるでしょ。(笑) お客様にお出しする時もすごく楽しい料理のひとつだったなあ。基本的にどのお皿も必ず召し上がって頂く前に料理の説明をするんだけど、セルベル・ダニョーだけは後からネタばらしをするんです。見た目はお豆腐とかカマンベールチーズのような感じなので、まさか脳みそだなんてお客様は思わないから、知った後のリアクションがとてもよかったんです。
イ:想像に難くないですね。ちなみに、王道展開で行くとこの体験が料理を仕事にしたい!という意識の芽生えとなり、ここからフレンチのシェフとしての修行が始まる…なんて話の流れになりそうですが、そんな風には?
橋:ないない。(笑) 全然まだ。
イ:まだだった!
橋:このお店は1年で退職する事になるんだけど、その後は今度別の店でマネジメントというか、経営していく側になったりね。料理とは関わってるけど、自分が厨房に立って一心に何かするとかでは全然ないです。なんだろうね、ずっと料理自体は全然嫌いとかでもないんですよ。むしろ好き。でもそれはあくまで家庭で料理を作ったり、友達を呼んでホームパーティーの料理を作ったりとかの場面でする料理であって、仕事でそれをやる意識はなかったの。
イ:なるほど…もう本当に、趣味の範囲みたいな感じだったんですね。
橋:そう、趣味の料理。
イ:お店を移った理由というのは、どういったものだったんですか?
橋:まあ、これも生きるためというか、お金の部分もあるんだけどね。(笑) 簡単にいうと引き抜きですね。時はバブル全盛期だったから、もうどんどん色んなお店同士の競合も激しくて、ヘッドハンティングとかは全然当時よくあったんです。それまで居た場所でボクはホール係としてはバリバリ働いてたけど、当たり前に裁量権とかはなくて、その分給与だって勿論それなり。
でもねえ、勘違いしてたんだよね、自分がもっとできる!って…若かったんですね。それで、より好条件で働かせてくれる場所に行ったんです。すぐ近くのお店でした。

新たな場所で大奮闘!!ジェットコースターのようなマネージャー時代。

イ:至近距離の転職!?気まずくなかったんですか?私だったらちょっとメンタルが耐えられそうにもありませんが…
橋:全然。時代的にもよくあることだったしね、あと、何度も言うけど若かったので。(笑)ちなみにボクにフレンチのことを教えてくれた料理長も一緒に引き抜かれたんですけど、料理長を引き抜くというのはもう、お店が大胆に生まれ変わるということを意味するんだよね。つまりボクは、お店をリニューアルするにあたっての「結果」を求められての引き抜きだったんですよ。その結果というのが、「半年以内位に売り上げを1.5倍にしろ」というノルマ。
イ:恐ろしすぎませんか!?…待ってください。これまでのお話から計算していくと、当時20代前半とかですよね!?
橋:22とか3とかかな。
イ:20代前半の若者が、いきなり「はい、売り上げ1.5倍にしてね」を背負わされる…!?
橋:
背負わされちゃったんだよねえ。(笑)
イ:
修羅場どころの騒ぎじゃないですね…
橋:時代ですよねえ。
イ:ちなみに、その結末はどうなるんですか?
橋:4ヶ月でなんとかなったね。
イ:はい!?ええと、クリアしたって事でしょうか。
橋:そうです。4ヶ月で売上1.5倍にできました。
イ:ちょっと一旦理解を追いつかせたいのですが…
ここまでのお話だと、もともとは工学エンジニアを目指していた橋爪青年は、経済的な理由から大学を辞め、バイトをしていた喫茶店で本格的に働き始めます。その後福岡にあるフレンチレストランのホールに転職し、そこで少しずつフレンチに触れながらも、1年後に近隣店舗へとマネージャーという待遇で引き抜かれます。そこで半年以内に当時の売り上げを1.5倍に増やすノルマを与えられるも、それを4ヶ月でクリア…このときわずか20代前半?
何をどうしたらそれが可能になるんですか?
橋:
そんなに特別なこともしてないんですよ。とりあえず寝ないで働く、目標を明確に決める、ABC分析をしっかりやる、あとは任せられる部分は人に任せある程度は自分も楽をする、とか。
イ:笑いながらさらっととんでもない事仰いましたが、これ橋爪さん以外は絶対真似しない方がいいですね。
橋:ははは。(笑)当たり前のようにお店に泊まり込みっていうか仮眠だよねもう。レストランの近くに借りてた部屋あったけど、シャワー浴びる為にしか帰ってなかったですしねぇ。
イ:一応の確認なのですが、お休みとかは取れてました?
橋:遊ぶときはちゃんと遊べてたよ!飲みに行ったりとかもできてたし。 ああそうだ、そういう場所で学んだ事というか気付いた事なんかは、従業員教育にかなり反映されてたかもしれないですね。
イ:従業員教育ですか?
橋:そう。要はお店づくりって何か、人が集まるようなお店って何に集まってくるのかという話になるんだけどね。レストランにおいて、勿論料理は大事なんです。料理がちゃんと美味しいことは大前提。でもそこで働く人というのも、お客さんの来店目的になりうる訳ですよね。だからそこの強化というか、従業員日一人一人に「自分のファンを作るような接客をしてね」という方針でやってたの。
イ:ものすごく理にかなった成功の秘訣じゃないですか!
橋:この人に会いたい!って思ってもらえるのって強いんですよ。しかも、全従業員にそんなお客さんが何人もいたら最高だよね。あとそれと並行して、フェアやメニューの構成などで料理に付加価値をつけていく事に力を入れてました。
イ:多分それって一番近い言葉でいうと「ブランディング」ですよね。
橋:ああ、そうかもしれないですね。
イ:今でこそブランディングの概念って広く確立されていて、時には外部からコンサルタントを招致してまで丁寧にやってく事だという認識がありますよね。でも、その時代にいち早くそこに気付いてテコ入れをされたっていうのは、かなり先見の明というか、視野が広かったのだと思います。
橋:ものすごくいい言葉で言ってくれてありがとう。(笑) まあ、そのお店は半年でクビになるんですけどね。
イ:はい?
橋:一気に失業。(笑)
イ:…すみません、また急に大幅に舵が切られてちょっとまた頭がクエスチョンマークだらけですが、この記事を読むであろう読者を代表して言わせてください。これだけお店を繁盛させたのになんで!?
橋:ええとですね、簡単に言うと「やりすぎちゃった」んだよね。思った以上にお店が盛り上がってきた事で、当時のオーナーに「こいつこの店を乗っ取るんじゃないか」と思われてしまって。それで追放されました。
イ:そんなことあります???
こんなに頑張ったのに???

