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不登校と怠学の違い そしてメディアの報道の疑問

不登校の定義


不登校の人が2023年に過去最高の30万人に達したというニュースは衝撃的である。ただ、行きたくても行けない人といきたくなくて行かない人と一緒にするのはどうかと最近感じる。そして、30万人という数字には、学校に行きたくない人と学校に行けない人が混在していることを知っておくべきだ。

前者は従来の不登校と呼ばれるもので、学校や教師、友人などとの関係に問題を抱えている人々である。

後者は「怠学」という新しい概念で、学校に怠けて行かずゲームセンターや野原で遊んでいる人々である。

この二つは明確に区別すべきだと私は考える。私の親は先生なので、不登校や怠学について先生の立場としていろいろ教えてくれ家よく議論することがある。

不登校に対する支援

不登校の人は、学校に行きたいという気持ちはあるが、何らかの理由で行動に移せない人だと言った。その理由は個人的なものもあれば、家庭的なものもある。不登校に関する論文を読むと、不登校の背景要因として、子ども自身の気質や個性、親子の関係性や愛着形成、学校でのストレスやストレス耐性などが関与していることが分かる。

不登校の人は、これらの要因を克服するために様々な支援を必要とする。支援の在り方としては、「本人への支援」「家族への支援」「連携・協働」が重要だと言われている。日本は幸い学習塾や公文式といった私塾が整っているのでそういった民間施設などで多様な教育を受けさせたりすることが大事である。


怠学の人に対する支援


一方、怠学の人は、学校に行きたいという気持ちがなく、学習や進路に対する意欲も低い人である。その理由は、学校教育が時代の変化に対応できておらず、X(twitter)やインスタグラムによる貧困層そして金持ちの生活があまりに鮮明にそしてリアルに可視化されてしまったことによる自分ではどうにもならないという無気力感によって高校進学や大学入試などの価値や魅力が低下していることが一因だと私は考える。

怠学の人は、学校以外の場で自分の興味や能力を発揮できる機会を求めている。そのためには、親が教育委員会に学校に行きたくないから行かないときちんと報告したり、日本は幸い学習塾や公文式といった私塾が整っているのでそういった民間施設などで多様な教育を受けさせたりすることが大事である。まずは、学ぶことの楽しさを教えることが大事である。

まとめ


最後に、私はメディアが不登校と怠学を一緒にすることに疑問を感じる。不登校と怠学はそれぞれ異なる原因と対応策を持つ現象である。メディアはこの違いを正しく伝える責任があると思う。私たちはそれぞれの事情を尊重し合い、一様ではない教育を受けられる社会を目指し、学校に行きたくても行けない人には公文式や佐鳴塾といった塾に行かせるなど多大な支援をすべきだと思う。

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