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No.162【WHO IS】自己紹介:新井浩太って何者?①

こんにちは。

オンラインダイエットコーチ
メンタルフィットネスコーチ
新井浩太(こうた)です。

今日は僕の自己紹介をさせていただきますね。

その②はこちらから見れます。

HPのブログで161記事を投稿、noteでは95記事を投稿して、ようやくの
自己紹介ですがよろしくお願いします。

・生年月日
・生まれ
・家族構成
・学生時代
・社会人時代
・これからの生き方

の順でお伝えさせていただきます。

・生年月日

生まれは、昭和58年(1983年)4月6日、干支はイノシシです。

・生まれ

東京都内の病院で、出生体重3330gと小さくも大きくもない普通のサイズでこの世に生を受けました。

・家族構成

兄弟は4歳離れた兄、2つ離れた姉がいる末っ子です。

・学生時代

幼稚園から高校までは神奈川県厚木市で過ごしました。

幼稚園

幼稚園では、担任のS先生に「大きくなったら僕と結婚してください」とプロポーズをするような純粋な心をしていた園児でした。

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小学校

小学1年生の夏休みから3年生の3学期始めまで、父親の転勤でイギリスのブリジェンドという小さな田舎町に住んでいました。

現地の学校に通っていたため、人種差別を多少は経験しましたが、サッカーやラグビー、クリケットなど遊びスポーツを一緒にやりながら、多くの友達に受け入れてもらえて嬉しかった記憶が今でも残っています。

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日本に戻ってくると、当時はまだ帰国子女が珍しかったため、小学校のクラスでそこそこの人気者となり、人生最高のモテ期を迎えました。

中学校

しかし中学校に入ると、帰国子女パワーは完全に影を潜めてしまい、可もなく不可もない普通の学生生活を送りました。

中学校の部活は、小学生の頃に町内のソフトボールクラブに所属していたのもあって、野球部に入り、試合ではベンチを温めるのを中心に頑張っていました。

中学3年生になり、高校受験は当時の偏差値が中の中のレベルの海老名市にある有馬高校を受験。

進路指導先生に「有馬高校は新井には無理だからレベルを一つ下げなさい」と言われながらも強引に受験して、なんとか合格。

合格発表の日、帰宅すると母が玄関で待っていて「合格」を伝えると泣いて喜んでくれました。

母は、兄や姉の合格発表で泣いたことはなく、僕がどれだけ心配させていたのかと当時を振り返ると、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

高校

高校に入学しての学生生活は、中学校同様に可もなく不可もなく無難に過ごしました。

強いて言うなら、歴史の授業(先生)が大嫌いで、その授業中は家から持ってきたクッションを机の上に置いて枕にして堂々と居眠りをしていました。

授業もまともに受けないでテスト勉強もしなかったため、テストでは50点満点中2点などをとり、毎回赤点でしたが成績が1ではなく2だったのが今でも不思議です。

高校の部活は、サッカーとバスケを足して2で割ったようなスポーツのハンドボール部に所属し、3年生が引退して自分が部活動で最上級生となった時に部長に推薦されました。

しかし部長になったものの、人間関係に疲れてしまい途中で退部。

今でも途中で辞めてしまったことを後悔していて、当時のハンド部にいた同級生に謝罪をして、気にしていないと言ってもらえても、会うとまだ申し訳ない気持ちになります。

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専門学校

高校3年生になり、高校卒業後の進路を選択する時は、大学に行くために受験をしたくないし、4年間また勉強はしたくないという理由から、専門学校に行くことを選択。

調理師の専門学校とスポーツトレーナーの専門学校のどちらかで悩んだところ、国家資格がとれる調理師の専門学校を選択。

※料理系の方が、スポーツトレーナーの男臭そうな学校より女の子が多くいると思って、調理師の専門学校を選んだということは親には秘密にしています。

しかし現実は、栄養や製菓学科は女の子は多いのに対して、調理は男の方が圧倒的に多いことに入学後に気づき大変ショックを受けました。

そんな専門学校は家から遠かったため、入学と同時に学校の近くで一人暮らしを始めました。

1年生の夏休みはとくにすることがなく、家に引きこもってファイナルファンタジーⅧというゲームをずっとやり続けていると、新学期になって学校が始まっても行くのが面倒くさくなり、そこから更に1カ月間延長して学校をサボりながらゲームをやっていました。

新学期が始まった当初は、友達から学校にくるよう連絡があるものの、日が経つにつれて徐々に連絡が減り、このままでは友達を失うと思い、意を決して再び学校に通うようになりました。

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そんなこんなで2年間の調理師の学校を無事に卒業し、後半は真面目に学校に通っていたこともあって、卒業後の就職先は採用人数が1人しかいない当時の郵政公社が親会社の老人ホームの調理場に無事に就職をすることができました。

ここから社会人が始まるのですが、思っていたよりも内容が長くなってしまったので、今日はここまでにします。

明日、続きを書きますので読みにきてもらえると嬉しいです。

ということで、今日は以上です。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございます☆

また明日(^O^)/

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よろしくお願いします。

※自己紹介の続きはこちらから見れます。


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