02-誕生

坪田喜業義塾誕生

目的

サービスを受ける人、サービスを提供する人 そして社会もみんな喜べる三方良しの喜業人の集まりです。昨今流行っているCSV経営(Creating Shared Value)を実践していた近江商人に経緯を称して目的にしています。

名前に込めた想い

【喜業】に込めた想い

事業を起こす起業だけじゃなく、医療福祉や飲食業等の開業も人々に喜びを提供するものであることから名付けています 。挑戦者に優しい世界を創りたいです。そこで一番大切にしたいことが、薩摩の教えです。

薩摩の教え

一、何かに挑戦し、成功した人
二、何かに挑戦し、失敗した人
三、自分では挑戦していないが、挑戦する人を手助けした人
四、何もしない人
五、何もしないが、他人の批判だけをする人

【義塾】に込めた想い

公益のための塾という意味です。起業塾は世の中に多々ありますが、自分だけが儲かるような仕組みを提供していたり、起業塾主催者が儲かる仕組みになっていたりしているために、差別化を図りました。また、昨今言われているCSV経営(Creative Shared Value)のコンセプトをしっかりと踏まえて福沢諭吉が学校のことを【義塾】と翻訳したことに敬意を称しています。

また、義塾という名前だと、慶應義塾を連想する方が多いと思いますが、一万円札の福沢諭吉が慶應義塾を設立したのは1868年で、33歳の時です。当時、教育は寺子屋等が実施していたので、学校にて学費を徴収するというシステムは全くない中に実践しています。慶應義塾は教育界での起業なのです。そこにも経緯を称しています。余談ですが、福沢諭吉のヒット作「学問のすすめ」を出版したのが37歳の時でなんと、人口3300万人のところ22万部の発行部数を記録しています。貸本屋などがメインだった当時を考えると普及率は、軽くテレビやラジオ・インターネットを越えていきます。そして、今年37歳の私は、「喜業」というものを、福沢諭吉のように広めたいと想いから坪田喜業塾をここに誕生させました。

経緯

サークルを設立する前に、「喜業家」と名乗り始めてから、87個のプロジェクトの相談・支援・参画して参りました。実際に法人化していなかったり、サービスが断念されたりしていたので、プロジェクトと称しましたが、末広がりの「八十八」を応援したいという気持ちから、このタイミングにしました。

また、2019年に私は創業した法人を5法人売却致しました。そのエピソードは、タイミングをみて報告致しますが、創業、開業、上場企業からの出資、VC巡り、起業等々の経験を伝えたいとTwitterで呼びかけたところ数か月で約20のプロジェクトの支援をさせて頂きました。2020年までに20個という目安にしていたので、上記とめぐり合わせたような数字とタイミングと感じています。ちなみに、先週は、毎日違う分野の方々とお会いしてきました。業界は違えど、課題は同じだったり、業界が違うからこそ参考にしあえたりする点が多々あるので、折角お会いした皆さまの応援をしたく立ち上げました。

写真エピソード

ちなみにこの写真、約37年前の私です。私が生まれた時に、IPOを目指していた祖父は、週刊現代で写真のように掲載されていました。この写真には掲載されていませんが、隣のページには、日本電産の永森社長が掲載されていて、同じページには、フクダ電子が掲載されています。紆余曲折があって、祖父はIPOではなく、兼松商社に売却ということを実施しました。

ただ、そんな最先端起業家だった祖父に抱かれていたので、起業家のDNAを繋ぎたい気持ちで選択しました。

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坪田康佑自身の最初の一歩

大学学部の仲間たち

活動履歴


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