デジタル化の果てに在るもの

ネグポンが全てはビットになると言って30年近く経つ。デジタル化するというのはオリジンとコピーに差がないという意味だ。差がないというのは正確ではなくて、差がないように同一化、同質化する。その過程で差分は余計なものとして捨象されるということだ。そこには個々のアイデンティティなどない。どこまでいってもaはbであり、bはcであるフラットな世界が続く。一方、人はどうかといえば、違いにこそ価値があると捉える世界に存在している。誰一人として、僕はあなたであなたは私ではなく、僕は僕であなたはあなたなのだ。デジタルの海に溺れて腐乱し身元不明の遺体となる前に、自分を取り戻せるルートを確保しなくてはいけない。

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