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2019年6月の記事一覧
見たくないと言って見ないのは逃げでしかない
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/06/post-12393.php
全文読める。丁寧な取材に基づく良ルポ。百田氏は稀代のマーケターかつ極上な物語の語りべであり、極普通の人達が読みたいもの、知りたいもの、彼等にとって耳触りの良いものを提供しているだけ。百田氏を見たくないと言って切り捨てるのは容易いがそれは逃げでしかない。
デジタル羊は夢見る頃を過ぎても、まだ尚見続けるのだろうか?
WIRED 2019 VOL.33
ケヴィン・ケリーの巻頭記事。若い人からすれば、ウエルカムなんだろうけど、未だにこんなこと言っているとは驚きだよ。ニコラス・ネグロポンテが全てはデジタルになるって言ってからもう何年経ってると思ってるんだ。能天気なのにも程がある。
「オープンな世界」ってどこにあるの?。デジタル化によって作られたパラレルワールドは、その成立過程で商用利用が前提条件であった結果、ビッ
わかってます。といってもほとんどわかってないことの方が大半なんだよね。いつの時代も。
AI VS. 教科書が読めない子どもたち
漸く読めました。新井先生の『コンピューターが仕事を奪う』を読んだのが2012年かな。子供が将来、教育に携わりたいと伝えて来たので、これからの社会でどのような能力が必要となるのか、一緒に考えるために手に取りました。読んでみて「そうだよな〜」と思いましたが、その頃は世の中的にはまだそこまで深刻には捉えてなくて、そのあと『機械との競争』の翻訳が出たころビッグデ
コンビニはやめたけど、容易に流通することが問題
「創作子どもポルノ」と子どもの人権
今話題の本ということで。剽窃と指摘された当該の章は、確かにご自身が調査研究した体で書かれているとしか読めないので、これがコピペということであればアウトですね。ただ、該当箇所は、本研究においてはコアではないので、丸々先行研究をリファールしていると記述して論を進めれば何ら問題なかったと思われるだけに、最後まで何故そうしなかったのかという疑問が付きまう。魔が差してし
歴史は繰り返さないけど、学習はしてほしい
昭和16年夏の敗戦
データドリブンとは、データ分析に基づいた結果や予測を実際の意思決定に利活用することができるかどうかにかかっている。日米開戦直前の夏に総力戦研究所(国防に関するシンクタンクのようなもの)の若手エリート達が出した結果は、日本必敗であり、それを当時の東条内閣に具申したが、利活用されることはなかった。むしろ、戦略物資である石油の枯渇から戦争続行不可能になるというシミュレーションを逆手
デジタルの次はアナログじゃないの?
アフターデジタル
自分的にはあまりピンとは来なかったかな。属性データ✖️行動データから顧客へのアプローチが変わるということを中国でのショッピングをユースケースとして取り上げている。真っさらなところにフルデジタルで仕組みが立ち上がるのは中国ならではか。電気自動車同様進んでいるといえば進んでいるのだろう。ただ、顧客は全ての行動を店側に握られていると感じたら、それを快適だと思うのだろうか。データポータ
数字も見ないで頑張ってるって言われてもね
「マネーボール」 マイケル・ルイス著
2019年3月17日。未だ冬の寒さが残る東京ドーム。私は同僚のSさんと25番ゲートへと続く長い長い列の最後尾に並んだ。この日の試合は、日ハムVSアスレチックス。イチローの引退試合となるマリナーズとの公式開幕戦前のプレシーズンゲームとしてアスレチックスが組んだものだ。このままでは試合開始に間に合わないのではないかと思われたが、開始30分前には外野に近い1塁
まあ、まあ、まあ、そうだよね
ニムロッド。
題材に仮想通貨が取り上げられているということで、久しぶりに芥川賞受賞作を読む。
アマゾンのレビューほど悪くはないと自分は思った。作品の完成度はまあ高い方ではないか。
小説としてのフォーマットはしっかりしており、基礎体力の高さを十分に認識させられた。
ただ、中身は題材に比して新しくはない。むしろ古典的で路線としては王道の部類に入るか。
たまたま今の時代にある題材で書いたらこう
デジタル化の果てに在るもの
ネグポンが全てはビットになると言って30年近く経つ。デジタル化するというのはオリジンとコピーに差がないという意味だ。差がないというのは正確ではなくて、差がないように同一化、同質化する。その過程で差分は余計なものとして捨象されるということだ。そこには個々のアイデンティティなどない。どこまでいってもaはbであり、bはcであるフラットな世界が続く。一方、人はどうかといえば、違いにこそ価値があると捉え
これはあざといな マーケティングは何処へ行くのか。
この本は、なんというかあざといのである。筆者はいわゆる意識高い系の人達をアレだと思っているのだが、この本の読み手は誰かといえば、まさに意識高い系の人を想定しているのだから全くもってタチが悪いのだ。
まあヒットする「もの」や「こと」の理由を説明するのは困難だ。なぜ流行るのか?それがわかれば苦労はしない。もちろん後付けでいろいろと理屈をつけることはできるが、それは屁理屈以上のものにはならない。
僕らのインターネットを取り戻すために必要なこと
○○とハサミは使いようというが、インターネットもまた同様である。
なんでもそうだが、その成り立ちなり、出来上がってきた経緯なりを知らずにいるのは、現状への理解を浅いものにし、また未来への予測をより不確かなものにしてしまう。
だから歴史は繰り返さないとしても過去の史実を学ぶことには価値がある。
インターネットも科学技術とするならば、その成り立ちや使われ方と人間社会へ及ぼした影響を考えると、限り