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【社員インタビュー #1】多彩な経験を経て、印刷の世界へ 執行役員兼工場長 勝見 純平

株式会社小松総合印刷で働くメンバーに、実際の業務内容や入社理由など、色々深掘りしていく社員インタビュー企画。
記念すべき第一回目は、執行役員兼工場長で製造部門を担う勝見さんのインタビューです。勝見さんの人となりを知ってもらえるインタビューになっています。
全3部作の長編。今回は小松総合印刷に入社するまでの経験を語ってくれています。



印刷、広告、水商売と多様な業界を経験

—勝見さんの出身はどちらですか

出身は東京都で、埼玉県で育ちました。高校に進学したのですが、家庭の事情で中退することになって。文京区の小さな印刷会社に入社しました。

—それから印刷業界ひとすじに?

印刷の仕事をやっていたのは2年くらいですね。それから知り合いの紹介で、大手総合商社傘下で求人媒体をメインで取り扱う広告代理店に入りました。20才のときです。

—なぜ転職したのですか

印刷の仕事をひと通り覚えて新しいことをしてみたくなったのと、営業だったら先々も潰しが効くかなと思って。BtoBの企画営業で、1年半くらい働きました。当時その会社は、社員120人で年間100億円強の売上を上げていましたが、大手IT企業に吸収されることに。それで学歴もない自分が大卒に囲まれて生きていくのは難しいと思い、「別の道を探さないと」と思っていたときに、たまたま運悪く家庭の事情でお金を稼がなきゃいけない状況になりました。そんな時、お客さんである経営者の方からもお誘いいただき水商売の道へ。キャバクラの店長として働いて、何とか普通の生活を送れるところまでいきました。

—20代前半にして、激動の人生ですね

ただキャバクラの店長は一生やっていける仕事ではないし、学歴もない。20代前半で先を見渡せる力もないし、「一生の仕事ってなんだろう」と思っていました。そのころはまだEメールが出始めて数年で、Amazonなどもなく、インターネットが生活に根付くイメージがなかったこともありましたが、「結局、世の中情報だよね」と考えたときに、同じく情報を取り扱うっていう意味でも、「昔やっていた印刷の仕事って結構おもしろかったな」と。

印刷する勝見さん

一生できる仕事を求めて再び印刷業界へ

—それで、また印刷業界へ戻ってきたのですね

はい。求人広告で見つけた、東京都の製版印刷会社です。16年間、製造の現場で働いていました。会社自体の体質が古く、年功序列・永年勤続が常識だったので「この会社ならトップ取れるな」と思って現場でバリバリ働いて、新工場の立ち上げまで任されるようになったんです。

その会社の元々の本業が「製版」、つまり印刷用のデータを作ることでした。昔の製版会社は、印刷会社から“先生”と呼ばれる立ち位置にいて、圧倒的に業界のヒエラルキー上位にいた。そんな製版会社が印刷会社をもつという、いわゆる川下の業態をやるというのが業界初に近い取り組みだったんです。そして当時は、印刷会社によって品質管理の手法もマチマチで、いざ製版したデータを印刷してみると、お客様の希望通りの色が再現できない、なんてことが日常茶飯事でした。そこで、実際の印刷機で試し刷りをする、所謂“本機校正刷り”の提供もしていましたが、当時のメインは雑誌や新聞の広告といった小さいサイズのものばかり。イコール印刷機も必要最小限の設備でしたが、電車の中吊り広告や駅に貼る大きなポスターこそ、より品質要求度の高い印刷マーケットがあるはずで、当時の日本ではまだなかったB1サイズの本機校正(印刷)ができる工場を立ち上げることになりました。入社3年目くらいに、その立ち上げを担当させてもらい、1年半くらいは地獄を見ましたね(笑)。それでも何とか仲間と共に頑張って、僕が入った当時売上9億円弱から16年間で3.5倍に。社員も、88人から176人まで大きく成長しました。

—ものすごく成長していますね!

そうした経験も経て、起業しようと思い始めました。作業の改善や設備の入れ替え、M&Aの手伝いなどを行なうコンサル事業をメインに、先々は中古機の売買やメンテナンスなどを含めて総合的に展開すると面白そうだな、と。台湾と香港に色々とネットワークがあったので、その人脈を使ってビジネスを展開しようと考えていました。

日本ってじつは、印刷に関してはかなり先進国なのですが、アジアには遅れている国が沢山あるんですよ。それはハードもソフトもです。たとえば東南アジアに行って印刷技術を上げるためのコンサルをやるとか、設備の修理や改造をして効率や品質を上げるとか、仲間たちとそういうビジネスを組み立てていました。ところが会社を辞める直前にコロナ禍が始まってしまって、動けなくなってしまったのです。

会社には辞表を出してしまったし、事業計画も起こしてしまったし、どうしようかなと……。細々とコンサルをやっていこうと思っていたら、横浜のあるパッケージ会社から「手伝ってくれ」というお誘いが来て、そこに一回ジョインすることに。その会社には1年半くらい在籍して、工場の立ち上げや工程改善などをやりました。


1回目はここまで。次回は小松総合印刷に入社するに至った経緯や今やっていることなどを語ってもらいます。お楽しみに。


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