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知らない国に留学しているという事にして毎日を暮らしてみる事にした。

ある日ふと

そうだ
これから1年間
知らない国に留学して生活している
という仮定で
毎日暮らしてみよう

と思った。


毎日見ている景色も異国の知らない街の景色
行き交う人々も、お店でやりとりする人も外国人
長年の友達も、異国でできた文化も国も違う新しい友人

・・・という事にするww
勝手に私の脳内で


この1人遊びをやってみて
感じた事が

どれだけ
無意識の思い込みと固定観念で
長年生きてきたか

という事をとってもとっても
強く実感しましたww


この人はこういう人
と思っていた友だちや家族の言葉が
えらく新鮮に聞こえて

私は人を見て付き合っていたつもりが
「こういう人」と思っていたその人を見ていただけなんだなぁ
と気付いたり

そんな中で

固定観念や思い込みがあるだけなら良いのだが


知らんうちに

自分のものの見方
感じ方が
正しい、或いは全てなのだ

と、無意識のうちに思っているところがあって

あー、勿体無い生き方だな、それ。

と感じたり。

だから今までの反動なのか
人の考え方や感性に触れる機会を物凄く欲していて
とにかく本を読んでいる。乱読。
仕事で訪れるそれぞれの街の本屋さんに
毎日のように入り浸って
読みたい本はないか売り場を徘徊している。
今まで読んでこなかった作家さんの本を読んでいる。

知らない街を歩く時の目で街を見て
よく知らない人の話を聞く時の感性で人の話を聞き
自分の言葉を考え

そうやってごっこ遊びをしているうちに
また或る事に気がつく

人や仕事や生活に対して
拒絶が少なくなり
受け入れられる事が多くなっている自分に気付く。

いや、受け入れる
というより

自分の価値観や感性で
人を捉えなくなってきた

拒絶や放置ではなく
人を自分と線引きした上で
人を受け入れるようになってきたので

必然的に、
人に対して自分で勝手に
悩んだり振り回されたり
そういう事がなくなってきた

その人の事を
好ましく思うか、自分の中にいれたくない人か
という二元的な判断を
人に対してしなくなっている自分に気付いた。
(今考えたら、人に対して物凄く失礼で大人気ない判断と付き合い方よね・・本当にすみません)


勿論、全ての人の全ての言動を受け入れている訳ではない。

今、自分の中に生じた違和感は
無視しません絶賛キャンペーン中なので(笑)。

ただ、違和感を持った時
それでその人の人格や考え方を否定せず拒絶せず嫌わず

それもまた一興・・

と思うようにしている(笑)。
勿論皮肉ではない。
自分にとって正であり善である考え方や性格以外は認めない、というのは
プアーだな、と思うようになったのだ。


・・・話が思った以上に人間関係に傾いてしまったが

Twitterにも先程ポストした事だが

こうして
相手や仕事、思想
はたまた自分自身に対して
許容するという言い方は上から目線なので
好きではないが
受け入れられる事が多くなってくると

自分自身の心に抱えているものが
どんどん軽くなっていき
日々暮らしていく中で呼吸や心が
楽になっていく

という反比例を身をもって経験した。

そして

人も仕事も世の中の色々な事も
あなたも私も周りの人たちも
世界や社会そのものも

そもそもが
揺らいでいて、歪で
そして美しいのだ

という真実に気付いた。

ごっこ遊びの果てに。


知らない国に留学したふりごっこは

自分をフラットに戻したい
生きているうちに自分を守るため
社会で生きていくために
分厚く着込んでしまった
社会通念や固定観念という鎧を

ヨイショ、と全部脱いで

自分の感じることや見つめるものを
知りたい

自分自身に意見を言わず物申立てをせず(笑)
先ずは自分と時間をかけて
ゆっくりお喋りして話し合って
向き合っていきたい

そして何より

自分が本当に信じている価値を
私も大切にしたい

と、自分自身に対する信頼感を取り戻しつつある事の萌芽ではないかと分析している。

Better Life
絶賛求道中です(笑)。

自分を大切にできた時

(自分自身の価値を
成功経験や周りからの評価や所持金や収入の多寡やステイタスや能力といった外付けのハードで推し量らずに
自分自身がスッと認めた時に)

本当の意味で、人を大切にする事ができる

という、よくある格言に込められた
意味を

この年齢になって漸く知ることができたのかもしれない。


寒さも三寒四温を繰り返しながら徐々に緩み
きっともうすぐ
春の訪れが見えてくる。


知らない国に留学している生活と
知らない国への旅は
まだまだ続いていくだろう。

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