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親からの期待を捨ててみる〜結婚はだれのため?〜

私は誰のために結婚を考えていたのだろう...?

30歳を過ぎ、結婚に捕らわれている自分に対して、この質問を投げかけてみた。

「そうだ、母親のためだ。自分のためではない。」

自分が結婚したいと思っていたわけではなく、親が私の結婚を望んでいたため、いつの間にか自分が結婚したいと思い込んでいた。

子供が結婚していないと世間体でも気になるのだろう。

私が仕事を始めて数年が経った25歳の時、初めてお見合いのようなことをした。

いや、結婚へのカウントダウンは23歳の頃から始まっていた。

「料理教室に行ってみない?」

「フィニッシングスクールに通ってみたら?」

詳しくはわからないけど、テーブルマナーや社交性を身につける花嫁修業のような教室があるようだ。

どこかの御曹司と結婚でもさせるつもりだったのだろうか?

数万円もする教室に通わせようと、必死だった。

「興味ないからいい。」

親心子知らずばりの早い返事だったけど、結局私が折れて近所の料理教室に通うことになった。しかし、サワークリームやピクルスとかを使ったパーティー料理なんていったいどこで作ればいいのだろう?
自分が好きな料理家の本を買って家庭料理を作るほうが私は楽しかった。

その後も何度かお見合いをした。そして、出会いもないしということで、自分からマッチングアプリに登録し、結婚相談所にも足を運んでみた。

しかし、マッチングアプリでは異性に対して疑心暗鬼になり、結婚相談所の無料カウンセリングでは結婚への反骨心が芽生え、昨年したお見合いではとうとう蕁麻疹を発症した。

「もう充分頑張った、これ以上は無理するな。」

戦った戦士に対してねぎらいの言葉をかける。
自分の心の声がねぎらってくれたような、そんな気がした。

一度癖がついた蕁麻疹は中々治らず、家族でご飯を食べているときにも発症した。「お見合いしてから、蕁麻疹治らないんだよね」とあかくなった腕を見せ、結婚の話はもうしないでと遠回しに牽制した。
しばらくは結婚の話は親から出なかったけど、忘れたと思ったのだろうか、また先日も話を持ってきた。

「お見合いはもう無理だから。相手の人に断るの、申し訳ないから。」

素直に自分の気持ちを話した。

なぜ自分が断る側という前提なのだろう?相手から遠回しに断られることもあったから、かなりおこがましい。しかし、私の心は会う前から決まっていることが多く、親とのつながりのある人を異性として見ることができなかった。

昔から親の期待に応えることが苦手だった。

反発していたわけではないけれど、母親がイメージする娘でいることがなぜかできなかった。

バレエ教室を勧められたが、私が選んだのは地元の剣道教室だし、大学は薬学部を勧められたけど、興味があるのは宇宙や自然環境だった。

休日に親子でショッピングするのが夢だったらしいけど、私は家族で食べるご飯の方が好きだった。

自分の好きと親の好きがなかなか交わることはなかった。

結婚もその1つなのだろう。

親は私に結婚してほしいと思っているけど、私はしてもしなくてもどっちでもいいというのが本音だ。

ずっと続けていたマッチングアプリをスマホから削除したときは、なんだかスッキリした。

そのアプリがあった場所は今、登山用のアプリに置き換わっている。

「うん。こっちの方が私らしい。」

32歳になる独身女が婚活をやめ、山登りを始めるということは誰にも理解できないだろう。
そんなのやってる場合?とつっこみたくなると思う。
しかし、性格もまったくわからない初対面の異性と「はじめまして」というやりとりをすることよりも、山に登って「いい景色だな」って思う週末の方がより楽しみに感じる。

婚活をやめたことで、私の心は穏やかになった。

異性との出会いが減る分、一生ひとりで生きていくというリスクは高まるけれど、

その分子供の頃からの夢だった宇宙に行ってみたいという夢に一歩近づいたような気がした。

宇宙から地球を見てみたいという理由だけのために、遠い将来でも3千万円はするであろう旅行にお金を使ってもいいと言ってくれる異性なんて、あまりいないと思う。

好きになった人と一緒に家庭を築くということへの憧れもあるけれど、それができないなら自分の夢を叶えればいい。

結婚しないと幸せになれないと思っていた自分が、少し前向きになれた。

「人生を歩む道なんて、いくらでもある。」

そう思った方が、楽しく生きられる。

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