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読書感想文【つげ義春日記】つげ義春

つげ義春
私がつげ義春の漫画を読んだのは
高校生の時でした
なんとなしに友達から回ってきた気がします
サブカルチャーであるとか
プロレタリアであるとか
そんな言葉も思想も歴史も何も知らない10代に
ただの漫画として読んでいました

今でも「赤い花」や「ねじ式」といった代表作は
ぼんやりと忘れられず
何年かに1度「もう一度読みたいなぁ」
と思うのです
しかし、なかなか購買につながらず
そうしてまた何年かと過ぎ
何かをキッカケに懐かしく思い出し
「また読みたいなぁ」と思って
買わないという
「つげ周期」なるものがやって来ます
こうしてその後、20年もの間、思えば
「つげ義春」の影のついた人生でありました

たまたま文庫の棚で見つけた
「つげ義春日記」を手に取ると
赤裸々な日記文学に惹かれ
20年以上ぶりの「つげ義春」がやってきました

昭和50年代、結婚し長男も誕生して一家をかまえた漫画家つげ義春は、寡作ながらも「ねじ式」や「赤い花」など評価の高い作品群が次々と文庫化され、人気を博す。生活上の安定こそ得たが、新作の執筆は思うように進まず、将来への不安、育児の苦労、妻の闘病と自身の心身の不調など、人生の尽きぬ悩みに向き合う日々を、私小説さながら赤裸々に、真率かつユーモア漂う筆致で描いた日記文学の名編。

この日記は昭和50年から55年の
5年間にわたるものが
載っていますが
くしくも昭和54年というのは
私が生まれた年でありまして
同じ東京の当時の時代背景も垣間見る事ができ
個人的には縁があるなと
時節を感じた作品でありました

さらに私は本屋さんでこの本を見つけた時
「知らない間につげ義春は亡くなったのか?」
と思いました
しかし、ご存命だと知って
つげ義春すげーーーー!と思ったのです
だって
日記の公開出版って
漠然とそういうものな気がしていたし
まざまざと人の悪口とか書いてあるし
本当に赤裸々な内容だったし
死んでないと許されない感じ
あるじゃないですか?
(知らんけど)
ずっとメンタルよわよわ文章のわりには
鋼メンタルなことするんだなぁと思いました

人間良い意味で年を重ねるというのは
強くなったり
鈍くなったり
するものなのでしょうかね
少なくとも現在中年である私も
青年期に持ち合わせていた
過剰な繊細さは和らいでいるので
今のつげさんのお歳になれば
もっと悟りの境地になるのかもしれません

noteで仲良しの博学なお友達から
言われた言葉が
本当に言い得て妙で感心したのです

「サマセットモームが好きな人がプロレタリア文学は合わないよ」

小説に使いたい言葉です
まさに私は完全にサマセットモーム派なので
体感として腑に落ちました
いつか会った時には
この表現の解説を聞きながらお酒を飲みたいです

言われた通り小林多喜二とかどうも苦手ですが
なんとつげ義春の漫画は嫌いではないんです
今回の日記文学も
暗くてネガティブな私小説ですが
なんとなくつげ義春が悪くないのは
そこにユーモアを感じるからだと思いました
漫画だともっとポップです

今回もまた
「つげ義春」全集を買ってしまいたい!
という気持ちになりましたが
1日寝たらおさまりました
しかしこの歳で「赤い花」と「ねじ式」を読めば
きっと感想や刺さり具合も全く違うと思うので
いつかまた読んでみたいなぁと思います

しれっと「共産党支持の家」と書けちゃうあたりにも納得しました
若い時に読んでも背景を理解できなかったと思う
あれほど鬼才溢れる漫画を描く人の
素直で孤独な生活模様が生々しく描かれた一冊
見てはいけないものを見ているような
背徳感も交えて読めるのが日記文学
なかなか面白い作品でした



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