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『なんちゃってスイミング インストラクターからの〜スポーツクラブ トレーナー編』

 また日にち空いてしまってスミマセン。これがまた、忙しかったわけではなくて(汗)年末年始がっつりとゆっくりさせていただきまして・・・。何はともあれ、今年またお付き合いいただきありがとうございます。  
 さて前回の話で、受け持っていた幼児クラスの子達は、今やその当時の自らの年と同じくらいの子がいたりなんかする歳になっているわけで。そんな30年以上昔のお話をさせていただいてます。
    幼児や小学生のまだ泳ぎが上手くない子供たちのクラスを中心に、サポートのコーチをしていました。それに少し慣れてきた頃から、少しづつ、やや上のクラスで、クロールはしっかり泳げるようになった子たちの次のステップ、平泳ぎや背泳ぎ、バタフライ等を教えるクラスもサポートもしたり出来るようになっていきまして、だいたい仕事終わるのは18時とか19時頃といった感じでした。
     その後の夜の時間は、選手選抜クラスや成人の一般クラスだったりするので、サポートするにも、それなりの技量でなくてはならなくて、ペーペーの新米コーチには、任せてもらえるお仕事ではありませんでした。
そんなわけで、バイトのみで考えたら、その後も十分働ける時間はあるのですが、実力不足につき、その時間であがりとなってました。
 ちょっとここで思い出す話がありますね。 なんか、塾講師のバイトの時のような、実力社会の縮図になったりしないよなぁ・・・ってね。実際、ベテランの専属の方や、他大学の現役水泳部などの、レベルの高いコーチがたくさんいました。空いている時間もあるようでしたので俺がサポートしなくてもよいクラスもあったような気がします。そのような状況で、このバイトも長く続けられなくなるかも?なんて頭よぎったりもしていまして・・・。
 2-3か月くらいしたころだったかな、ある日の仕事上がりに主任コーチに「ちょっといい?」と呼ばれました。やらかしたような覚えが、何も無かったので、これはもしや?なんて頭によぎりつつ、促されて応接室まで行くと、別のコーチが待っていました。最近見かけていなかったこの女性コーチ、新しめの色落ちしていないジャージパンツと、胸には緑と赤のデザインの見たことのないロゴが入っているポロシャツという、いつもの感じと違ういでたち。なんだかわからない状況が続く。
 主任コーチから「ムサシコーチって、うちでは夕方くらいまでのクラスまでで、そのあとの時間って、空いているんだよね。元々は夜まで働きたいって希望だったと思いますし」と切り出してきた。
ん~辞めてくれって話の流れではなさそうな?なんだこの状況は?
すると、待っていた女性コーチが、
「隣の敷地で工事しているのは知っているよね、そこに新しくスポーツジムをうちの会社で創っているんだけど、そこで一緒に働きませんか?オープニングスタッフで」と。
「そうしたら、遅い時間まで働けるし、ムサシコーチの働きぶりは分かっているので、会社としても有難いんだよね」と女性コーチが続ける。
「もちろん、今のスイミングの仕事は、そのまま続けてもらって、その後ジムのほうで働くっていうカタチで大丈夫なんで、どうかな?」と主任コーチも続ける。
 就業時間が長くなり収入も増えるし、自分を評価してくれていることもうれしかったので、断る理由はなかった「そういうことなら、是非よろしくお願いします」と即答。
 そういうわけで、スイミングインストラクターと並行して、スポーツクラブの仕事も始めることとなる。
 スイミングスクールの隣に新しく出来た『オーククラブ』のオープニング準備がほぼ済んだ頃に、
・ジムの施設内説明や器具の使用方法
・新規会員への説明の流れ
・トレーニングメニューのアドバイス方法
・プール監視の基本
・その他、伴う仕事
等のレクチャーを受けて、ジムのトレーナーとしての第一歩となる。
 新規オープンの真新しい匂いの施設、サイクリングマシンや、座った状態などの体勢で、鍛えたい部位のみにウェイトをかけて稼働させるマシントレーニングの機械が何種類も並んでいるジムルーム。その横にはエアロビクスなどができるガラス張りのスタジオが併設された洒落た雰囲気のつくり。その頃までの、バーベルやダンベルといった器具でウェイトトレーニングをするのが基本だった男くさいジムのスタイルがまだ主流だった時代からの転換期でもあったので、かなり流行ってのスタートとなってました。今でもこのスタイルが主流の一つですよね。
 そんなわけで、オープン当初はトレーニング機器の仕様方法をを数人のグループ単位でレクチャーしていく、というのが毎日のように続きました。基本的に、14時ころからスイミングスクールでコーチ、18-19時ころからスポーツジムにてインストラクターの仕事。スイミングスクール無しで16時ころからジムのみということも。学校の夏休みに入ったころには、午前からスイミングで15時ころにジムへ行き、ラストまで働くといったことも、実際、社員さんよりも長い勤務時間だったこともありました。就業時間など上手く調整できた、当時ならではの話ですよね。もちろん働いた分はしっかりいただけたので全く問題なしな話です。
 当時ジムは22時までの営業だったと思います。そのあと簡単な掃除やプールのシート掛けなどをして23時ころの退勤。その頃は、川越の2駅隣の上福岡に住んでいまして、うまい具合に先のお声がけくださった女性コーチや、ジム施設の主任が近所に住んでいらっしゃったので、車で送っていただくことも多かったですね。そんな風に可愛がっていただけていたのもあり、段々とスイミングの仕事よりもジムの仕事のほうに割合が多くなっていくようになりました。社内の上のほうでもそういう話で進んでいたのでしょうかね。完全移籍話しっかりとされたかどうかは、正直忘れましたが、秋になったころには、ジムのほうの仕事だけになっていました。
 バイトメンツは同世代の大学生が中心で、社員さんも車で送ってくださっていた社員2人と受付スタッフの数名以外は、ほぼ同世代が主流だったし、なんかオープニングスタッフということもあったからかな、皆仲良くやっていましたね。会員さんも、毎日のように来る方もいらっしゃって、懇親会的な飲み会が公的にも私的にも開かれたりして、楽しくやってました。そこはやはり時代はバブルの軽いノリでした。
 そんな時代のせいってわけではないのですが、当時の軽いノリの俺の悪い癖が出てくるわけで。一緒にインストラクターとして働いていた、ひとつ上の女性に好意を持ってしまうわけですよ。それなりに仲良くはしてもらえましたが、結局相手にその気は全くなく、気が付くとその͡彼女は常連の会員さんと付き合いだしてまして、あっさり失恋。そうなってくると、仕事行くのにも張り合いがなくなってくるわけでした。
 一応入れていたシフトはこなしていましたよ。
ただ、それと同時期のこと、この年からスキーを上手くなりたい熱が急速に上がり出してまして、学校の先輩で上手な方が何人かいましたので、車の席空いている時に一緒に連れて行ってもらうようにお願いしてました。あの頃は雪の降り始めも早くて11月も中旬になると滑れるスキー場もあり、何度か連れて行ってもらえることも。そんなときスキーのインストラクターをやっている先輩が
「ムサシさぁ、そんなに上手くなりたいなら、冬の間俺がやってるスクールでイントラのバイトしながら覚えれば?」って。
「いやいや、まだギリ足揃えられるかどうかですよ。イントラなんて無理っすよ」と答えましたが。
「大丈夫、やる気あるなら俺が話しとおしておくから、面接のときに2級程度は滑れるって言えば、何とかなる」と。
「マジっすか⁉」で
そんな話を本気にして「2級レベルで滑れます」と言い放ち、スキーインストラクターとして働けることに(笑)。この辺の話はまた別にさせていただくとして。
 いろんなバイトを入り組んでやっていたので、いったんわかりやすいように整理しますね。基本的に大学2年3年は同じような流れでしたね。

