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僕らのインターネットを取り戻すために必要なこと

○○とハサミは使いようというが、インターネットもまた同様である。

なんでもそうだが、その成り立ちなり、出来上がってきた経緯なりを知らずにいるのは、現状への理解を浅いものにし、また未来への予測をより不確かなものにしてしまう。

だから歴史は繰り返さないとしても過去の史実を学ぶことには価値がある。

インターネットも科学技術とするならば、その成り立ちや使われ方と人間社会へ及ぼした影響を考えると、限りなく原子力のそれと類似していることに気がつく。

科学者は純粋あるいは無邪気に研究し今までにない技術を開発するが、それが世の中の役に立つどころか軍事利用され、人類に多大なる災禍をもたらすことになって初めて後悔の念を持つ。そして技術は軍事から民間に転用され経済活動のエンジンとなり、一部の企業や人に富をもたらす一方で、多くの人はその恩恵にあずかるために隷属的な暮らしを強いられる。それは富の分配ではなく収奪であり、格差社会を助長し固定化する。

僕らのインターネットも、1993年の商用化前夜は、牧歌的だったし、自律分散性を維持しつつみんなが平等にネットの恩恵の預かると思っていた。少なくともヨーロッパはそうだったと思う。アメリカもカウンターカルチャーやオルタナティブと言った文化的な文脈では明るい未来への扉が開いたと思っていた。

だが、GSかMerrill Lynchか、ハッキリ覚えていないが、90年代初頭の年次レポートで、インターネットは次の資本主義経済をぶん回すダイナモになるだろうと述べていた。これであと少なくとも20年は現行の資本主義が生き延びるだろうと。アメリカは最初からインターネットを金儲けのツールでありビジネスそのものだと捉えていた。だからナスダックでのIPOブームをいち早く演出し、シリコンバレーをインターネットベンチャーの集積地として大々的に売り出したのだ。

こうして.comという名の極端に野蛮なリバタリアン達がファーストムーバーアドバンテージという全くデタラメな法則に従い、死屍累々果てにピーター・ティールやショーンパーカーなどのラッキーボーイを生み出し、GAFAという世界規模の個人データ収集プラットホームを生み出した。

ネグロポンテが『being digital 』で「全てはAtomからbitへ変わる」と言ってから25年余り、世の中はどこもかしこもDX祭りでドックイヤーという業界の割にはゆっくりした歩みであったが漸く全デジタル化によるデータドリブンな時代が到来しようとしている。

ただその世界は、当初望んだユーフォリアではなく、ビッグブラザーを想起させる封建的なディストピアとなりそうで、流石にそれは不味いだろうということで、ここに来て多くの人が箴言し始めているのだ。

この本は、そう言う箴言の端りとなった本で、いまやアプデされた文庫本による再販がされているので手に取ってみてはいかがだろうか。



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