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ココに書くのは空白の4年間


社会に出て一人暮らしを始めてから、とても活発になった。
相変わらずインドアだしフットワークも滅茶苦茶重いけど、
以前を知っている知人からは「明るくなったね」と言われる。

自覚はある。
生命力が上がった、というのがしっくり来るかもしれない。
知っている人がいない環境で、生きていく為の手段である。

なんだか既視感があると思ったら、
私は高校入学の時、全く同じことを考えて明るくなった。
何を隠そう、私は中学時代コミュ障を悪化させた人見知りガールだったからである。
あの時もそうだった。
中学時代の友達が殆どいない、新しい世界で
私は今度こそ上手に生きていく為に、自分から積極的に声を掛けたのだ。
また、その時には私はネットを経由して得た新しいコミュニティも持ち合わせていた為、
青春を謳歌したかというと疑問は残るが、
充実度で言えばまあまあと言ったところだった。

大学時代は楽だった。
そして楽しかった。
周りには同じことに興味を持った人々が溢れていて、
同じような性格の人が多かったので当たり前である。
『ぬるま湯に浸かる』とはこのことで、
卒業の時は残念でならなかった。
もう、丁度良く全身を温め続けてくれるぬるま湯に入ることは、
2度と無いのである。

そんな学生生活を過ごしてからの一人暮らし。
知らない土地で出会った人たちは、
今までに関わったことのないタイプの人ばかりだった。
潮らしく振る舞っていても取り残される!という危機感と共に
パワフルな環境へと投げ出されたのである。
それは私にとって、指を漬けるだけでも逃げ出したくなるような、
熱いあつーいお湯であった。

生きねば。
私は生き残る為に、背中のゼンマイをフル回転させて走り続けた。
生きることとは、環境に馴染む事。
あわよくば対等な立場で振る舞える友達というのは重大事項である。


そう、あれから4年近く経った。
打ち切りになったドラマのような速さで時系列が進んだが許して欲しい。
結果的に私が得たものは
『あれ、案外みんな良い人じゃん?』という
生意気にも前向きな結論である。

今までどれ程排他的に生きてきたのだろう。
世の中取捨選択が大切なのは変わらないけれど、
強制的に関わっていく中で好きになった人間は少なからずいる。
(勿論関わっていく中で苦手になった人もいる。ごめん)

人間とは思ったより優しい。
思ったより、私のことを許容してくれているかもしれない。
そう思えるだけで、自信を持つことが出来た。
自信を持つというのは本当に大切で、
それだけで思い切って発言をしてみたり、
それから知らない人に電話を掛けるのでも、
良い意味で強気でいけるから不安が和らいだりする。
(入社当初、まだ何もしていないのに怒られたり傷付いたりするのではないかという気持ちが先走っていた)

で、冒頭である。
ハキハキ話すようになった私は
「明るくなったね」と言われる。

自信が無いと閉鎖的になるのは当たり前で、
別に傷を負ってまで他人と仲良くする必要は無い。
だけど今まで関わったことのないタイプの人と関わることで自信を持つことがあるのだと、この歳になってようやく気が付いたのである。

自信はとても大切だ。
今もう少し自信が欲しいと思うのは、
挑戦したいことが増えたからである。
それにはもう少し自信が必要だけれど、
先程私が省略した4年間のように、
皆に見せびらかす程では無い毎日の中で
少しずつ成長していきたいものである。

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