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自分の言葉で語らなければいけない、という思い込み

「自分の言葉で語らなければいけない」
というのは思い込みかもしれない。

人の文章をパクろうね、という話ではない。
伝わる表現をお借りした方が伝わる、ということだ。

コミュニケーションは伝わらなければ意味がない。
だから自分の言葉で伝わらないくらいなら、
人の言葉で伝わる方が、よっぽど意味があると思う。

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自慢じゃないがわたくし、
話しているときの言語化がとんでもなく苦手だ。

考えていることや感情が
単語レベルでしか表現できなかったり
意図が伝わらなさすぎたり。

「こんな感じ?」と言われても
「あ〜びっくりするぐらい違います!」
「ピンポイントでそこじゃないです!」

みたいなことが往々にしてある。
ほんとに偉そうに言うことじゃないんだが。

例えば、わたしが「Aだとおもいます。」と言ったあとに
他の人が「いや、Aだとおもいます。」と言う。

わたし的には「いや、そう言ったじゃん。」
と思うことが、ほんと〜にたくさんある。

でも一応、
「コミュニケーションの責任は発する側にある」
と心得ているので、相手を責めることはしない。
(えらいッ)

そう思ったら、しっくりきた表現を拝借することは、
自分にも相手にも、ストレスがないのかもしれない。

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ぼく モグラ キツネ 馬
コロナ禍にアメリカ、イギリスで社会現象となった本らしい。

友達が、贈りたくなったといって
突然郵送してくれた。

その気持ちが美しすぎて泣けるのだが
本の内容もまた、美しすぎて泣いた。

本に載っていることばは、一つ残らず素敵であり、
感動を伝えようとすると、全く同じ本が
一冊完成してしまうので今回は控える。

本の終盤で、こんな表現がある。

「ぼくは、ぼくのままでいいってこと。」

「代わるものがなく、とても愛されていて、この世界には君しかできないことがある。」

ぼく モグラ キツネ 馬

これは、とりわけ感動した部分、というより
わたしが常に伝えたいと思っていることなのだ。

自分なりの言葉で表現すると
「”あなたはあなたのままでいいんだよ”と伝えたい」
なんだけど、圧倒的に、もう悔しさも感じないくらい

「ぼくは、ぼくのままでいいってこと。」
「代わるものがなく、とても愛されていて、この世界には君しかできないことがある。」

ぼく モグラ キツネ 馬

と言うことばの方が人に伝わる気がする。

伝える必要がなければ、
自分のなかで感情を味わえばいい。

言葉にするのは、伝えたいから。
これはコミュニケーション。

ただただ自分を表現したいんだとしたら、
それはアートなのかも。

伝えるために、わざわざわかりづらい言葉を
使う必要はないなと、一つ鎧を脱いだ話でした。

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