【漫画】「おかえりアリス」

 中学生のとき、日に日に進むからだの変化に恐れを抱いた。脇毛やすね毛は、最初は一・二本なので爪で抜ける程度だったが、そのうちに抑えが効かなくなり一気に増えた。声の音程コントロールが効かなくなり、まだ慣れぬ低音域の声を模索した。ブラウン管に映る脇毛臭の感じられないジャニーズは、女子とはまた異なる形で男子の密かな憧れとなった。

 押見修造氏の描く漫画「おかえりアリス」は生と性の間(あわい)で揺らぐ高校生たちの物語だ。

押見氏の作品は、「デビルエクスタシー」「漂流ネットカフェ」「惡の華」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「ぼくは麻理のなか」「ハピネス」「血の轍」などなど、初期の頃から大好きで読み続けているが、「おかえりアリス」での人間心情の描写は一つの集大成とみえる。トーンを使わずに線画で影を表現するシーンが多いのは、中学生のノートの落書きの延長のようでもあるが、作品の生々しさを際立たせている。
 
 主人公である亀川洋平君は中学生の時の性の目覚めが尾を引き、美少女で幼馴染の三谷結衣さんとの恋愛を夢見ている。そこへ、中学の時に他校へ転校してしまったもう一人の幼馴染である室田慧君がスカート姿で「男を捨てた」といって戻ってくる。慧さんに恋心を抱いていた三谷さんは、当てつけのように洋平君と付き合うことになるが、洋平君と慧さんは(男)(女)の壁を剥がした性を委ね合う。
洋平君は、自分の対象は女子と思い込んでいるが、身体は男性の慧さんの艶かしさに身体がどうしようもなく反応してゆく。ジェンダーに幼き頃から悩み抜いていた慧さんは洋平君よりも人生濃度が高い。洋平君のエスコートにより洋平君の性が揺らぐ。そして、性になる前の生を感じていた小学校時代を思い出しながら一線を超える。
小学校時代は、なぜあんなにも情動の赴くままに友達関係を構築できていたのだろう。同じ性の中で「生きる」「生きづらい」を感じながらそれが世界の中心のように毎日を過ごしていた。中学生になるとその「生」が「性」へと変換する、というか変換させられる。環境や道徳によって。4巻で、洋平君と慧さんが小学校時代のプールでまみれて遊んでいるシーンは、友情とも恋愛とも区別のない融解を想起させる。
たかだか近代以前までの日本でも同じ性同士の愛情は蔑まれるものではなかったし、むしろ純粋なるものであった時代すらある。
どうやら僕は「おかえりアリス」を読みながら、「生」と「性」が断絶せずに生命のエネルギーとなる倫理観を、慧さんの言葉を通して体験しているようだ。


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