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真夏のほろ酔い六甲山

僕が住むフランスでは今週から外出禁止が解除された。とはいえ、残念なことにバーやカフェが営業を再開するのはまだ当分先だ。月の収入の看過できない割合を酒場に献上している僕としては、せっかく飲み屋の多いエリアを選んで住んでいるのに、人里離れた山小屋に幽閉されていのとさほど変わらない。そんな行き場のない鬱憤を少しでも発散したい。この駄文はそんな理由で生み出されている点、ご留意願いたい。



僕は学生時代、山小屋とは言わないまでも、神戸は六甲山嶺の「篠原台」という大変不便な場所に住んでいたことがある。この篠原台は、天空の大学として知られる我が母校神戸大学よりもさらに標高が高く、99%の神大生が登校を「登山」、帰宅を「下山」と呼ぶのにもかかわらず、僕は逆に、朝に下山、授業後に登山をする、山の民として生活していた。

その理由は至って滑稽で、地元大分から大学入学を機に神戸に出てきて、右も左も神戸の地理も分からぬまま、大学生協の仰せのままに下宿を選んだ結果、なかなかにとんでもないアパートをつかまされたのである。土地勘のある関西人は決して住まないだろう(稀に変な例外はいる)。大学生の味方であるはずの大学生協も、よそ者には冷たいのか。

山の上の下宿は、それはそれは不便であった。何を隠そう、唯一の交通手段である登山バスが夜20時半までしか走っていないのだ。つまり、下界(六甲道や新在家あたり)で飲んでいて、うっかり最終バスを逃そうものなら、帰宅するには片道約40分の登山が待っている。登山をされる方ならお分かりだと思うが、飲酒後の登山は命に関わる。

しかしながら、このアパートにも良いところが無いわけではない。まず、人がほとんどいないのでとても静かだし、標高が高いため夏でもクーラーが必要ないくらい涼しい。春には仲良く散歩する猪の親子を観察できる。それに神戸100万ドル(1000万ドルとも言うらしい)の夜景を自宅の近くから堪能することができる。そして、何よりのセールスポイントは、深夜の登山は面白い出会いを提供してくれるという点である。そのうちの一つをここに書きたい。

全く褒められたことではないが、そこに住んでいた間、毎日懲りずに下界の酒場に繰り出しては、深夜の六甲山を、汗だくになりながら、えっちらおっちら登っていた(おかげで、受験のストレスで激増した体重は翌年には元に戻った)。

たまに気分が昂れば遠回りをして、阪急六甲駅を北上し、山麓線を高羽交差点まで進み、いわゆる「国文坂」を登って、大学構内から見える神戸の夜景を拝んでから帰宅した。その途中で高羽公園という小さな公園を通過するのだが、そこに良い具合のベンチがあり、休憩を兼ねて一服着くのがお決まりのパターンだった。ごくたまにだが、その深夜の公園に先客がいることがあった。

ある茹だるような真夏の夜、いつものように一服入れようと公園のベンチに近づくと、暗がりの中に一人の女性がベンチに腰掛けているのが見えた。深夜だったし、電灯がほとんどない場所ではあるが、近隣には大学生ばかりが住んでいるので、深夜に若い女性一人でもそう珍しいことではない。それに、夜風がとても心地良く、外で涼みたくなるような夜だった。

彼女はイヤホンをして俯いていた。空中を見つめ、耳に神経を集中させているように見えた。僕は、邪魔をしないように、他のベンチに落ち着いて一服した後、すぐに立ち去った。彼女は、一応、僕の存在を確認したが、構わず自分の世界に浸っているようだった。深夜の公園で一人、音楽に集中している様子は印象的だった。音楽だと思うのは、音に合わせて少しリズムを取っているように見えたからである。

そこから何度か、僕が遠回りをしてその公園に立ち寄ると、彼女を見かける事があった。彼女は、いつも同じようにベンチに座って音楽を聴いていた。僕としても、ほろ酔いで深夜の公園にふらっと寄っている身なので、何か言える立場ではないのだが、この人は大丈夫なのだろうかとちょっと心配になった。だからと言って何らかの行動を起こしたわけではないけれど。

そこで見かける彼女はいつも音楽に集中していた。確かに夜の公園は一人の世界に没入するのちょうど良い。民家から漏れる明かりと少しの街灯以外に光はなく、少し遠くを通る車の音以外に何も聞こえない。イヤフォンで耳を塞げば無音だろう。神戸は都会とは言えど、阪急沿線より山手はとても静かだ。僕は、深夜の公園の静寂の中で、酔いで火照った体を夜風に当てるのが好きだったし、きっと彼女もそんなところだろうと思った。他の感覚を遮断して、音楽に集中するのに最適だったのかもしれない。

一ヶ月間ほど、度々彼女の姿をその深夜の公園で見かけだが、秋口に差し掛かったある日から、ぱったりと見なくなった。引っ越したのかもしれないし、後期の授業の準備が忙しいのかもしれない。もしかすると、夏の間は深夜の公園で時間を潰さなければならないような、特別な理由があったが、運よくそれがなくなったのかもしれない。いずれにせよ、それ以降、彼女の姿を見ることはなくなった。なんだか、同志を失って少し寂しいような気持ちになった。僕が勝手にそう思っていただけだけど。



そこから数ヶ月経ったある日、友人に誘われてたまたま行ったライブハウスで、彼女の姿を見た。その日の彼女は、静かな深夜の公園のベンチではなく、ライブハウスの爆音の中で、しかもステージ上にいた。僕は少し驚くと同時に、ああ、だからかと、何となく納得した。

後に聞いた話だが、彼女は僕の友人知り合いで、かつ同じ大学の先輩だった。深夜の六甲山 is a small world。

その後すぐ、僕は山の上のアパートについに嫌気がさして引っ越したので、深夜にその公園にふらっと立ち寄ることはなくなってしまった。そんな訳で、僕は、彼女がその後も、夜の公園で熱心に曲の聞き込みを続けたかどうかは分からない。今思えば、もう一回くらいライブに行ってみてもよかったが、結局行かずじまいだった。そして、彼女はいつの間にか卒業して、恐らくどこに行ってしまったのだと思う。

今住んでいるボルドーの街を、ほろ酔いでとぼとぼと歩いて帰宅する時、もしかすると、彼女は今もどこかの深夜の公園で、音楽に耳を澄ませているのかもしれないと、時折あの夏を懐かしむのである。

どこまでも怠惰な夏の話でした。



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