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結婚したくなかった私が、ゼクシィに掲載された話。

年を重ねるにつれて中途半端なこだわりなんか持つもんじゃないなあと思う。そしてそれを公言するのは尚更やめたほうがいい。後々手のひらを返す時にバツが悪いからだ。私はお恥ずかしながら、散々手のひらを返してきた。

19歳で一生処女を守っていくと決めたのも、20歳で絶対タバコは吸わないと思っていたのも、社会に出てからは結婚はしないし、仮にしたとしても結婚式なんかあげない、子どもなんて欲しくないし、きっと可愛いと思わないだろうと決め付けていたのも。

そういうのを公言している手前、『この人はそういう人だ』というのを覆すのに無駄な労力をつかう。一人相撲以外の何にでもない。誰もなんとも思ってないのに、変な個性のアピールは正気になったとき己の首をしめるのだけど、当時はそう本気で思い込んでるんだから厄介なんダァ…。

女子校育ちの私は下ネタが大好きだった。毎日親友たちと新たに仕入れた下ネタを披露しあっては狂喜乱舞していた。だが少女たちはいずれ気づくだろう。下ネタが楽しいのは、ファンタジーだからだ。それらは見聞にしかすぎず、私たちは若いエネルギーで想像の果てまで存分に楽しむことができた。高校を卒業し男女共学の大学に入った私は、この楽しさと引き換えに処女を捨てることはもったいないと思った。ずっとファンタジーをしがんでいたい…もし処女じゃなくなったらそれはドキュメンタリーになってしまう…

19歳の私はそんなことを考えながら生きていたけど、その後男を覚え、男の影響で喫煙した。よくある話である。

当時、”こじらせ女子”というコトバが流行っていた。“女子をこじらせている“なんだか自分を言い当てられた気がして、居場所を見つけられた女は少なくないだろう。一般的にウケが悪いのはこじらせているからだと、自分を特異な存在に仕立て、居場所を確立した。モテないことには変わりないのに寒い話である。そんな私も例に漏れずモテないのは個性だと肯定したかった女の1人だ。でも夫は出会った当初から私を見抜いていた。

あなたは結婚したくないのではなくて、結婚しない女がかっこいいとこれまで思ってきた価値観を自ら否定することがかっこ悪いんでしょう?

付き合って間もない夫に言われた2016年で1番傷ついた言葉だ。悔しくて泣いた。だけどそう言われてなければ私はいつまでも、これまた"結婚"というファンタジーをしがんで一生を終えていたかもしれない。

そんな私が、散々悪タレた末にゼクシィに載った話だ。

結婚式=ワイの幸せ3万払って見にきてんか〜というゴリ押し

まあとにかくタチがわるいのだけど、人はなぜわざわざ他人を呼び立て、金をとり、着飾ったところでブスなのにそれを見せびらかしては“おめでとう”の強要をするのだろうと思っていた。(残念ながら友達の少ない私は、自分が結婚式を挙げるまで親友の結婚式に参列したことがなく、想像上の結婚式を揶揄している。参列していたらここまで先入観を持っていなかったかも知れない。その後の親友の結婚式では2度泣いてる。)

それにかかる金額である。プランナーに勧められるがままオプションをつければ数百マン単位で飛ぶ。1日過ごすためだけに着るドレスに装花、大味のコース料理、欲しくもないのにかさばる引き出物。入刀のナイフにつけるリボン5000円、乾杯グラスの飾り3000円、ケーキの台座下にひくだけの洒落たリネン8000円…いるんかそれ…?

いつなんどきも“損したくない”が判断基準の私にとって結婚式以上にコスパが悪く、やるだけ損なことはなかった。夫には入籍したとしても、結婚式だけはやりたくないと断言していた。だが夫を説得できても義母はそうはいかない。忘れもしない、2年前の夏の終わりに、義父母と小旅行に行った際の朝食のことだ。

“ね、結婚するのよね?それなら年内に挨拶に行かないとね!”

