見出し画像

2. Naoki|読む人の運命を加速させる恋愛小説

<<前話

飲み会からの帰り道。ボクは友利花さんとの会話一つ一つを、今ぼんやりと思い出している。

飲み会は会社の後輩が企画してくれたものだった。
「先輩、なんか最近女っ気ないので企画しますよ」
そう言って。

確かにボクは、もうかれこれ2年近く彼女がいなかった。欲しくないわけではなかった。けど別に焦ってもない。

「先輩、あと1年もしたらアラフォーなんだからそろそろ焦った方がいいですよ」
いつもちょっとだけ生意気なその後輩は言った。
「いやいや35歳をアラフォーって言うな」
ボクははぐらかすように答える。
「いやでも、繰り上げ四捨五入したら40ですよ」
「あと5年もあるんだから」
「あと5年しか、ないんですよ」

あと5年しか、ない。
確かにそうか。
ボクの友人の大半はすでに結婚し、子どもを1人2人持つ父親になっていた。1回、2回と過ぎていった結婚ラッシュはひとしきり済み、ここ数年はほとんど結婚式に招待されることもなかった。もちろんコロナという事情もあって。
まあ、タイミングが来たらいい人と出会えるだろう。そう思っていた。

後輩は交際している彼女と女性2人を飲み会に連れてきた。2人とも彼女と同じ職場らしい。
その2人のうち1人が、友利花さんだった。
紹介された友利花さんはとても可愛いらしい人だった。少し控えめに笑い、笑う時は口元を手で隠した。笑わない、というわけではない。むしろ笑顔も多く、よく笑うタイプだ。けど、笑う時は少し控えめに笑う。
職業が看護師なのは後輩から聞いていた。ボクは看護師という仕事を普通の人よりよく知っている。なぜならボクの姉も、看護師だからだ。
看護師は忙しく、生活が不規則。そして看護師をしている女性は少しばかり気が強い。これはボクの偏見かもしれない。でも確かに姉は気が強い。姉の周りにいる看護師仲間たちも気が強い。だからたぶん、間違っていないと思う。
でも友利花さんからは、そんな気の強さのようなものは感じなかった。表情は優しく穏やかで、友利花さんが看護師として働いている様子を想像するのが難しいほどだった。

「年上男性の魅力ちゃんと出してくださいね」
飲み会前、後輩はニヤニヤしながらボクに言った。
「年上男性の魅力って何だよ」
ボクは笑って後輩に突っ込んだ。
でもその実、ボクは緊張していた。
友利花さんの歳は26歳。ボクよりも8つ年下。34歳にもなるとこうして紹介される女性の多くは年下だった。そういう時、ボクはどこかで『年上男性』というキャラクターを着込んでしまう。
大切な商談前のような緊張。
ボクはどのように見られ、評価されるのか。相手に良い印象を与えることができるのか。
ボクは年上男性としての魅力をちゃんと出せるのだろうか?

でもボクは飲み会が始まってすぐ、あることに気づいた。
ボクはほとんど緊張していなかったのだ。
紹介を通して女性と出会う機会は今まで何度もあった。人によって緊張の度合いは違う。確かに緊張しない人もいた。でもそれは(申し訳ないけど)ボクがその人にほとんど興味を持てないことを意味していた。
でも友利花さんは違った。ボクはどこかで、友利花さんのことを「なんかいいな」と第一印象で思った。そうなるといつものボクならまず緊張する。でも友利花さんには、緊張しなかった。不思議と。
友利花さんのこちらを包み込んでくるような優しい雰囲気の中で、ボクはやけに落ち着いてしまったのかもしれない。

「初めまして。直樹といいます」
「初めまして。友利花です」
ボクたちの会話はどこか控えめに始まった。互いの温度感をとてもゆっくりと確かめるように。それから話題は趣味や好きな食べ物、互いの仕事へと広がっていった。
こんな時、ボクはどこまで踏み込んだ質問をしていいのかわからなくなってしまう。
「友利花さん、料理するのが好きなんだ」
「はい」
「お酒も好き?」
「いえ、お酒はあまり飲まないです・・・」
緊張はしない。居心地もいい。でも何だか、会話が広がらない。
まあ最初はこんな感じか。
焦ることもない。友利花さんも特につまらなそうにはしていない。きっと大丈夫。

