見出し画像

乃木坂46が愛される3つの理由

皆さま、こんにちは!
コクトです!

今回は、前々回の記事前回の記事の内容を踏まえて乃木坂46が愛される理由を僕なりに考察していきます。あくまで個人的見解ですが、この記事を読んでいただいたことをきっかけに乃木坂46に興味をもってくれる人が少しでも増えれば嬉しく思います。

なお、全ては前回の記事で述べた「AKB48との差別化」が根底にあり、これが功を奏したと考えられます。


良曲が多いから

白石麻衣さんの卒業コンサートで彼女自身が「乃木坂46には良い曲が多い」と語っていました。僕も激しく共感します。

そうです、乃木坂46には良曲が多いのです。
もっと言えば、良い歌詞の曲が多いのです。

もちろん、人によっては聴いた曲を良曲と思わない方もいらっしゃるでしょう。
ファンにとっては全てが良曲に聴こえてしまうものですし、良曲と思わないことを否定するつもりはありません。
こればかりは各個人の感想であり、なおかつ僕は音楽評論家ではないので、反対意見はいくらでも出てくるものです。最終的には実際に聴いてもらう他ありません。

「良いかどうか」ということは、比較することで分かりやすくなります。
乃木坂46には、せっかくAKB48という公式ライバルがいるので、試しにAKB48と乃木坂46の曲をいくつか見比べてみましょう。

AKB48の表題曲は、恋する女の子や男の子の心情を表した歌詞と、明るいメロディーが合わさったものが多いと思います。全てではありません。あくまで多いというものです。
僕の知っている範囲で思いつく限りのAKB48の表題曲を挙げますが、どれもAKB48がよりアイドルらしく見える曲です。LIVEで披露すれば盛り上がること間違いなしですね。古い曲ばかりですが…。

  ・涙サプライズ
  ・言い訳Maybe
  ・大声ダイヤモンド
  ・ポニーテールとシュシュ
  ・ヘビーローテーション
  ・Everyday、カチューシャ
  ・真夏のSounds good !
  ・永遠プレッシャー
  ・フライングゲット

それに対して乃木坂46の表題曲は、気分が落ち着いている時にこそ聴きたくなる、どこか切ない曲が多いと思います。
人生観を問うような歌詞と、めちゃくちゃに明るいわけではない、かと言って憂鬱すぎるわけでもないメロディーが合わさったものが多いと思います。繰り返しますが、あくまで多いというものです。

  ・何度目の青空か?
  ・命は美しい
  ・サヨナラの意味
  ・逃げ水
  ・いつかできるから今日できる
  ・シンクロニシティ
  ・帰り道は遠回りしたくなる
  ・Sing out! ← My favorite song
  ・夜明けまで強がらなくてもいい
  ・しあわせの保護色
  ・僕は僕を好きになる ← 現時点の最新表題曲

AKB48と乃木坂46の表題曲をざっくり列挙してみましたが、曲名だけを見てもその雰囲気の違いが分かるのではないでしょうか。

少なくとも乃木坂46の曲は、曲名からして恋愛がテーマじゃないことは分かっていただけるはずです。曲名だけを見たり、曲を聴いたりしただけではアイドルグループの曲だと認識できないかもしれません。

個人的には、静かにその歌詞の意味やメロディーの良さを感じながら聴くべき曲が多いと思います。なので、アイドルのLIVEでよくある「超絶可愛い〇〇!」という観客の掛け声が合わない雰囲気の曲が多いと思います。
もちろん、LIVEに盛り上がりは欠かせないものであり乃木坂46のメンバーも観客もそれを求めているので、掛け声を中止しろとは思いません。
ただ、「たまにはじっくり乃木坂46の曲を聴いてみよう!」という催しがあっても良いのではないかと思っています。

さて、ここで考えるべきは「どちらが万人に好まれやすいか」ということです。

AKB48の曲の歌詞は焦点がAKB48であり、AKB48が歌うからこそ成立する曲が多いと思います。つまりAKB48専用の曲なんですね。専用劇場をもつグループ故に、その劇場で披露することを前提に曲が作られるのでしょう。

それに対して乃木坂46の曲の歌詞は焦点がリスナーであり、そのリスナーに向けたメッセージが込められた曲が多いと思います。焦点がリスナーというだけあって、アイドル以前に歌手として受け入れられる曲が多いんです。恐らく他の歌手が歌っても違和感のない曲でしょう。

