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ドリンクひとつ無料!

いまでこそロンドンで暮らしている私だが、英語の勉強は中学校からの学校の授業と、市販のTOEFLのテキストを使った勉強だけで、英会話学校などには行ったことがない。
勉強し始めた最初の頃、どうしても日本語で考えたものを逐語的に英語にする癖が抜けず、手こずったのが不可算名詞の考え方だ。
ケーキは a piece /slice of cake、液体なら a glass of waterやa bottle of wineといった単位をつけるあのルール。
今になって振り返ってみれば、日本語だってタンスは一棹、ウサギは一羽なんて面倒くさい数え方があるけれど、日本には「~をひとつ」という逃げ道がある。
なのに、英語ってば、ちゃんとどんな単位を使わないといけないか覚えておかないといけないし、one cakeなんて云っちゃうと丸々のホールケーキに間違われちゃう。ああ、なんて面倒くさいんだろう。



前の会社で長期プロジェクトに関わっていたころ、そのメンバーは日本ほど男性優位なわけではないけれど、やはり相対的に女性の人数は少なかった。
だから一緒に仕事をしていくうち、自然にいろんな部門にちらばる女性陣の輪のようなものができていった。

フィンランド人、ポーランド人、スペイン人、フランス人、スコットランド人、スリランカ系イギリス人、パキスタン系イギリス人、そして日本人。

年齢も、環境も、文化背景もバラバラ。
けれど、職場のゴシップ、仕事の話から、何気ない食べ物やファッションの話まで、とにかく話題に困らない、笑いにみちた仲間だ。
最初は仕事帰りに食事にいくグループだった。
それが時間をおうごとに仲がどんどん深まっていき、みんなで一緒に休暇を取って遠出をすることになった。

なにしろみんなの出身国は幅広い。カバーできる言語も数多い。そしてロンドンから週末で遊びに行ける国もかなりある。
それだけに、行き先の候補もたくさんあったが、結局、スペイン・カタルーニャ地方出身のヌリアが幹事を務める、バルセロナ食い倒れツアーに決まった。
せっかく行くなら、ヌリアの地元にも行きたいし、だったらそこで5月に行われる聖体祭に合わせて訪ねよう。

聖体祭。
それはカソリック教会のお祭りのひとつ。
最後の晩餐で、イエスが「パンは私の体、ワインは私の血と思いなさい」と弟子たちに与えたという言い伝えから行われるキリスト教の儀式「聖体拝領」にちなんで、1264年にベルギーで始められたお祭りのことだ。

そしてヌリアの地元、シッチェスというバルセロナから車で40分ほどの街では、聖体祭にはフラワーカーペットというイベントが大々的に行われ、生花を使って道路が美しく彩られるという。

「花の香りと色とりどりの花びらで包まれてホント幸せな気持ちになるお祭りなの。せっかくみんなが来るならその時がいいと思うのよね」

ヌリアがグーグルの画面をみせながらいった。
しかも、その週末に合わせて、商店街のバルがこぞって飲み歩きさせるワインフェアをするらしい。

こうして目的地とタイミングが決定し、私たちはそれぞれの仕事状況に合わせたフライトを予約してバルセロナに飛び、ヌリアの家に集合することになった。



「さ、フラワーカーペットを見に行く前に、お昼を食べにいこうよ」

みんながそろった土曜日の朝。ヌリアの号令がかかった。

村いちばんのレストランだというその店に私たちが足を踏み入れると、人種もさまざまな女性7人のグループが話す英語の声は店内のお客さんたちの注意を引きつけた。
けれど、ヌリアが地元のことばカタルニア語で話し出すと、それが安心感をよんだのか、一瞬下がったざわめきのボリュームがまた元に戻った。

テーブルにやってきたウェイターくんは、緊張した面持ちで「ハロー」と英語でいいつつメニューを手渡した。
例えるなら、千葉の勝浦の刺身居酒屋に、いきなり人種もさまざまなガイジン女性のグループが大声でしゃべりながら現れたようなものだから、まあ緊張するのも当然だろう。
ヌリアがすかさず「大丈夫。私が訳すわよ」と緊張をほぐすように笑顔をむけた。
ホッとした表情でカタルニア語で続けるウェイターくんの説明をヌリアが英語にしてくれる。

