20××年4月1日

 拝啓。春暖の候、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。新生活いかがお過ごしでしょうか。といっても、まだ新年度になってから1日も経っておりません。手紙は時期尚早だったでしょうか。せっかちで相すいません。

 今春より高校生となり新生活の海へダイブする君へお手紙をしたためることにしました。大きな期待と不安を胸いっぱいに抱えていることでしょう。むしろ不安の方を強く感じていることでしょう。私の手紙が君の不安を浄化しその際の浄化作用によって明日を生き抜く活力たるエネルギーを生み出せるよう、ここに知力と体力の限りを尽くそうと思います。

 新しい環境には空間の歪みありと昔から言われております。新しいクラスがいい例です。新たな出会いが転がっているにもかかわらず、みな口をひらけば殺されるとばかりに口を固くつぐみ押し黙っています。まるでお口ばってんのミッフィーちゃんです。唯一の違いは朗らかに振る舞まうかどうかです。
 どんな人でもこの空間に飛び込むと一様に黙ってしまいます。それはなぜなのかというと、空間に歪みが生じているからです。空間が歪曲することによって重力が通常の二倍になります。気圧の負荷も大きくなり、その場にいる人の肩にそれはそれは重くのしかかります。空気も薄くなります。それゆえに無限の可能性が広がっている場で、誰もがぼんやりと俯き、あろうことかスマホをいじくりまわすのです。そこから聞こえてくるのは、Twitterを更新する“シュッ ポッ”という音だけです。

 空間の歪みというのは新しい環境にだけつきまとうものではございません。たとえば渋谷です。行くとわかると思うのですが、あそこ一帯には「渋谷マジック」という魔法が空間の歪みにより生み出されており、一度来訪すれば誰もがその魔法の餌食になると言われております。この魔法のせいで渋谷にいる人はどんな人でもオシャレに見えてしまいます。渋谷マジックは私たちのおしゃれに対する感性を鈍くしてしまうのです。したがって、ファッションに鈍感な人ほど、乱暴に言えばダサい人ほど渋谷に行くべきなのです。
 それだけではありません。渋谷のビルは私たち人間を覗き込むように雑然と林立しています。おそらく、このビル群も以前は整然と並んでいたのでしょう。しかし、渋谷という場所は新規性に富む場所です。よって、空間に歪みが生じ、私たちを睥睨するように各々が屹立する様相になってしまいました。
 渋谷における空間の歪みは新規性のみが原因ではありません。過度な人口集中も一役買っております。あまりにも多くの人が渋谷に集中することにより、渋谷一帯の空間が沈み込んでしまっているのです。ゆえに、渋谷では流れる時間が相対的に遅くなります。アインシュタインが発見し理論化した「相対性理論」を渋谷でありありと感じることができるのです。

 このように、新しい環境や場所には膨大なエネルギーが集まります。そのせいで、空間は歪み私たちは不都合に直面してしまうのであります。これは封建社会を解体し四民平等を説いた高度文明社会の性です。回避できるものではありません。歪みはいずれ空間内に亀裂を生じさせ、その亀裂はゆくゆくはブラックホールへと変貌を遂げるでしょう。その時には後の祭り。私たち人類は高度な文明が崩壊していく様をただただ眺めるばかりです。

 文明の崩壊の足音はすでに聞こえています。しかし、いつコチラの扉開くかは不明です。ですので、いつ崩壊が始まってもいいように今を全力で楽しむことが大切です。全力で阿呆なことを考え実行するのです。

 校長先生が「アリガタイ」話をしているとき(実際はありがたい話でないことの方が多々あります)、いくらか退屈な思いをすることもあるでしょう。そういう時は「あぁ、あの人はあんな真面目な顔して話しているけれど、ノーパンなんだよあ」と考えれば、あら不思議。途端に笑いが腹の底からふつふつと湧き上がってくるではありませんか。
 こういった“退屈なことも楽しいものに変換するマインド”を持ってほしいと思います。現実を悲観するマインドを自慢げに掲げるのは哲学者だけでいいです。彼らはそれに耐えうる技量があるから問題ないのです。凡俗な私たちが、鵜のまねをするカラスが如く、哲学者の真似事をしてもあちちとやけどをするだけです。人生の意味とは何かなどと考えるのはやめなさい。

 思うままに筆を振っていたら余計なことを書き過ぎてしまいました。せっかちなくせして冗長が大好物なのです。ご容赦ください。
 また手紙を書きますね。

敬具

先に生まれただけの僕

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