報道の委縮とフェイクニュース(4)

※この記事は、広島大学の講義レポートとして作成したものを、一部を加筆・修正して載せております。講義の担当教員には許可をいただいております。

〇新聞にみる政治報道の過去の例から考える

 

 政治家による報道へのクレームは、ここ最近に始まったことではない。戦後からジャーナリズムを担ってきた新聞各社は、クレームの電話が編集長やデスクに行っても大抵はそこから記者に広がることはなかった(1)。また、記事の検証も、現場の取材班と連携を取りながら、デスクが監督していたと思われる。報道制作過程は、出耒の役割が大きい。

 北海道警の裏金問題を例にする。最初にテレビ朝日で報道された裏金問題の真偽を会社に直接確認し、その情報源である資料が、道警が公開請求に基づいて明らかにしたのか内部告発であるかどうかを確認し、プラン立てや取材、証拠集めなど至る所で取材班と連携し、デスクが中心に動いていた(13)。また、デスクは道警への圧力に対しても突っぱねる姿勢を貫いている(13)。加えて、新聞のその担当の部長が、報道する事前に連絡をする条件以外はデスクをはじめ現場に任せていた(3)ことから、内容や根拠を十分検証され、かつ自由な報道ができる体制が整っていたと考えられる。では、テレビはどうか。ここでテレビを含んだメディアと政治家の関係に着目する。

〇テレビ会社と政治家の関係の変遷

 例えば、長年与党を務めた自民党とメディアとの関係を見る。ネットの普及まではテレビや新聞といったメディアが情報の通信だった。そのため世論へのメディア影響力が当時は大きく、メディアと政治家は、政治家一人一人を相手にしていてメディアに政策を伝えてもらう以上、取材で相手の本音を探り合いながら、互いの信頼関係を持ちつつ、メディアは取材をもとに、政治家の伝えたいことを伝えながらも問題点を同時に指摘する、といった監視体制が整っていた(4)。
 だが、テレビ報道では、時代的背景や法整備といった、特有な事情が絡んでくる。というのは、テレビが放送法の中でメディアとしての役割を自覚し始めたのはここ最近だからだ。放送開始当初の1950年代は娯楽中心であった。ジャーナリズムやメディアとして役割を持つようになったのはテレビ普及が増え、ニュース報道が始まったのが1960年代以降であり、政治番組や報道の役割が本格化したのは、テレビ朝日で1985年に放送された「ニュースステーション」以降である(5)。このレポートの前の章で取り上げた、不偏不党を定めた放送法の制約もあり、それを巡視しながら放送されてきた背景がある。もともとジャーナルとしての役割がなく、まだあるべき姿が定義されていないテレビ報道は、新聞メディアのような、整った番組の構成過程がまだ構築しきれていないともいえる。

〇政治家は、テレビ報道を"便利な道具"として使い始めてきた

 加えて、テレビ報道においては、自身の映像が映るがゆえに、政治家が視聴者へ好印象をもたせること、メディアを分析して都合よい広報をすることで支持を得ようとしてきた。その最たる例が今の与党自民党である。
 中断時期もあったものの、2000年代から自民党は広報戦略を変えてきた。例えば郵政民営化を図った時期は、多額の予算を投入して、「郵政民営化TVキャラバン」というTV放送される討論会を全国的に放送し、世論の関心を引き付けた(6)。また、単に有権者を引き付けるだけでなく、大規模な政府広報は現在も続いており(2015年度の政府広報予算は約83億円)、これに関与するマスメディアや電通などの広告代理店は政府(7)、とりわけ政権運営期間の長い自民党との顧客関係ができる。

 また郵政民営化を目指した2000年代前半は、コンサルタント会社ブラックジャパンのメンバーを加え、印象効果も徹底的に分析していた。テレビの場合、番組内容やその反応を分析し、話し方を変え、野党議員との共演では対抗できる出演者を選定し、テレビを積極的に利用し、選挙で大勝した(8)。特に、この時の複数の調査ではテレビ視聴時間が長いほど自民党支持割合が高いというデータが入っている(9)。近年のGoogle調査では95%の回答者が選挙関連の情報収集手段として利用していた(10)。メディアジャーナルとしての取材・検証基盤が新聞と比べると薄く、かつ現場で本人の映像を撮りながら取材し、視聴率を狙うために効果的な映像を編集し流すテレビだからこそ、その脆さを自覚しないと、知らず知らずのうちに権力の監視どころか、政治家のプロバガンダとなってしまうのだ。

 さらに日本のテレビ報道は制度的に政府に不利である。放送は実のところ総務省による免許制であり、状況によっては取り消しができるという優位性を持つ(11)。

〇民主主義国家において、"国葬に値する"人物が、権力を使って権力を監視するテレビなどのメディアを"法をかわして服従させてきた"という事実

  またメディア戦略の1つといわれているのだが、安倍政権復活以降は、安倍晋三自らテレビを含めマスコミのトップや関係者に頻繁に電話で連絡を取っていたという。政策の意見を聞き、そのことに礼を言うような電話を、聞き手の自尊心を満たすことでメディアを懐柔させていたのだ(12)。2015年のNHKやテレビ朝日のようにトップを「事情聴収」という、干渉ではない形態をとり、自民党がBPOを放送局から独立させ(自民党と関係の深い)政府関係者や官僚OBを人事に入れる案を示したことで、これは各メディアに大きな圧力となり、委縮効果を与えた(13)。

 こうした政権からの圧力に加えて、テレビ局はインターネットの普及で番組への不満が、1番組のプロデューサーではなく、番組全体のコーポレート管理部門に行き、局全体に行くこと、あるいは番組そのものや電話受付などの対応が悪いと、視聴者がネットなどで拡散し、そうした動きをみたスポンサーが辞めてしまう、といった経営問題にまでなってしまい、それを恐れて委縮してしまう(14)と考えられ、その結果当たり障りのない番組を作ろうとして、それは政治報道においては一層高まると考えられる。実際に、安倍政権下の時、総務大臣を務めていた高市早苗が、放送の許諾取り消しをちらつかせる発言(15)もあったので、メディアが政権の顔色を窺い、望んだ報道をする、といった形態は現実味を帯びてきた。

〇参考・引用文献

1. 西田 亮介. メディアと自民党. 2015. 角川新書. P41-42
2. 辻 和洋, 中原 淳. 立教大学. 社会情報学 第10巻1号. 2021. P7-11 Vol10No1_1.pdf [参照2022-06-05].
3. 2.同論文P11-13
4. 1.同著P41-45
5. 1.同著P196-204
6. 1.同著P66-71
7. 1.同著P71-76
8. 1.同著P95-104
9. 鈴木哲夫. 安倍政権のメディア支配. イースト新書. 2015. P168-170
10. 9.同著P166-168
11. 1.同著P200-204
12. 9.同著P58
13. 1.同著P206-213
14. 1.同著P213-215
15. ログミー株式会社. "【書き起こし】高市早苗氏「電波の停止がないとは断言できない」放送局への行政指導の可能性を示唆 2016年2月8日 衆議院予算委員会”. ‘ログミーBiz’. https://logmi.jp/business/articles/125281 [2022-10-03閲覧].

〇前回; 報道の委縮とフェイクニュース(3)

https://note.com/kosmo_note/n/nd5dc695e1e7b

〇次回; 報道の委縮とフェイクニュース(5)

https://note.com/kosmo_note/n/n712fe56a0242


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