そして乃木坂46の歌詞のメッセージは焦点がリスナーであるが故に、誰にでも当てはまるような共感しやすいものです。
具体的に言えば、乃木坂46の曲を聴くと「良いこと言ってるな、この歌詞」という印象をもちやすいということです。

良曲の定義はもちろん人それぞれですが、人がその曲を良曲と判断する基準の一つに「歌詞に共感できるかどうか」というものがあると思います。そして人は歌詞に共感した時にその曲を「良曲」と評価するのではないでしょうか。

もしこの仮説が正しければ、乃木坂46の曲の方が共感を発生させやすい性質に富んでおり、万人に好まれやすいと言えるはずです。

そして、誰もが共感しやすい「良曲」の歌い手である乃木坂46が好かれるということはごくごく自然な流れだと思います。

つまり乃木坂46は可愛い女の子が歌い踊ることで得られる「アイドルとしての人気」もさることながら、良曲を世に送り出す「歌手としての人気」も得ているということです。

それにしても、作詞は同じ秋元康さんなのにグループによって歌詞の雰囲気にここまでの違いをもたせることが出来るというのは、さすがプロの作詞家と言わざるを得ません。


推しメンが複数人になるシステムを取り入れているから

これは本当に感覚的な話ですが、白石麻衣さんの卒業を悲観している人は少ないのではないでしょうか。

寂しいのは否定できませんが、むしろ「今まで乃木坂46を支え続けてくれてありがとう」とか「ソロになっても頑張ってください」とか、プラスに捉えている人が多いように思います。僕自身、白石麻衣さんの卒業を祝福し、ソロになっても応援したいと思っています。そして何より、これからの乃木坂46がどうなっていくのかということが楽しみなんです。

あくまで仮説の上に成り立たせている疑問ですが、なぜ卒業を祝福したり、今後に期待したりする人が多いのでしょうか。

それは恐らく、乃木坂46というグループそのものを好きな人が多いからだと思います。

もし「白石麻衣だけが好き」というファンが多ければ、白石麻衣さん卒業と同時にいわゆる「白石ロス」が発生し、白石麻衣さんが不在になった乃木坂46から気持ちが離れてしまうという人が急増することになってしまったと思います。

では、なぜ乃木坂46というグループそのものを好きな人が多いのでしょうか。

それは恐らく上述の良曲が多いことも然りですが、前回の記事で書いた「乃木坂46の流動性」が絶妙に作用しているからだと思います。

前回の記事でも述べましたが、乃木坂46のセンターは流動的であり各シングルで誰がセンターになるのか分かりません。いや、もはや選抜メンバーでさえも流動的なんです。

センターに立つからには、そのメンバーに対する注目度が上がるのは必然であり、いろんな人がそのメンバーを知るきっかけが生まれます。既存のファン然り、乃木坂46をそこまで知らなかった人然りです。

既存のファンにとって新センターは「存在は知っていたけど、そこまで興味がなかったメンバー」であることが多く、新しいシングルをきっかけに新センターの魅力に気づかされることになります。

その結果、「あの子も良いけど、この子も良い」というようにして推しメンが2人になる可能性が高くなります。そしてこのサイクルが繰り返されていけば推しメンが3人、4人、5人…と増えていくことになり、気がついたら乃木坂46の中に推しメンが何人もいて、俯瞰したらグループそのものを好きになっていたという結果になるわけです。

乃木坂46をそこまで知らなかった人は、新センターが様々なメディアで取り上げられることで、まずはその新センターに興味をもち「この子、乃木坂46なんだ!」とか「こんな人が乃木坂46にいたんだ!」とか、様々な形で乃木坂46を知ることになります。
そして、新センターを知ってファンになると、上記のサイクルに巻き込まれやすくなるわけです。

このように乃木坂46には、一度ファンを獲得したら、そのファンを逃しにくい性質があります。「乃木坂46の流動性」によってもたらされた、「乃木坂46の堅実性」とでもいうべき体質を身につけてきたと言えるでしょう。 