確かまだプロポーズされてないよな…私がしどろもどろしている横で、搾りたてがウリの牧場の牛乳をすすりながら、ああうんと生返事をする夫。まさか今ので?!外堀が固まった瞬間である。以降、正式なプロポーズもなく今に至る。

翌週には夫の故郷である福島の結婚式場の見積もりが郵送されてきて青ざめた。もう後には引けないということだ。あとあと、挙式前日に義母からメールで、実は見積もり取ったときにはもう予約してたの!ごめんね〜!と知らされた。義母はせっかちさんなのだ。

全国展開の結婚式場だった。私の故郷の京都にも式場があり、住んでいた東京から遠隔で打ち合わせができた。まだどこであげるのがベストか、あげるなら誰を呼ぶのか、そもそも挙げるのか?結婚に対するマイナスイメージの克服からしないといけないのに、結婚式を挙げるという事実だけが先に決まってしまった。

なんのためにやるのかをハッキリさせる

結論から言うと、私たち夫婦は前撮りを2回、結婚式(及びパーティー)を2回やっている。こんなに沢山やるとは思ってもなかった。でも全部やってみて、夫婦でそれぞれをどういう意味づけでやるのかを明確にするためにコミュニケーションをとることが重要だと感じた。

結婚式を仕事におけるプロジェクトと捉える。ToDoの洗い出し、スケジュールや予算管理、情報収集などどちらかが投げ出したり、どちらか任せになってしまうことなく、お互いの価値観をすり合わせ、何をどう選択し前に進めるのか。それはこれから夫婦で暮らしていく上で良い経験になった。

大金のかかることでもあるし、自分のためでありながら、誰かのためでもあったりする。そのいい塩梅を見つけるのは本当に大変でめんどくさくて、もう2度とやりたくないと思うのだけど、と同時にやってよかったなと今なら思える。

折衷案を1回の結婚式で盛り込むのは難しいなら目的に合わせて小さめに複数回やることにした。お金をかけたいこと、そうでないことを切り分け、優先度の高いものに比重をかける(プランナーさんの勧めに流され過ぎない)。

結果、全部やっても資金は結婚式1回分の平均予算に収まった。(自己負担額はそれの3分の1程度)それが私たちなりの最善策だった。

①親の納得感を優先した親族婚

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夫は長男で、実家は神社だ。となればチャペルではなく神前式一択。私としては挙げるなら故郷の平安神宮で、親代わりになってくれた祖父母に花嫁姿をみせたかった。年老いた祖父母を京都から福島まで連れて行くのは難儀だ。

最初は2度結婚式を挙げるという案もあったが、それを祖父に相談すると“あんたは嫁に行くのやから向こうであげてもらえ、私は行かへん”という。誰のための結婚式なん?という虚しさで泣けてくる。花嫁の気持ちは真っ先にないがしろになるものなのか。

結婚式をあげたくなかった大きな理由は、いびつな家庭環境を人前でさらけ出さないといけないこと。小さい頃からうちは家族がきれいに揃った普通の家族ではないんだという引目があった。父は他界しており、母と祖父母は半径20メートル以内に住んでいたのに15年くらいは顔を合わせていない実質の絶縁状態。あんな風に啖呵を切ったのも、不器用な祖父なりに気を遣ってのことなのか…

婿でもないのに京都で式をあげるというのは筋違いかもしれない。となれば結婚式を1番楽しみにしてくれている義母や家柄のこと、長年疎遠になっている母方の親族が宮城在住ということもあり、福島で式を挙げた。

神前式でよかった。親族の前でキスなんてしなくて良い。流派にこだわりがなくても、日本人の血にとてもよく合ってると思う。意味はわからないが祝詞(のりと)を聴いていると意識が冴え、シャンと背筋が伸びる。しゃなりしゃなりと巫女が舞う。お神酒を受け取る手が震えた。私たちの先祖ははこうやって何百年も前からチギリをかわしてきたんだ。まるで通過儀礼のようだ。いいオトナになろうと神様に誓う。