「これはランチメニューで、そこに無料でドリンクがひとつつくんだって。コーラ、ミネラルウォーター、赤か白ワインから選んでくださいって」

私をふくむ数人は前夜に到着しバルでワインも楽しんでいたけど、みんなが揃った初日のランチ。いわば週末が始まったばかりの初めての食事だ。
だからか、みなコーラやスパークリングウォーターといったノンアルコールの飲み物をオーダーしていった。

が。
もちろん、私のオーダーは

「Vino blanco, por favor!(白ワインください!)」

だって、お休みモードだもん。
ウェイターくんも、アジア人がスペイン語を発したことが嬉しかったのか、ニッコリ笑顔を返してくれた。

そして。

コツン、コツン、コツン、コツン、コツン、コツン、ドンッ。
コーラの瓶、水の瓶、コーラ、水、コーラ、コーラ、そして最後にフルボトルの白ワインがテーブルの上に置かれた。

普通だったら「ドリンクひとつ」無料で想像するのは、250mlのコーラの小瓶、500mlペットボトルのミネラルウォーター、そしてグラス一杯のワインというところ。
でも、どうやらヌリアによると、テーブルごと何人かのお客さんがワインを頼むことが多いので、ボトルをテーブルに置いて好きなだけ飲んでもらうのが普通のやり方なのだそう。

「え、コーラも水もひとりひとつ (one bottle) なんだから、ワインも私にひとりひとつ (one bottle) でこれ全部飲んじゃっていいのよね?」

私はウェイターくんを見上げて訊いた。
他のメンバーは私がボトル一本くらい開けてしまう呑んべえなのを知っている。だからちょっとニヤリとしながら見守っている。

ウェイターくんが、え、ひとりで飲む気なのという様子で目を見開きながらこたえた。

「もしも飲めるんだったらね」

やったー!
不可算名詞のギャップがこんなに嬉しかったことはない。

その答えをきいて、三軒茶屋にあったペペロッソというイタリアンレストランを思い出していた。その昔、ハーフボトルのワインを頼むと、ワインボトルが置かれて「半分まで飲んでくださいね」といわれるそのお店。
ボトルに線が引いてあるわけでもないので、こっそり多めに飲んだものだった。

もちろんありがたく、私はそのキリッと冷やされた地元産の軽めの白ワインをボトル一本きちんと飲みおえ、笑顔でお礼をいって、みんなと一緒に店をでた。

ロンドンで暮らす楽しさのひとつが、いろんな国から来た仲間たちとの交流だ。

インドやトルコやアルバニアにコロンビア。もし訪れただけだったら風景や食べ物を楽しんで終わるかもしれない土地。けれど、いろんな国の出身者がいるので、行く前や帰ってきた後に文化や歴史背景について深堀りして教えてもらうことができた。

パキスタンとインドとスリランカ、それぞれを「みんなカレーの国」とひとくくりしていた私に「まあ、私たちも中国と韓国と日本の違いを分かっているかといわれたら難しいものね」と詳しくその歴史や文化を説明してもらった。

フランスとスペインはともかく、実はポーランドやアイルランドもカソリックという共通の文化背景をもっていて聖体祭の思い出を共有できるなんて知りもしなかった。
国境はかならずしも食や文化、言語のつながりを示していない。近現代史が切り裂いた西欧東欧の線引きも、深い長い文化と歴史の水脈で繋がっている。

「あのボトルがドンと置かれたときには笑ったよね。またいつか、ヌリアの地元にいって、ボトルのワインで大笑いしようね」

気づいたら、もうあれは3年も前のことになる。
そのあと仲間たちでディナーをするたびに思い出す話題になっていた。

今ではみんな別の会社に勤めるようになってしまったけれど、でもコロナが終息したら、また遠足の続きをしようとグループチャットで話している。

次は、フランス人オレリー幹事によるフランス、ノルマンディー地方の旅かな。

いただいたサポートは、ロンドンの保護猫活動に寄付させていただきます。ときどき我が家の猫にマグロを食べさせます。