骨と影

【掌編小説】骨と影




 それを拾ったのは大学の友人たちと海水浴に出かけたときだった。海水浴とは名ばかりで実情は游泳するよりビーチボールとたわむれる女の子の品定めをし、海の家で焼きそばをすするより女の子にかき氷を奢り、夏空とまじわる幻想的な水平線を眺めるより浜辺で歓談する女の子に接近することを目的とした他愛ない火遊びである。運動神経と容姿にめぐまれている友人たちは相応に満喫できていた。それに対して子供の頃から風采のあがらないぼくはナンパにつきあわず、汗だくになりながら海水浴場を駆けめぐる友人たちの支援に徹していた。相談して役割を決めたわけではなく、あくまでもなりゆきにまかせた結果だ。けれども海水浴に誘われた時点で雑用係になることは見こしていた。だから彼らが火をつける相手を見つけたあと、ぼくはにぎやかな輪を離れて浜辺や岩場をうろついて適当に時間をつぶした。それはそれで楽しいひとときだった。元来人と交流するのは苦手なので、一人で思索に耽るのは苦になるどころかささやかな回復をもたらした。
 そうして岩場の波打ちぎわにたたずんでいると、岩と岩の隙間で波に洗われている白くて長い物体を見かけた。動物の骨だった。頑丈で武器としてもつかえそうな骨。大腿骨だろうか。海水浴場の周辺には自然の景観が残されているので、もしかしたら野生動物が崖から転落したのかも知れないと推測したが、もしもこれが動物の骨であれば動物注意標識が周辺に見あたらないのは不自然だった。ぼくは正体不明の骨にうずくような興味を抱き、人目を避けながら荷物に骨をまぎれこませると素知らぬ顔で海の家にもどった。愛すべき我が友人たちは目をつけた女の子たちに体よくあしらわれたようで意気消沈したまま焼きそばをすすっていた。結局岩場で拾った骨のことは秘密にしておいた。うしろめたさは感じたが、悪趣味だとなじられるのが嫌で切りだせなかったのだ。帰りの車中でそれとなく海水浴場の近隣にクマやシカといった野生動物が出没することはあるのかとたずねてみたが、二人は揃って聞いたこともないと首を横にふった。ぼくは肌が粟立つのを感じてトランクの荷物をふりかえった。しかし、気持ちとは裏腹に不気味な印象が深まるほど骨に惹きつけられ、とうとう捨てる機会を逃してしまった。
 自宅にもどると、母はまだ帰宅していなかった。仕事が長引いているためかえりがおそくなるというメールを受けとっていたので、夜までのんびりすごすことにした。例の骨をタオルにくるんで自室の戸棚にしまい、しずかな居間のソファに身を横たえると海辺を歩きまわった疲労が押し寄せる。いつしかまどろみに落ちて夢と現実の思考が入り混じる感覚に浸り始める。両足は海水を吸収したように重く、潮風に触れた肌には針をあてられるようなピリピリとした痛みが走る。神経が過敏になっているのかわずかな体調の変化が気にかかってしかたないし、湿り気を帯びた夕暮れの空気がやけに胸に詰まるので、ぼくは眠りからさめていくのを感じながらどこへともなく怒気を含んだうなり声をあげた。それは無意識的な行動だった。自分の声に起こされる格好でソファに座りなおすと居間の暗さに気づいた。茜色の光が差しこむ居間の床には家具や椅子の影で模様ができていて、廊下の壁をうっすらと照らしている。
 ぼくの目が眠気を飛ばすものを見つけたのは電灯をつけようかと考えながら廊下に視線をうつした瞬間だった。茜から紺に変わろうとする夕焼けの光に染まる廊下の壁、そこに人型の影があらわれたのである。影はアッとおどろきの声を発する間もなく廊下の奥に遠ざかった。そのさきにはぼくの自室がある。痛む肌から大量の汗がにじみ出る。ぼくはテーブルに置いてある灰皿をとりあげると中身をゴミ箱に捨て、力強く握り締めたまま影のあとを追った。廊下に人の気配がないということは自室にいるとしか考えられない。耳を澄ませても物音は聞こえず、車の走行音にまぎれるヒグラシの鳴き声や子供の泣き声が風に乗って流れてくるだけだ。緊張するあまり額や腋に大量の汗がにじみ、灰皿を振りかぶる右腕の肘からフローリングの床にしたたりおちた。忍び足で自室前にきたぼくはドアに耳を押しつける。やはり物音は聞こえなかった。ぼくは大きく息を吸いこんでドアを蹴りあけると、だれだ、と怒鳴った。ところが部屋にはだれもいなかった。唯一隠れられそうなクローゼットにも人が入った痕跡はなく、念のためベッドの下をのぞいてもゴキブリ一匹いない。窓の鍵はかたくしまっている。自室の様相は出かけるまえと何一つ変わっていなかった。ぼくは安堵のため息をつきながら灰皿を机に置いた。寝ぼけて人の影に見間違えるなんてよほど疲れたらしい。額の汗をぬぐう。
 ノートパソコンを起動させようと椅子に座ったとき、机の脇にある戸棚がかすかにあいているのに気づいた。なかを確認すると例の骨をくるんだタオルがあった。ぼくは身を乗りだした。タオルしかなかった。骨をタオルで丁寧に巻いて戸棚にしまったのははっきり覚えているし、先刻までぼくは居間のソファでうたた寝していたので骨は戸棚になければおかしい。それでは骨はどこに消えたというのだろうか。狼狽するぼくの脳裏に廊下で見かけた妙な影と岩場で発見したふとい骨の映像が交互に浮かぶ。そもそもくだんの骨は動物のものなのだろうか、といまさらながら疑惑の念を抱く。あれが野生動物の骨である確証はどこにもない。そこまで考えると乾きかけた汗がふたたび噴きだした。思わず大腿部の筋肉を掴み、その奥にある骨のかたちをさぐりはじめた。そして大腿部をささえる骨を喪失することを想像した。混乱する頭のなかでは、相変わらず廊下を歩き去った影と消えた骨がちらついていた。


※2012年脱稿・2017年改稿

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