神前式を終えた後は親族だけの食事会。半日は会場丸ごと貸切りだから、庭の見える程よい広さのエントランスで食事もできたのだけど、100人は入る大広間のど真ん中にハリーポッターばりの晩餐会式長テーブルを20人で囲んだ。空間を持て余しすぎて体育館みたいで面白い。義母が押し花でウェルカムボードを作ってくれたり、義祖父母が仲良くカラオケをしたり、私たち夫婦による自己紹介スライドショー(会場設備を使うと7万別途と言われ、スクリーンプロジェクターパソコンパワーポイント全て持ち込んだ)をしたり、和やかでハートフルな会だった。

家族を主役にするなら気取らない親族婚がいい。結婚式は自分のためではない、両親を労い安心させるためだ。あとは現金な話だが、もし親が出資してくれるのなら、自分の意見やこだわりよりも親の意見を優先して取り入れるべきだなと思った。

②祖父母のための京都前撮り

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祖父母は2年前夫婦揃って癌になった。ふたりは20年前も同じように、くも膜下出血と脳卒中で倒れている。奇しくも夫婦同じタイミングで2度目の大病。だけど不思議なことにシンドイが口癖の祖母は、病気を患ってからの方が気丈だった。自分も癌なのに、"私がおらんとおじいさんできはらへんから"とあくまでも支える側でいる。祖父は毎日祖母の健康状態を手帳に書き記す。夫婦って強いなあと思う。

病み上がりで無理のできないふたりにどうしても花嫁さんらしい姿を見せたかった。親代わりに育ててくれたふたりを安心させたい。義父母からの結納の提案も“そんなん今どきしませんやろ”と足蹴にしてしまった祖父。もう孫の結婚のことなんてどうでもいいのかなとか思いつつ、こちらも意地になってくる。

"来週、京都帰るときに平安神宮の前で写真撮るさかいな!"と確認の電話をする。"もうえぇ。しんどいしよーいかへん、もうかまへん。"と自分の言いたいことだけ言って祖父は一方的に電話を切ろうとする。ほんまに体がしんどいのか、単なる意固地なのか。数ヶ月前から予定を立てて、フォトグラファーにももしかしたら調子悪くて無理かもしれませんと根回しをしていたけれど、意固地ならこんな時までやめてほしい…とやりきれない気持ちになってくる。こんな時くらい気持ちよく参加してくれ。

京都の暑さが本格化する5月末。祖父母は病状を隠そうとするので、叔母づてに話を聞くしかなかった。叔母は立っていられないかもしれない、体の調子を見て直前に判断しようという。長時間のスタジオ撮影から付き合わすわけにもいかないので、実家から徒歩15分の平安神宮までタクシーで乗りつけて数カットだけ手短に撮ることにした。

タクシーで叔母に連れられた祖父母。数ヶ月前よりも痩せている。ゆっくりとした動きだが、明らかにニヤけている祖母。数メートル離れたところからフォトグラファーに向かって“お世話になりまぁす!”と叫ぶ祖父。挙げ句の果てに、私らも結婚60周年どしてなァと祖父お得意の無駄話が始まって、気を利かせたフォトグラファーがせっかくならお二人で撮りましょうよ!と言ってくれた。へぇそうですか、と満更でもない様子で2人腕を組んで撮ってもらっていた。

祖父母と叔母と5人で平安神宮の前で写真を撮った。祖父の杖と、祖母のサンゴのネックレス、叔母のイッセイミヤケのトップスが朱色でとり合わせたように平安神宮とリンクした。

ものの数分で、ほな大黒屋でうどん食べてくるわとそそくさとタクシーに乗り込んだ。ふたりは予想以上に元気だった。それなら最初から駄々をこねず素直にきてくれたらいいのに…と泣きそうになる。私たち家族は似た者同士”こういうの“に不器用だ。