「直樹さんは何か趣味、ありますか?」
沈黙が訪れると友利花さんはボクに質問をしてくれた。気遣いができる子だと思った。
「ボクは筋トレかなぁ。週2でジムにも行ってるし」
「すごいですね」
友利花さんの意識がボクの体に向かっている気がしたけど、気のせいかもしれない。
「そう?ありがとう。友利花さんは?何か趣味とかある?」
「私は・・・」少しばかり時間をかけて友利花さんは言った。
「読書ですかね」
友利花さんが、読書。イメージとしてはピッタリだ。
「ボクも本読むよ。たまにだけど・・・」
「え、ほんとですか!」友利花さんのテンションが明らかに上がる。
「どんな本を読むんですか?」
「そうだなあ。最近はスヌーピー・・・」
ボクは言ったそばから後悔した。
この前立ち寄った駅の本屋で買った本だ。スヌーピーの名言がまとめられている本。平積みされていたから何となく手に取ったら、結構いいことが書かれていた。それで買った。
「スヌーピー、ですか?」
友利花さんは頭の中で何かを想像するように聞いた。
スヌーピーを読む8歳上の年上男性・・・
「変、だよね」ボクは自嘲気味に言う。
「全然。変じゃないですよ。ただ、何だかイメージが湧かないなぁって思って」友利花さんはクスクス笑う。
「友利花さんはどんな本を読むの?」
「私はミステリーかなぁ」
「ミステリーかぁ」
ミステリー、ミステリー、ミステリー・・・
誰だっけ、あのよくドラマ化や映画化されていたミステリー作家・・・
・・・ダメだ!思い出せない。
有名どころぐらい読んでおけばよかった。そうしたら会話を広げられたのに。
「年上男性の魅力ちゃんと出してくださいね」
後輩の冷やかし混じりの発言が頭をよぎる。

「スヌーピー、可愛いですよね。私も好きですよ」
友利花さんの、優しい風。ボクはどこかフワッとした。
この感覚、なんだか久しぶりかもしれない。

「沙織さんも同じ職場なんだよね?」
沙織さんはボクの後輩が連れてきたもう1人の女性だった。
「そうです。出身も同じ東北で、すごく気が合うんですよ。住んでるアパートも一緒なんです」
「アパートも一緒なんだ。それはすごいね」
「沙織は彼氏いるけど、今日1人だと不安だったので一緒に来てもらったんです」
「不安?」
「はい」
ん?友利花さん今、少し哀しい目をした気がする。何かを思い出すような。
「それにあの子、お酒大好きだから」友利花さんは表情を変えてそう言った。
ボクは沙織さんをチラッと見た。
沙織さんは後輩と彼女、3人で楽しそうに話している。人見知りしないタイプなのだろう。
確かに結構飲みそうだ。既に何杯かおかわりしているけどほとんど酔ってないように見える。ボクよりも確実にハイピッチだし、酒豪の後輩にも引けを取らない。
「沙織すごいんですよ。学生時代は平気で一升瓶とか空けてたらしいです」
友利花さんは面白がってボクに耳打ちするように言った。
「それは、すごいね」
ボクは一升瓶のインパクトに負けてうまく笑えなかった。一升瓶は、凄すぎる。
友利花さんは沙織さんに視線を向けた。少しばかり冷やかすように。
「なによ」
沙織さんがそれに気づいて友利花さんに言った。
「何でもない」
友利花さんはクスクス笑いながら視線を戻した。
このやりとりはいつも2人の間で交わされているんだろう。そんな安心感があった。
「沙織さんとは本当に仲がいいんだね」
「はい、私以上に私のことを真剣に考えてくれる大切な友達です」

