「結局のところ"失敗"ができなくなる日は来るの?」
今の私は学生で、まだ守られている立場で、嫌な事は見ずに健やかに、自由に育ってきた。いつから失敗は許されないものになるのだろうか。守りたいものができた時、今と同じ事を言えるだろうか。そもそも道を間違えていたら?迷っているまま人生が終わったらどうしよう。そんな考えが最近浮かび始めている。この問いに答えはないかもしれない。
この言葉を聞いてなにを思いますか?
この言葉を書いたのは、中学生である。
先日、自分が書いてる「Note」を中学の先生が少しだけ授業で取り上げてくれた。
※正確には自分が書いてるNoteを自分がまとめたもの。
そして、感想を送ってもらったのだが、その中の感想の1つがとても頭から離れないものがあった。
人は守られるものなのか
人間というものは、生まれた時から守られている。
家族に、いろいろな人に守られている。
成長するにつれてどんどん守られていく。
学生は、学校に守られる。
社会人は、会社に守られる。
僕らを教えてくれた先生も学校に守られている。
スポーツ選手はチームに守られる。
又は、スポンサーに。
いろんな所で守られている。
守られるというのは、心強い。
中には、「守られてない」と思っている人もいるかもしれないが、どんな人でも一度は守られているのではないだろうか。
そして、その守られているという立場というのは、いつなくなるのだろうか。
一生、守られて生きていけるのだろうか。
今、守られてる状況から一変し、守られない状況になったらどうなるのだろうか。
想像もつかないし、想像もしたくない。
きっと僕は、儚く散る事だろう。
会社にも守られ、チームにも守られ、多くの人に守られて生きている。
だけど、この感想にも書いてあったように、守られている立場から守る立場になる時というのは、どんな時なんだろう。
結婚する時、子どもができた時、立場が上になる時、先輩になる時、いつなんだろう。
一応、守る立場になるけれど、守られているというのは変わらないのか。
そして、失敗を許されなくなるのはいつだろう。
よく、失敗を恐れずチャレンジしろ。
そう言われてきた。
僕は今もその精神だ。
だけど、失敗を許されなくなる時はくるのだろうか。
そんな事を考えた事はなかった。
失敗して、失敗して、それでもまた挑戦する。
それでいいと思ってた。
というか、今もそう思っている。
だけど、失敗が許されない。
そんな状況というのは現れるのだろうか。
その状況とは、取り返しのつかなくなるとき。
そういう時の事を言うのだろうか。
守るべきものがある時は、失敗は許されないのだろうか。
必ず成功を求めないといけないのか。
成功するものを選ばないといけないのか。
だけど、それは面白いのだろうか。
面白いを捨て、「確実」をとらないと行けないのか。
さっぱりわからない。
僕は、まだまだやれる事はやりたいと思う。
それができなくなると思うと心が痛い。
沢山の事を経験し、沢山の事を学びたい。
わからない事を学んでいる時の気持ちは、いつも新鮮でいつも楽しい。
それを見て、失敗していると思う人もいるだろう。
だけど、「失敗」というのは自分が決めなければ失敗ではないのではないのだろうか。
他人が決める失敗と自分の中の失敗。
それは、違う。
と思う。
結局のところどうなのだろうか。
僕が今まで生きてきて、失敗した人をバカにしたり、見下したり、そういうところを何度も見ている。
他の人もそうではないだろうか。
失敗した事だけを取り上げ、おもしろおかしくする。
そんな事ばかりしているから
「失敗はダメ。」
そう思ってしまうのではないだろうか。
失敗を恐れずチャレンジしろ。
だけど、失敗したらしたで色々言われる。
そんな矛盾ばかり起きている。
そんなんでいいのだろうか。
誰が答えを知っているのだろう。
迷ったまま人生が終わったら。
道を間違えていたら。
誰もが不安になる。
絶対というものが存在しない限り、数少ない不安要素に引き込まれてしまう。
いつから失敗は許されないものになりますか。
守りたいものができた時にまた同じ事が言えますか。
僕の答えは、わかりません。
教えて下さい。
だけど、先に言っておきます。
僕は、失敗します。
失敗が許されなくなる日が来るまで。
橋本光晟
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