③私たち夫婦のためのトルコ前撮り

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2019年のゴールデンウィークは9連休だった。いつか無茶な旅行ができなくなる前にと片道30時間、航空券に大枚を叩いて行ったトルコ旅行。せっかくなら気球の有名なカッパドキアで日本じゃできない前撮りをしてもらおうということになった。インスタで検索。メルカリで安くて可愛いドレスを購入し、現地のフォトグラファーとメッセージアプリを通じて繋がり、奇岩群をバックにドローンで撮影。オンライン決済で支払いを済ませ、クラウドを通じて写真のシェア。便利な世の中である。

今思えばそのあと渡英がきまって、妊娠したのであれがハネムーンになった。次に2人きりでゆっくり旅行ができるのはまだまだ先になるだろう。結婚の記念に2人だけの思い出をつくれたのは、この時しかできないことの1つだった。私たちはとくにエンゲージリングにこだわりがなかった。(例の如く私がダイアモンドなんて勿体無いしいらんと言った)私には指輪より、思い出の方が価値がある。あの時子どもを持つまえに、お金も時間も自分たちだけにたくさん使えてよかったと思う。

④友人の前でケジメをつけるためのパーティー

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私たちが入籍したあと、友人の結婚式から戻った夫が“いいなあ結婚式”と言っていたのを思い出した。前撮りも2回して満足したし、親族婚で両親への労いもできたはず。けれど小さい頃からサッカーに夢中でチームで育った夫は、本当は結婚式に友人をたくさん呼びたかったんじゃないんだろうか。

本意を言えば、友人や同僚を呼んでの結婚式が1番やりたくない。親友は両手に収まる程度で、やるにしろ夫に比べて劣勢すぎる。コミュニティにはコミットせず、飲み会の付き合いも悪かった。部活に夢中になったこともなく、狭く深い繋がりを好んだ私にとって、夫の交友関係はキラキラだった。だからこそいつかこの人は、結婚式をしなかったことを後悔しないだろうかと気がかりだった。

本当は結婚式、やりたいんじゃない?とまずは夫の意思の確認をする。やってみたいような気もする、と曖昧な返事で一悶着起きる。どっちやねんな!もしやるなら、どういう形なら自分は腹落ちできるだろうかと考えてみた。

家族は呼ばなきゃいい。場所はなんやかんやで東京が都合がいいだろう。それほど大規模じゃなくていい。結婚式というよりは2次会のような、でも中途半端なお酒と料理を出したくない。飲み会ほど砕けすぎてなくて…1.5次会?そんな言葉あるんだなあと知る。お祝儀は貰わずに一律の会費制にしたい、きてくれる人に1番還元されるご飯とお酒だけにお金をかけたい。かさばる引き出物や、自分の身なり、装飾は最小限でいい。人前式のような儀式も、もういらんのちゃうか?誰がお金払ってまでワイらの生チューみたいねんな…

行き着いたのは3つ星レストランでの大規模な食事会だった。会費2万円はらって2万円分の食事を一緒に食べてもらう。そういうちょっと贅沢な“ごはんたべ(関西弁で外食のこと)”やと思ってきてもらおう。そうすれば余計なものにお金を払ってもらっているという後めたさもなく、ちょっと珍しい体験をしてもらえて面白がってくれたらそれでいい。食べることが大好きな私たちらしく、食事会に友人たちを誘いたいと考えた。

ENEKO TOKYOはバスク料理の3つ星レストランだった。元はギャラリーだという、吹き抜けのテラスを囲うようにたつ白基調の無機質な建物。THE結婚式場というギラついていないのが良い。私たちの結婚パーティーは、おつまみとお酒のカクテルパーティーから始まる。カジュアルなツーピースと白いワンピースを着て、きてくれた友人たちをテラスに案内する。生ハムやピンチョスをあてに少し飲んでもらったあと、会場に移動してコース料理を楽しんでもらった。