そして乃木坂46運営陣の素晴らしいところは、新期生にもセンターを任せる傾向があることです。ベテランのメンバーばかりにセンターを任せるのではなく、新期生も「乃木坂46の流動性」に巻き込んでセンターに起用し、人気を得られるようにしているのです。
そうすることで、各メンバーにバランスよく人気が分散し、ファンの推しメンが複数人になるようにして、いつ誰が卒業しても「〇〇ロス」が起こりにくい体質を乃木坂46に身につけさせ、将来的なファン離れを未然に防いでいるのではないでしょうか。

芸能職は人気商売で、人はいずれ飽きる動物であることから、一度ファンになってもらってもその熱が冷めてしまうことは避けられません。しかし、いずれ熱が冷めてしまうまでの時間を延ばすことは当人達の努力次第で多少はコントロールできるはずです。

つい先日、堀未央奈さんが乃木坂46を卒業することを発表されましたね。白石麻衣さんに続いて堀未央奈さんが卒業することになり僕も驚きましたが、「これからの乃木坂46は大丈夫なのかな」という心配する気持ちは起きませんでした。
なぜなら上記で述べたように乃木坂46には堅実性があり、僕はそれによって乃木坂46というグループそのものが好きだからです。

それにしても、この「乃木坂46の堅実性」がもし意図的に作り出させれたもので、その手段として「乃木坂46の流動性」が採用されたものであるならば、乃木坂46の運営陣の戦略には末恐ろしいものがあります。

AKB48は明らかに「前田ロス」が発生していたと思います。
もし乃木坂46の運営陣が意図的に「乃木坂46の堅実性」を生み出したのであれば、「前田ロス」からアイドルグループの運営方法をきちんと学習し、見事に結果に反映させています。
「AKB48と同じやり方ではいつか限界がくる」と予見し、同じ轍を踏まないように予め対策を講じたことになるわけです。

また、「乃木坂46の流動性」は各メンバーの努力を推進するという思わぬ効果を生んだと僕は考えています。

これは事実ではなく想定なのですが、AKB48には努力することに疲れてしまうメンバーがいたのではないでしょうか。

センターが固定的である以上、どれだけ努力してもセンターになれないと考えてしまうメンバーが出てきても不自然ではないと思います。
特に誰か心当たりがあるというわけではありません。AKB48のメンバーは誰もが努力していることは知っていますし、それを否定するつもりはありません。
人の心理として、そのような悲観的な思想をもってしまうことがあってもおかしくないということを述べています。

それに対して乃木坂46の場合は選抜メンバーが流動的であるが故に、センターになれる可能性が全員にあることは明らかです。であれば、センターになるためには・選抜に入るためにはどうすれば良いかを誰もが試行錯誤し、努力するようになる仕組み・雰囲気が組織内にあるのではないでしょうか。

齋藤飛鳥さんが例に挙げられますが、彼女は初期の頃はアンダーメンバーでした。しかし、自身のキャラクターや番組での立ち振る舞いを模索し徐々に頭角を現した結果、センターを複数回務め、今となっては乃木坂46の代表的な存在となっています。

恐らく「乃木坂46の流動性」は、単純にAKB48と違うということを顕著にするために生み出されたものだと思いますが、いずれにせよ乃木坂46は「AKB48との差別化」を大いに活用することで、これだけ強い組織になったのだと考えられます。


アイドルという枠に収まっていないから

乃木坂46のメンバーは、モデル・小説家・女優など、グループに所属しながらも多方面で活躍しています。

モデルの活躍における代表格と言えばやはり卒業生の白石麻衣さんですが、現在グループに所属するメンバーの何人かはファッション雑誌の専属モデルを務めています。
メンバーの個人写真集も数多く発売されており、アイドルと思えないような大胆な姿を見せつけています。

また、高山一実さんは「トラペジウム」という作品で小説家デビューしており、「アイドルが小説家!?」と驚かされました。

最も活躍が顕著なのは舞台やドラマ等、「芝居」に括られる分野でしょう。斎藤飛鳥さん・山下美月さん・梅澤美波さんが出演した「映像研には手を出すな!」や、生田絵梨花さんの「レ・ミゼラブル」のヒロイン役抜擢等が記憶に新しいですね。

では、なぜこのようにアイドル以外の活動もこなせているのでしょうか。

それはアイドルらしくない資質をもったメンバーが多いからだと思います。

もちろん、乃木坂46以外のアイドルグループ、それこそAKB48のメンバーもモデル等の仕事をこなせています。しかし、芝居においては乃木坂46のメンバーの方が明らかに上手です。

