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私とN : ラブホが見えないほうの部屋

1月、大学の授業の一環としての1泊2日の合宿。
男女20名ほどで向かうのは、google検索をすると「○▲ホテル 幽霊」と予測変換に出てくるほどのボロいホテル。琵琶湖沿いのそこにバスは止まりました。

着いてすぐに講師が部屋割り表を配り始めます。
自分の名前を探すと私はNと2人部屋。
他の女子は6名部屋に押し込められているのに、私とNだけ2人部屋。
Nとは特別仲が良いというほどではないけど、ゼミが同じだったので会話をした回数はそれなりに多い。
二人きりの相手が他の女の子ではなくて話慣れているほうのNでよかった、ツイてたってことかな、と思いながら、部屋に荷物を置きに行きます。

部屋は大きなベッドが2つに、ローテーブルがあり、大きな窓があり、その窓からは琵琶湖が見えました。
「えー、やったぁ、琵琶湖見えるじゃん」
「写真、写真」
と二人で盛り上がっているうちに、部屋の扉がノックされました。

「おじゃましまーす」
「部屋見せてー」
と向かいの6人部屋×2の女の子たちがなだれ込んできます。
「え、待って、めっちゃ広いよ」
「琵琶湖見えるじゃん」
「私らの部屋からはラブホしか見えんのにね」
「そうやねん、ラブホ、数えたら5個並んでてん」
からからと笑いながら気付けばみんな2つのベッドの上に遠慮なく腰掛けていて、集合写真を撮る流れに。
体を寄せ合い、一人が片手を高く掲げて持つスマートフォンを見つめて沈黙。
「はーい、オッケー」
とスマートフォンが下されて、みんながふにゃーと息をします。

その時でした。
「まぁ、でもこの部屋、煙草のにおいするな」
「うん、入った瞬間思った」
「ここのへん特に強いね」
一人が口にしたのを皮切りに、N以外のみなが煙草の匂いをうったえはじめます。
あ、と私とNは顔を見合わせました。

「そうか、私、『煙草オッケー』に丸したから」
「私も丸した。というか、今言われるまで気づかなかった」

合宿にあたっての事前アンケートにはたしかにアレルギーや一人部屋希望などの項目と並んで、『煙草』がOKかどうかの項目がありました。
私とN以外はみな、煙草の匂いに敏感で、煙草の匂いが苦手で、煙草の匂いのない部屋を求めたのでしょう。

それこそが、私とNだけがみんなと違う部屋になった理由。

ほかのみんなが帰っていって2人きりになったあとの部屋で、Nが、すんと鼻で息を吸い込んでみせました。
「わからへんな。私、鼻炎やから、匂いよくわかんないんだよね」
私もすんと鼻息を立てて吸い込みます。たしかに、煙草の匂いがします。
「私は、気にすればわかる。でも、実家で家族みんな吸ってたから、ぜんぜん気付かなかったし、嫌とかない」
私にとって煙草の匂いは特別なものではありません。
煙草の匂いがするのは、壁の色がベージュなのと同じくらい普通のことで、いちいち気にも留まらないことでした。壁紙がベージュかホワイトか、気にすればまぁたしかにわかるけど、そんなことを部屋に入った瞬間に「ベージュ!」と思ったりしないのと同じように。

実家では父も母も兄も、煙草を頻繁に吸っていました。幼いころからあまりにもその香りに慣れているので、少しくらいの煙草の匂いなら敏感に反応することもなければ、嫌悪感を感じることもないのでした。

そうか、みんなは煙草のない家で育ったのかな。
みんなはどんなに清潔で、知的で、素敵な家庭で育ったんだろう。
京都大学に入ってから何度となく感じている、自分の“育ち”へのコンプレックスがまた波打ち始めました。
私の家族を見たら、みんなならどう思うか。『煙草の匂い』を感じて、やっぱり顔をしかめるだろうか。
想像して、私は寂しくなりました。

「これ、夜になったらもっと綺麗かもね。レイクビュー、やで! あんちゃん!」
Nが楽しそうに言います。
「ほんま、ラブホが見えるほうの部屋じゃなくてよかったな!」
Nが湖の方を見たままで、けらけら笑いながら言います。
私はNを追いかけるように窓際に寄って行って、琵琶湖を見つめます。
初めてまじまじと見た湖は、感動するほど綺麗と言うほどでもなかったけど、ラブホよりましなことだけはたしかです。
「そうだね、ほんとに!」
そのひたすらに大きな水たまりを見ながら、楽しそうなNを横で感じながら、私はNのようにとりあえず盛り上がってみることに決めていました。


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