臨採日記【猫を液体と言ふを】

葉月三日、つれづれに川のほとりにありくれば
猫の褥となる園のけだるきなるに出会ひなどす。

世に習へば、犬に組すや、猫に与すや、とて
翁はいづれにもあり、いづれにもあらず。

されど、のんべりと、ここそこと
猫の溶けたるを並べ置きたるがありさま
自他のさかひを弁へたるやうにて
心にかかりなむいくばくかありける。

ひかる君の物語なりや、
薫の猫をとらへさせたまひ
その音に「寝う」とぞ聞こすなるは
愛しき心地も侍る。

寝の語に触れたれば
頭に添へたきは枕ならむ。

かの草子、
のちのちにても、噺の口切りをせむときに
枕話せむと言ひならはすも
心に写るよしなしごとの妙なる親なり。
これ、現代のピロートークにあらず。

さあらば、
徒然なる法師の草子はこの流れに結びて、
時にして三百年ほど隔たりあんなるも
言はむとするところ通ずるものあり。

紫式部、清少納言、兼好法師、
いづれもいづれも
身の程の弁ふるを知るべし、とか言ひたらむ。

無徳なるもの、
見ぐるしきもの、
かたはらいたきもの、
(枕草子)

あるは

したりがほにいみじうはべりたる人、
(紫式部日記)

また、

道に心得たるよしにや。
(徒然草)

翁、ふと思ひつけるに

徳利に足掛けて渡らんとす、
たちまち転げるなりやいかん。

その心は「銚子に乗りたり」とて
「調子にのる」のあざりなりけり。

つぶさには、徳利と銚子は異なるものなれど。

かくて、現代に陽キヤ、ぱりぴを
そしりなどするもおほかれど
人の、つけあがり、我が物顔をするに
お歴々だに心苦しきと覚えしや。

さらば、猫の犬の、愛しきさまはいかならむ。

これ疑ふらくは
けなげなる、
いとけなき、などの
頼りなくおぼゆるところ
ひたむきなる命の、
いそしむところにこそあれ。

あさましきさま、
あどけなきさま、
あざときさま、など、
あじきなしとぞ思へど
たたはしとも感ず。

いま、己の愚かしきを正眼弁へて
伏し目がちに猫の寄りたりなむもぞ。

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