見出し画像

きっとまた会いに行く。

「首里城が、火事…?」  

朝、ラジオから流れてきたニュースに私は耳を疑った。出かける時間が迫っている。バタバタと出かけ、画像付きで首里城の様子を見たのはお昼過ぎのことだった。  

記憶の中の沖縄

沖縄の青空の下、くっきりとした鮮やかな赤で堂々たる存在感を放つ私の記憶の中の首里城は、暗闇の中、炎に包まれていた。こうして書いているだけでも胸が痛む。私はかつて一介の旅人として沖縄を訪れたことしかないのだけれど、それでも。  

沖縄を訪ねたのは数年前のちょうどこの時期。その頃私は心身ともに本当に疲弊して擦り切れていた。そんなとき、学生時代の恩師からもらった「沖縄でも行けばええやん」のひと言が、私を沖縄へ向かわせた。  

行くはずのなかった首里城

沖縄を訪れるにあたり、私の一番の目的地は、実は首里城でも美ら海水族館でもなく、ひめゆりの塔だった。東北で東日本大震災を経験し、災害や戦争など、負の遺産に関するツーリズムに関心を持つようになった私は、各地を旅行するたび、そういうところに足を運んだ。広島では原爆ドームに、長崎では浦上天主堂に、神戸では阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センターに、NYではグラウンド・ゼロに、シンガポールでは日本占領時期死難人民記念碑に。

だから、そんな私の訪問先に首里城が入ったのは、本当に偶然だった。那覇市内のホテルに着いたのは14時前後だったろうか。その時間からひめゆりの塔に行ってもじっくり見学はできない。

「そういえば首里城なら、
モノレールで一本で行けるな」

ふとそう思いつき、そのままモノレールに飛び乗った。車窓から見える那覇市内はビルも多く立ち並び、他の地域の似通ったところもあるのだけれど、時々見かける「沖縄」や「那覇」という文字の入った看板や、ハイビスカスのような鮮やかな南国の植物が、その土地の空気感を醸し出していた。

画像4

時を閉じ込めたかのような場所

最寄り駅からしばらく歩くと遠目に首里城が見えてきた。もともと行くはずのなかった目的地ではあるけれど、そこがだんだんと近づくたび、楽しみになってくるのだから不思議なものだ。

画像5

首里城は予想外に混雑していた。11月前後は修学旅行生も多いらしい。修学旅行だから仕方なく、それでも旅先での高揚感もあり、にぎやかに城内を見学する中高生くらいの集団に若干慄きながら、私は首里城をめぐった。抜けるように青い空にまぶしいほどの赤が映えて美しい。

画像1

首里城について私は世界遺産である程度の認識しかなく、そこが街を見下ろせる高台にあることすら知らなかった。眼下に沖縄の街並みが広がる。

画像2

「きっといいことがあるよ」

城内にはいかにも南国らしい巨木も立ち並んでおり、人の多さにも関わらず、その巨木と広がる青空が独特の空間を作り出していた。まるでタイムスリップしたような。悠久の時を閉じ込めたかのような。

画像3

人混みを避けつつぶらぶらしていると、ガイドの男性が声をかけてくださった。年の頃は60歳を過ぎているだろうか。

「実はね、こんなものがあるんだよ」

手招きしながらその方が見せてくださったのは、石畳。「なんだろう?」。そう思いつつしげしげと眺めてみるとそれはハートの形をしていた。

画像6

「わあ!」

声をあげた私に、男性はそっと微笑んだ。

「きっといいことがあるよ」

私が若年の女性だったからこそ興味を持つと思ったのか、それとも心身ともに疲れ果てていた私の雰囲気をそれとなく感じ励ましてくださったのか。今になってもよくわからない。けれど、その時点で沖縄滞在数時間の私は、もうすっかり心を解きほぐされていた。沖縄の自然に。首里城の壮麗さに。そしてその方の一言に。

また行こう、あの場所へ。

今日は一日中、首里城のことが気になっていた。そしてあの沖縄の旅を思い出していた。今まで数え切れないくらい旅をしてきたけれど、あの旅は特に忘れられない。私にとって、ぼろぼろになった人生を再生させてくれるような旅だった。首里城がこれからどうなるかはわからない。でも私はまた必ずあの場所に行こうと思う。私を再生させてくれたあの場所に。

ありがとうございます。いつかの帰り道に花束かポストカードでも買って帰りたいと思います。