面白みのある文章を書くキーワード【感情】
こんにちは、コーシローです。
先日こんな記事を書きました。
ブログをAIが書く時代になるかもしれないという記事です。
なので人間はAIに書けない文章を書く必要がある。
その鍵は感情。
感情を文章に込めることができれば、その文章に人間が書いたという価値が出るのではないか。
そんなことをこの記事では書いています。
こんなことを書いていてなんですが、僕の記事はどんどん感情がなくなっているような気がする。
なぜそんなことを思ったか。
ふとnoteを始めた頃の記事を読んだから。
上記の記事は約5ヶ月前のもの。
読んでみると、文章力がまったくないことが分かる。
だけどなぜなだろう。
僕はこの時の文章の方が好きなんです。
それはなぜなのか。
この記事には、感情が込められてるからではないかと思うからです。
感情を込めれば文章に面白みが生まれる
感情が込もっている文章には面白みが生まれます。
なぜ感情が込もっている文章には面白みが生まれるのか。
それは、本音感が生まれるからではないかと。
感情が込もった文章には本音感が生まれて、面白みがある文章になる。
なので、たとえ日記のような記事でも、人に読まれるものになります。
その点、文章力を上げよう上げようとする文章はどうなるか。
型にハマった文章になってしまい、面白みがなくなるんです。
僕に文章力があると言いたいわけでは一切ないのですが、なにか僕の文章は日に日にこの面白みがなくなっているような気がする。
なので、僕はこれから上手く書こうとするのを辞めます。
頭の片隅にある、文章の型は一旦脇に置いておくことにします。
感情を込め過ぎると文章で価値提供ができなくなる
文章に感情を込めすぎることで起きる懸念があります。
それは、価値提供ができなくなるのではないかということ。
文章に大事なものは価値提供。
なぜ人は文章を読むか。
それは、その文章には自分にとっての価値があるからです。
小説→楽しいという価値
自己啓発本→為になるノウハウが得られるという価値
芸能人のエッセイ→ファンへの価値
文章には価値がなくてはいけない。
これは文章を書く上で、基本中の基本。
なので、僕もこの基本にそって、自己啓発のような文章を書くことが多い。
しかし、僕は思う。
面白みが無いと。
自己啓発のような文章は、正直誰にでも書けます。
そんな誰にでも書ける文章を書いていては、誰のためにもならない。
なにより自分が楽しくない。
文章を書くのなら、自分が楽しくなるようなものでないといけないのではないか。
なぜなら、自分が楽しくないような文章には、感情が込められていないだろうから。
そして、感情が込められていない文章はこれからAIが書けるようになる。
そんな時、型にハマった文章を人間が書いていてはいけない。
感情を込めた文章を書くために、自分が楽しいと思える記事を書きたいなぁ、と思ったわけです。
承認欲求からの脱却
感情が込もった面白みのある文章を書かなくてはいけないのですが、この時に邪魔になるものがある。
それは承認欲求。
言わずもがなnoteはSNSです。
note運営側は僕たちクリエイターにこのnoteを継続して使ってもらおうと、試行錯誤をしている。
そんな中の一つに『スキ』がある。
僕はできればこのスキの数字を気にしないでnoteを書きたいと思っているのですが、どうしても目に入ってしまう。
ビューはダッシュボードを覗かなければ見ることは無いのですが、このスキだけはどうしても目に入る。
できれば、このスキの数も僕は見たくないんです。
なぜなら、スキの数のアップダウンに気分を左右されたくないから。
noteのクリエイターさんなら分かると思いますが、スキの数で記事を書くモチベーションは変わります。
「今回はスキの数が多かった!次はもっといい記事を書こう!」
「今回は思ったよりスキがもらえなかった…、書くのやめようかな…」
なんて風にスキの数で文章を書く、モチベーションは変わってしまう。
一見すると前者の、「次はもっといい記事を書こう!」の方は害が無いように思いますが、ずっとスキの数が多いことなんてありません。
そうなると、ふとスキの数がまったくない記事を書いてしまったらその人はどうなるか。
一気にやる気が無くなるのではないかと思うんです。
なので、僕はできるのならスキの数字は見たくない。
あくまで、文章を書く時は自分の成長に目を向けたいから。
自分の成長に目を向けることができれば、モチベーションを保つのは自分でコントロールできるものになる。
スキの数は自分ではコントロールできるものではありません。
自分のコントロールできるものに意識を集中させたいので、スキを見たくないというわけです。
おわりに
自分語りの多い文章は読まれません。
なぜなら、自分語りが多いと、読み手への価値の提供にならないから。
しかし、そんな自分語りはAIには真似ができない。
なので、もしかすると、文章を書く上でご法度だと思われていた、自分語りがこれからの時代には必要なものになるのでは無いか。
そのために必要な文章力は、感情。
感情を込めて、自分語りをする。
これがもしかするとこれから求められる文章力になるのかもしれません。
はい、今回の記事は言うまでもなくド偏見です。
そんな考えもあるかもな、と、エンタメの一つとして読んでいただけたら幸いです。
では、ここまで読んでいただきありがとうございました。
サポートされると、僕が喜びます。僕が喜ぶと、文章のノリがポジティブになります。