橋:世の中そんなものです。(笑)それで、あーもう料理はやーめよっ!って思って、そこからかなりの期間は仕事で料理と関わることをやめてます。
一度だけそのすぐ後かな?フランチャイズ展開してる飲食店の営業マンになって、まあお店のマネジメントめいた事も少しやったんだけど、ワリに合わなくて一瞬で辞めました。(笑) で、その少し後に実家の父に「そろそろ一旦帰ってきなよ」と呼び戻されて。その時にそれまでやってた事業を一旦廃業して、家族でまた新たな事業を始めることになり、長男であるボクがそこの代表、つまり社長になりました。
イ:レストランのマネジメントから今度は会社のマネジメントを。
橋:そうそう。(笑)そしてそこから約25年間はずっと会社の経営。
飲食とは一切無関係の、ITや携帯電話関係の事を手掛けてましたね。
イ:波瀾万丈人生ここに極まれりですね。

当時を振り返りながらお話して下さる橋爪氏。
エピソード1つ1つが濃密で、
つい前のめりで聞いてしまう。


イ:先ほどカレーを頂きながら少しだけお話して下さったのですが、この後さらに人生最大級のピンチが訪れるんですよね?
橋:そう。そしてそれが今この刻音を始める直接のきっかけであったり、自分の人生観を180°変えさせた出来事でもあります。
と、その前にもう一皿カレーをお出しするので、ちょっと食べてみてもらってもいいですか?
お腹、大丈夫かな?
イ:一旦CMで!のような綺麗な流れを作って頂いてありがとうございます。(笑) すごい!2種類のカレーソースが出てきました!


スパイスのいい香りが食欲を刺激する。
つい1,2時間前に一皿頂いたばかりなのに…


橋:
お皿にかかっている方はチキンカレー、もう1つは今月のシーズナルのカシミールカレーのポークです。ハーフ&ハーフで召し上がって下さい。
さっきお出ししたのが黒豚軟骨ソーキ(軟骨の煮込み)のカレーだから、豚肉がちょっと被ってしまうんだけど…
イ:全然構いません、もう既に美味しそう!では、取材特権でありがたく頂きます。…チキンカレーの後から来るじんわりした辛味、食べ出したら止まりません!!カシミールカレーの方は辛いけど同時にとても甘い!?どうしてですか?
橋:玉ねぎをかなりの量使ってるからです。その甘味は野菜の甘味なの。ちなみにカシミールカレーは、とっても辛いのですが、本来よりも結構抑えめにしてます。
イ:ごめんなさい、ちょっと食べるのに没頭しちゃいます。取材で来てるのに本末転倒で申し訳ないです!
橋:全然いいですよ。(笑) ゆっくり食べて一息いれてから、続きのお話にしましょう。

後編に続く>