私以上に私のことを真剣に考えてくれる大切な友達———

友利花さんの言葉が、場の空気に浸透していくのがわかった。
友利花さんは少し気まずそうにして目の前に置かれたグラスに手を伸ばし、まだ二杯目のピーチウーロンをゆっくりと少しずつ口に移す。
ボクはそれを見て、所作が何だか綺麗だなと思った。まるで茶道をしているかのようにピーチウーロンを飲む。そのギャップがどこか可笑しく、でも同時に魅力的だと思った。
「友利花さん、料理もするんだよね。得意料理は何?」
友利花さんがゆっくりと美しくピーチウーロンを飲んでくれたおかげで、ボクは次の質問を思いつくことができた。
「得意料理ですか?そうだなぁ・・・」
返事を待ちながら、ボクはさっき友利花さんが言った言葉を反芻していた。

私以上に私のことを真剣に考えてくれる大切な友達———

それは、どういう意味なんだろう。
とにかく沙織さんは、友利花さんのことを大切に思っているに違いない。とても真剣に、友利花さんの幸せを考えている。
ボクは斜め向かいの席で後輩たちと話す沙織さんを改めて視界の中に捉える。
この人はどこからどう見ても「看護師をしている女性は気が強い」に当てはまる。
友利花さんとは雰囲気が違う。強さのようなものが感じられる。必要であれば全く動じずに名上の人ですら叱り飛ばせそうな、そんな雰囲気・・・
沙織さんは会話に夢中になっているようで、でもどことなくボクと友利花さんの様子を窺っているようにも感じる。きっとボクが、友利花さんにふさわしい男かどうかを判断しようとしているはずだ。それは自分の彼氏選び以上に、とても真剣に。

「直樹さん?」友利花さんの声がした。
「え?ああ、ごめんごめん。ちょっとボーッとしちゃってた・・・」
「はは、大丈夫です」
また優しい笑顔。
友利花さんは何でも許してくれそうな雰囲気がある。この子が怒ることなんてあるのだろうか。

「あなたは本当にマイペースだから・・・」
ボクはこう言う母の声をすぐさま思い出せる。頭にこびりつくほど何度も言われた。
「直樹、聞いてる!?」
ボクを呼ぶ姉の声もよく覚えている。
でもボクのマイペースは直らなかった。直らなかった、らしい。「らしい」と言うのは、ボクは自分が自分でマイペースかどうかわからないからだ(それがマイペースってことなのだろうか)。
しっかり者の母と姉に囲まれてボクは育った。至って平凡なサラリーマン家庭の末っ子として。
父はたくさん話すようなタイプではなかったけどとても穏やかな人で、両親が喧嘩のようなことをしているのをボクは見たことがない。
ボクはそんな家族が大好きだ。今もたまに実家に顔を出す。居心地がいいからつい帰りたくなってしまう。
「いつお嫁さんを紹介してくれるの?」
帰るたびに母はボクにそう聞く。
ボクは「そのうちかな」と答える。
それを聞いた母はまた「あなたは本当にマイペースなんだから・・・」と言う。でもそれは、息子が小さい頃から変わらないことを少しだけ喜んでいるようにも見える。何度も聞かれるから適当な返事しかしないけど、そうした母の気遣いも別に嫌な気持ちはしない。
母はボクを決して焦らせたりはしない(焦らせても仕方ないと思っているのかもしれない)。本当の意味でボクの幸せを願ってくれている。それが自然と感じられる。そんな母だ。そしてそれは、父も同じ。
ボクも将来、自分の家族のような暖かい家庭を作れたらいいなと思っている。

「友利花さん、良かったらLINE交換しない?」
飲み会の終わりが近づく雰囲気を感じ取って、ボクは聞いた。
「もちろんいいですよ」
友利花さんは笑顔でそう答えた。

友利花さんとLINEを交換できるのは素直に嬉しい。
友利花さんがスマホに表示させたQRコードを読み込む時、ボクは友利花さんの香りに包まれる。
友利花さんの、香り。
なんだか少しドキドキしてくる・・・
僕は恋愛経験が豊富とは言えないかもしれない。でもそれなりには経験してきたつもりだ。過去付き合った女性は二桁はいないにしても5人か6人。それなりに長い付き合いもあった。
でもボクは、友利花さんと近づくだけで、こんなにもドキドキしてしまうのか・・・

