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レジェンド

暑い。梅雨明けの声を聞く前に35℃を超える猛暑に溶けてしまいそうだ。

最近、音楽を聴いていて勝手にノッている自分がいる。音楽、とは読んで字のごとく音を楽しむことが本質なのだろう。

僕はいつの間にか流れている音楽を聴いて、楽しいと感じるようになってきた。

僕の文章をずっと読んでくれている方はご存じだと思うが、僕は精神を病んだ経験がある。だから死にたい、消えたいというのは自分の中のスタンダードでそれはずっと変わらないのだろうと思っていた。

今日の午前中、お気に入りのサックス奏者のYouTubeの音声を聴きながらボケーッとしながらもノッている時に「幸せだなあ。でもいつかこの幸せな時間にも終わりが来るんだな。嫌だなあ。死にたくないなあ」と思った。

そして最後の死にたくないなあでブワッと鳥肌が立った。ああ、オレ、死にたくないって思っている。というなんてことない感動だった。

僕は半年前の自分が今の自分を見ても、一年前の自分が今の自分を見てもめちゃくちゃ驚くんじゃないかと思う。まず生きることが楽になってきた。こんなに楽なもんなのか、と。今まで一体何を背負い込んで来たんだろう。

僕は精神を病む前、とてつもないすごい人間になりたかった。それはきっと周囲に認められない経験を長く続けて、すごくなれば認めてもらえるという安易な考えのもとに生まれたものだったのだろうと思う。

今でもすごくというか、自分が伸びて行けばいいなとは思う。でも動機が違う気がする。まだそれは言葉にはならないが、そのうち言葉になるのではないか。

とてつもないすごい人間、僕はそれを伝説と呼んでいたが伝説になりたかったらしい。恥ずかしい。こんなことは今まで一度だってシラフで誰にも言ったことはない。当時のことだとしても恥ずかしい。

伝説というのは説き伝えると書く。つまり語り継がれることだ。しかし語り継がれるなんてことはそもそも人に語られる人間でないとあり得ないのだ。

語られるのはいいことばかりではない。悪い噂もたくさんあるだろう。人にあげつらわれたくないとよく聞くが、それでは並の人にもなれないのだろう。

あの織田信長だって尾張のうつけ者と呼ばれていたのだし、あまり人にとやかく言われることを気にしてはいけないしむしろ言われるうちがいいのかも知れない。

あまりいい評判ばかり立てても崩れるのは一瞬。悪評されているくらいが人間、ちょうどいい。どんどん噂してください。実情は自分とその大切な人たちが知っていればそれでいい。そして中身がともなっているのだとしたらいつかその悪評も手のひらが返るだろうと。そのくらいの心持ちで生きていたい。

何せ人の話題にもあがらぬよりもくさされても人に覚えられている方が人間としては上等な気がしなくもない。

何より人に悪口を言われたと目くじらを立てるよりも、まあそんなこともあるさと言える人の方がおおらかで魅力的だ。だからそういうふうにいたいなっていうお話し。

志紀

おはようございます、こんにちは、こんばんは。 あなたの逢坂です。 あなたのお気持ち、ありがたく頂戴いたします(#^.^#)