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うれしい断髪式

日本のニュースをぱらぱらと見ていたら、サガン鳥栖で有名な佐賀県鳥栖市の中学生の男の子が医療用ウイッグに寄付するため髪の毛を伸ばしているという記事が目に入った。(「医療用ウィッグに」決意の長髪 鳥栖の男子中学生、学校側も理解 ― 佐賀新聞2021年5月3日)

この少年は小学五年生から髪の毛を伸ばし始め、目標の32センチ以上までもう少しなのだという。がんばれ!

その記事をみて、自分が髪を伸ばしたときのことをふと思い出した。

以前「ドリンクひとつ無料!」の記事でも触れたが、私には国際色豊かな女性たちの仲間がいる。
そのメンバーのひとり、フランスはノルマンディー地方出身のオレリーはユーモアのセンスが豊かで、とにかく彼女といると笑いが絶えない愉快なキャラクターだ。
仕事がてんぱっているときすら、ツヤツヤの栗色の髪を揺らしながら、大きな身振り手振りで明るく笑い飛ばし、みんなに活力をくれる。

そんなオレリーが、乳がんであることをみんなに伝えたのは今から5-6年ほど前のこと。

「年取った親に心配させるだけだし、こっちにいたほうがいろいろ身軽だから」
と、フランスに帰らず、ロンドンで治療を続けることにした彼女は、近くに住む友達からのサポートを受けながら、外科手術そして放射線治療を乗り越えていった。

「もうすぐね、髪の毛がみんな無くなるから、ウィッグを買いに行こうってたまたまフランスから見舞いにきていた父親と一緒にでかけたのよ。いやあ、大失敗よね。父親のほうがすっかりセンチメンタルになっちゃって、しかもアドバイスなんか男親にできるわけないじゃない。あんななら、みんなについてきてもらえばよかったわー」

いつもの調子で笑顔いっぱい、冗談にしながら彼女が話す治療中のエピソードは、私たちを笑わせてくれたけれど、でも、同じくらい、彼女がその内側にしまっているものを感じさせた。
強い。本当に。

せっかくだからとオロオロするお父さんを横目にピンクや緑、いろんな色のウイッグを試した…というその話しの中で、私の耳に残ったのが、彼女のこの言葉だった。

「これまで考えたこともなかったのよね。ウイッグの市場相場なんて。仮装するために派手な色の安いパーティーウイッグはみたことがあってもさ、普通にみえる医療用ウイッグの値段なんて、みたことないじゃない?それが、すごい値段なのよ。自然にみえる人毛のウイッグってすごい高級品なの!」

ちょうどそのころ、日本にいる友達の娘さんが、バレエを辞めたのに伴って、腰まであった髪の毛をバッサリ切って寄付したという話を聞いたところだった。

そんなに若々しくも力強くもない猫っ毛だけど、それでも何かの足しにはなるのだろうか?

オレリーの話は、いいなと思いつつ行動に移せなかった私の背中をグッと押してくれた。

グーグル検索と、いくつかの電話の後、イギリスではLittle Princess Trustという団体が子供向けの人毛ウィッグを贈与する活動をしていて、そこなら寄付を受け付けているということが分かった。
そして、その日から、私の髪伸ばし生活が始まった。

ちょうどそのころ、私の仕事は南米への展開フェーズを迎えていた。
2-3か月おきに、パナマやメキシコやコロンビア、ブラジルへ出張する生活。
普段だったら、荷物を小さくするためにホテルのシャンプーで済ますところを、しっかりトリートメントまで荷造りし、強い陽射しに髪を焼かないよう帽子もかぶって気をつける。
誰かのものになると思うと、自分の頭につながっていながらも、まるで預かりもののような気持ちがして、ブラッシングもなんだかふしぎと丁寧になった。

「ね、ずいぶん髪の毛長くなったんじゃない?伸ばしてるの?」

2年ほど経つと、明らかにこれまでとは違う私のヘアスタイルに、いろんな人からそう訊かれるようになった。
そして、当のオレリーからも。

オレリーは、乳房の切除の後、放射線治療も乗り越え、少しずつ体調のいいときに出社するようになっていた。

「でもね、まだアルコールは飲んじゃいけないっていわれているの。飲めるようになったときこそ、あのメンバーでお祝いするときだから、それまで待ってて」

私のデスクの横を通りながら、そういった彼女は、続けていった。

「早く私もまた髪の毛を伸ばしたいな。しかし、なに、心境の変化?ずいぶん長くなってるじゃない」

私はニッコリとだけして彼女を見送った。
だって、まだ30センチを越えてないもの。

そして、とうとうその日がきた。
お医者様からアルコール解禁が告げられ、いつものメンバーで集まることになったのだ。
場所は、オレリーがみんなに闘病に入ると報告したのと同じフレンチレストラン。

「かんぱーい!」

闘病のいろんなエピソードを、いつものように、冗談にして次々と披露するオレリー。つらい話もいっぱいあったのに、それでも私たちは終始笑い転げていた。

「このままうまくいったら、年末には乳房の再形成手術を受けられるの。でもそれは治療じゃなくて外観のためになるから、自費で負担しなくちゃいけないんだけど。だからね、今年の私の自分へのクリスマスプレゼントはオッパイなのよ!」

本当になんて強くて美しいんだろうと思った。

みんなが気持ちよく酔っぱらったその夜。帰り道に、私は、彼女の強さに敬意をあらわしたくて髪の毛を伸ばしたとオレリーに伝えた。
こうしてシャンパンで彼女のお祝いができ、髪の毛も目標の30センチを越えたから、そろそろ寄付しようと思っているということを。

「私の戦いが、繋がって広がってたなんて嬉しいわ。ありがとう」

美容院で、小さな束に分けられた髪にバッサリと鋏を入れられた瞬間の心地よさ。
こんなに嬉しい断髪式はなかった。

会社を離れた後も、メッセージの飛び交う仲間のグループチャット。
ロックダウンが始まった去年の春。オレリーからビッグニュースが告げられた。

「妊娠したの!ボーイフレンドも私も本当に嬉しくってたまらない」

そしてついこの前、男の子が生まれたという報告がやってきた。

ロックダウンじゃなければ、いつものメンバーで集まっているところだけれど、顔をみてのお祝いはお預けだけど、でも、嬉しさの度合いは変わらない。

今や昔と変わらない輝くような栗色の髪をもつ強く美しいママと、その強さを間違いなくひきついだであろうベビーの顔をみるのが楽しみだ。

いただいたサポートは、ロンドンの保護猫活動に寄付させていただきます。ときどき我が家の猫にマグロを食べさせます。