「これ、富士山ですか?」
ボクのLINEアイコンを見て友利花さんが聞く。
「そうだよ!この前の夏に登ったんだ。とっても良かったよ」
ボクは少しばかり興奮しながら言った。それぐらい富士山は素晴らしかった。
「そうなんですね」
そんなボクの様子を興味深げに見つめながら、また優しい声で友利花さんは言った。
「友利花さんも今度一緒に登る?」勢い任せにボクは聞いた。
「あ、それは大丈夫です」急に真顔になる友利花さん。
「・・・、ハハハハハッ」
ボクは爆笑してしまった。優しい雰囲気から一転、真顔で断ってくる友利花さんが何だか可笑しくて。
「えー、なんでそんなに笑うんですか?」
友利花さんは本当に不思議そうに聞く。この感じを自然とやっちゃう人なんだ。なおさら可笑しい。
「ごめん、ごめん」ボクは笑いながら返す。「なんだか友利花さん、すごい面白いから」
「そうですか?富士山登るのは、ちょっと私はいいかなあって思って」
友利花さんはそう言って少し笑い、美しい姿勢を崩さずにまたゆっくりとお酒を口に運んだ。友利花さんはもうこのピーチウーロンで今日の飲み会を終えるつもりなんだろう。
席を一つ開けたその隣で、沙織さんと後輩は最後の一杯をタブレットで注文していた。

友利花さん。
この人が隣で、ボクの話に耳を傾けてくれる。こんな風に笑い合える。そんな未来がもし、待っているなら———。
「たまにLINEしても大丈夫、だよね?」ここで断られることはないだろう。でも一応、聞いておきたかった。
「もちろんです。いつでもしてください。仕事で返せない時もあるかもしれないけど・・・」
「もちろん、返せる時に返してくれたらいいから。ありがとう」
「はい」

2時間程度の飲み会は無事お開きになった。
ボクは友利花さんと色んな話をした。お互い笑顔も多く、LINEも交換できた。
———よかった。
後輩が言う「年上男性としての魅力」をアピールできたのかはわからないけど、とりあえずよかった。スタートラインには立てたはずだ。これから時間をかけて、お互いのことを知っていけたらいい。焦る必要はない。お互い納得いくまで、時間をかければいい。

友利花さんと沙織さんとは店の前で別れた。友利花さんは最後ボクに向かって手を振ってくれた。あの優しい表情で。
ボクは沙織さんと仲良さげに話しながら帰っていく友利花さんの後ろ姿をしばらく見つめていた。
「どうでした?」
その様子を見ていた後輩がニヤニヤしながら聞く。
ボクは平静を装って「楽しかったよ。企画ありがとね」と言った。

ボクと後輩、そして後輩の彼女はしばらく3人で歩き、2人は地下鉄に乗ると言って違う方面へと向かった。
「じゃ先輩、また明日職場で。お疲れ様でーす」
ボクは無言で手を上げ、それに応えた。
2人は今まで我慢していたかのようにサッと手を繋ぎ、去っていった。

ボクは今年もう35歳・・・。40歳まであと5年しかない・・・。
焦ってはない。タイミングが来たら、きっといい人と出会えるだろう。そう思っている。
そしてそれは今日、現実になったのかもしれない。

ボクは1人、JRの駅まで歩きながらスマホを取り出す。
LINEは来ていない。
きっと今、友利花さんは沙織さんと反省会をしているに違いない。それはボクという年上男性の魅力を評価する場なのだろう。
そう思うと飲み会の間ずっと忘れていた緊張が、今になってよみがえってきた。
「今日はありがとう。友利花さんとこうして出会えてよかったよ!これからよろしくね」
ボクはそう友利花さんにLINEをして、スマホをポケットにしまった。

東京の夜。
顔を上げると、手を繋ぎながら歩くカップルが何組か見えた。
頬に当たる少し冷たい風が冬の訪れを予告している。
ボクはその訪れが、どこか楽しみだった。

>>次回話


【あらすじと初回話】


この記事が参加している募集

#恋愛小説が好き

5,084件

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?