人前式の代わりに、お互いに手紙を読み合った。私は手紙と称して、友人たちに長い言い訳を聞いてもらう。あれだけ結婚しないと豪語していたのに、笑うてくれこの有様だと。気の置けない友人たちは爆笑し、読み終わったあと歓声と拳を上げてくれた。一方新郎側の島は失笑し静かに引いている。異様な光景である。真っ黒いクリームのウェディングケーキに会場がどよめいた。小さな私のレジスタンスだ。ケーキ入刀の代わりのバルーンバースト、小さいけど美味しいクッキーのお土産。イメージ通りのパーティーができて、達成感があった。

ゼクシィが教えてくれたこと

そんな怒涛の結婚式イヤーも過ぎ、臨月のお腹をなぜながら熱いお茶を啜っていたときだった。大学時代の友人からゼクシィに掲載させて欲しいと声をかけてもらった。きっと家族は面白がって喜ぶだろうと思い掲載してもらうことにした。『誰も無理をしない結婚式が究極の幸せかも。』という特集の先輩花嫁実例レポートの1ケースとして。

はじめてゼクシィを買った時のことをよく覚えている。例の旅行の後、仕事帰りにふと思い立ち三軒茶屋のTSUTAYAで、プロポーズされてないけどゼクシィを買う。はじめてのゼクシィは人でも殴り殺せるんじゃないか?というほど重くてもはや鈍器だった。なのに300円と重さに不相応な価格。ご丁寧にパステルブルーの専用袋に入れてくれる。

ゼクシィ(結婚式)に憧れがない私がオモテェと、指の食い込みに苛立ちを感じながら、帰る日が来るなんてな。ゼクシィ自体には興味がなかったが、時代に沿ったセンセーショナルなキャッチコピーを謳うCMが好きだった。

「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです。」

2017年当時はこのコピーに賛否両論あったようなのだが、話題が湧くという点で時代に刺さるコピーなんだなと思う。それだけ結婚観が多様性に溢れかえってるということだし、みんな自分に置き換えちゃうからセンシティブになってしまう。でも、そうそうと膝を打った女の人も少なくないだろう。

私は結婚式には憧れがなかったが、夫婦の繋がりや豊かな暮らしに憧れがあった(リリーフランキー、深津絵里が演じるダイワハウスのCM”ここで一緒に”のような)。私が1番好きなのは2011年に放映された、今は亡き内田裕也、樹木希林夫妻が出演するCM。

『Get old with me.』

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広告の監修は箭内道彦さんだそうなのだが、時代に左右されない今でも刺さるコピーだと思う。ふたりが一緒に生きていくことを約束したことから始まる全ては”過程"、だとする。そしてBGMが福山雅治の家族になろうよ、である、、泣ける。10年近く経った今でも記憶に残るCMで、結婚式をクライマックスとせずに、そのあとの夫婦像に焦点を合わせたのがよかった。ジェンダーや結婚という形にとらわれず、今の時代でも遜色ないと私は思っている。あのCMをみていなければ私だって結婚してなかったかもしれない。

結婚観を語る時、いやでもさ、結局結婚してんじゃんね?結婚してない側の気持ちはわからんでしょ、って言われたオシマイなのだけど、何事においても多様性が認知されつつある昨今なのに、”傷ついた!”って大声あげたもん勝ちみたいな風潮はイケてないと思う。みんなそれぞれの立場でしかモノを言えないのはフェアなのに、それを理解出来なかったとしても対岸を攻撃して良い理由にはならないはずだ。

例のウィルスのせいで結婚式のあり方や考え方も変わっているかもしれないし、延期や中止をせざるを得なかったカップルもあるだろう。するしないをもっと判断するのが難しくなっているかもしれない。私はそんな人たちの後悔が遠のくことを祈ることしかできない。結婚式をしたからより多くを語れるわけでもないが、私の場合はこうやって腹落ちしたんやで、という一例を残しておきたかった。

結婚は女の幸せと言われていた時代から、
結婚だけが女の幸せではないと誰かが気づく。
娘には結婚も数ある女の幸せの1つと、
こんがらがらずに腑に落ちてくれたらそれだけでいい。


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