大学1年
・4-5月~塾講師
・6-1月~吉野家
・12月後半~水産会社の歳暮および正月用品の仕分け(吉野家と並行)
・2-6月~学生服売り場
大学2年
・5-8月~スイミングスクール(6月中旬まで学生服売り場と並行)
・8月~スポーツクラブ(スイミングスクール並行)
・9-12月~スポーツクラブ
・12月前半~スキーインストラクター(スポーツクラブと並行)
・12月後半~水産会社
・1-2月~スキーインストラクター
・3-6月~学生服売り場
大学3年
・5月-12月前半~スポーツクラブ
・12月後半~水産会社
・1-2月~スキーインストラクター
・3-6月~学生服売り場
大学4年
・5月-12月前半~スポーツクラブ
・12月後半~水産会社
・1-2月~スキーインストラクター 
 
 細かい日雇いや短期単発を抜くと、
上記のような季節ごとに違うバイトをしてましたね。

 さて、なぜこのようなことができたのか?というかやっていたのか?ですよね。まぁ、単純に失恋(笑)でモチベーション下がっていたところに、いいタイミングでスキーインストラクターの話が出てきたことが一番でしたね。スポーツクラブトレーナーのバイトは希望シフトを半月ごとに提出が基本で、12月の後半に水産の仕事があったので、11月終わりの時点で「12月後半は申し訳ありませんが出れないです。1月分は12月半ばまでに出します」としたまま、その後のシフトを出さずにいなくなる。いわゆる『バックれ』ってやつでした。ひどい話ですよわ、ほんと世の中なめ切ってるって話ですよ。当時は携帯などなかったので、連絡は家電、家にいないと連絡取れないって訳でした。で、雪山にこもってバイトして、山降りてきて学生服を売って。ふらふら遊んでいた5月頃に、たまたま川越で出勤前のエアロビクスのイントラのHさんとばったり出会うことに。バックれた手前、気まずかったのですが、なんか優しく「戻ってくればいいのに」と言ってくれた言葉に誘われて、そのまま一緒にスポーツクラブまで行き。
「すんませんでした」と頭下げて、軽くお小言を頂きながらも、再度働かせていただくことに。ちょうど近日、鶴ヶ島に新規でジムをオープンする予定で、そのまま川越に戻るよりも、周りの目のバツの悪さもあるし、タイミングも良いのでそっちに行こう。移動する社員さんにも誘われて、またもオープニングスタッフとして鶴ヶ島のオーククラブで働くことに。

そんなわけで、今回はこの辺で。
次回『なんちゃってスポーツクラブ トレーナー編②』に続く。








 






    

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