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【子ども教育#7】自由に生きるための教育

先日、子どもたちを連れて遊びにいったところで、

バスケットゴールをみかけた。

ひさしぶりにバスケをしたくなったので、

今日、ひとりシュート練習に行ってきた。


さて、3月は教育について書くと決めたので、今日も教育の話。


小中学生の頃、ストリートバスケばかりしていたのだけど、

毎日が楽しかったなあ。


なんでバスケに興味を持ったのだっけな。

仲の良いともだちがNBA好きで、

マイケルジョーダンのシカゴ・ブルズと、

マジックジョンソンのロサンゼルス・レイカーズ、

そこに、スラムダンク登場!

そんな感じだった気がする。


私は体がひときわ小さく、

明かにバスケをやるには向いていなかったのだけど、

そんなこと、私も、ともだちも気にすることなく、

知らない年上のお兄さんたちに、

「バスケのゲームしませんか?」

って、話しかけていた。


ただただ楽しかったんだよな。

これ、自分が活躍できるかとか、

勝負に勝てるかとか、

そんなことばかりにこだわる環境だったら、

バスケやらなかっただろうな。


教育は、人材開発とか能力向上の側面に重きをおかれがちだけど、

「好きこそものの上手なれ」

一丁目一番地は、能力より、何に向いているかより、まず関心なんだよな。



その後、中学ではバスケ部に入り、

一応、ユニフォームを貰えて、試合にも出してもらえた。

だけど、膝を傷めたことをきっかけに、部活に行かなくなった。

部活には、なんで行かなくなったのだっけな。



見学が苦痛だったのもあるけど、たぶん体質に部活動が合わなかったことが大きい気がする。

俺は、ずっと自由に生きてきたから、

自分で決めてきたから、

意味の感じられないことをやらされるのが苦痛だったように思う。

あと、年上だろうが関係なく、「バスケしませんか?」って、フラットに生きてきたので、組織構造が合わなかった気もする。


そのころ、バスケ部はスラムダンク効果で、部員数が何倍にも膨れ上がり、中腰や筋トレ、走り込みばかり。

ゴリのように、全国制覇とか目標があれば、それでも所属する価値はあったのだろうけど、私には目標はなかった。

友だちとバスケをやっているほうが楽しかったし、うまくなれた。


社会は理不尽だから、理不尽に慣れるって考え方もあるけれど、

理不尽を受け入れちゃったら、一生、理不尽に耐えることになるんじゃないか。


変わるべきは、社会のほうなんじゃないかって。

レッド、アンバー、オレンジ、グリーン、ティール、

自分と相性の良い色を選んだっていいし、

イノベーションを起こして、新しい色を生み出したっていい。


俺は、理不尽をなくすための教育をしたい。

その人なりに自由に生きるための教育をしていきたい。


















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