初期の頃から「プリンシパル」で芝居の下地を身につけていることが起因してか、舞台やドラマ等の芝居はアイドルであることを忘れさせるほどのクオリティになっていると思います。
下地のある芝居が出来なければ、ここまでアイドルグループの人間が芝居、特に舞台の現場に進出することはないでしょう。芸能界において芝居ができることはメリットでしかありません。

アイドルらしくないメンバーで僕が例に挙げたいのは生田絵梨花さんです。
彼女は、バナナマンの設楽統さんも述べている通り「怪物」なのです。
ピアノが弾けて、歌が上手くて、お芝居が出来て、容姿端麗で、ダンスが上手くて、絵が圧倒的に個性的で、リアクションが面白くてバラエティでも大活躍。つまりは芸能人として「天才」なのです。

あの白石麻衣さんも、元々アイドルというよりはモデルや女優の資質が色濃い人材ではないでしょうか。

このように乃木坂46にはアイドルらしくないメンバーが多くおり、それがむしろ乃木坂46の可能性を広げているのだと思います。

また、様々な分野に各メンバーが進出することで、色々な人が乃木坂46を知るきっかけが増えることになります。

例えば、本屋でふと「トラペジウム」という小説を手に取って購入した人が「え、作者は乃木坂46のメンバーなの!?」というような形で高山一実さんと乃木坂46を知るということは容易に想像出来ます。
舞台やドラマも然りで、何気なしに観賞した作品の役者を調べてみたら乃木坂46のメンバーだったということは往々にして考えられる話でしょう。
僕も同じような形で乃木坂46を知り、今ではこんな記事を書くまでにどハマりしてしまいました。

このように、アイドルという枠に収まらずに様々な分野に進出することは、乃木坂46への集客効果があります。そして「乃木坂46の堅実性」により、乃木坂46そのものを好きになる人が増えていくというわけです。

ちなみに、アイドルらしくないメンバーで僕が注目しているのは梅澤美波さんです。いよいよ彼女を推す理由を明かす時がきました。

梅澤美波さんのアイドルらしくない点とは、ずばり彼女の体型です。
身長171cmの高身長であり、その体型はアイドルの中ではかなり稀有な存在ですが、梅澤美波さんはその身長がコンプレックスと述べています。
コンプレックス故に、握手会ではヒールを履かずに脚を開いて少しでも身長を小さくしようとしたり、メンバーと横一列で並ぶ時は少し膝を曲げたりと苦労が絶えないようです。

外部から見ている人にとってその高身長は明らかに活かすべき個性であり武器です。

例えば、「映像研には手を出すな!」の金森さやかという役を梅澤美波さんが掴んだことが挙げられます。身長が高いというキャラクター設定があり、その役を演じる役者には高身長であることが絶対条件なのです。そして梅澤美波さんは、その絶対条件を満たして見事に役を得ているのです。このように、彼女のその高身長は明らかに武器なのです。

武器であるならばむしろ堂々とすべきだと思うのですが、彼女自身はその身長の活かし方を模索しているように思えます。

確かに、高身長の女性というだけで「可愛い女の子」というよりは「大人びた格好良い女性」というイメージがつきやすいでしょう。
そして大人びた格好良い女性がアイドルらしい振付をやると、途端に痛く見えてしまいます。

彼女自身、それを自覚しているが故にコンプレックスと述べているのでしょう。「本当の自分」と「他人が自分に抱くイメージ」に乖離があるようで、もがき苦しんでいるように見えます。

僕にはその姿が乃木坂46の在り方とシンクロしているように見えます。前々回の記事で書きましたが、恐らく乃木坂46ほど上記のような「実際」と「そのイメージ」の乖離に苦しまされたアイドルグループはないでしょう。

本当は芸能人としての実力はゼロなのに、「AKB48の公式ライバル」というコンセプトによって周りからは「AKB48と肩を並べる存在」と解釈され、結成初期の頃から明らかに実力以上の結果を求められてきたのです。

僕は乃木坂46というグループそのものが好きです。
だからこそ、乃木坂46の成り立ちを具現化しているとも言える梅澤美波さんを好み、推しているのです。

また、自身の体型がコンプレックスでその活かし方を模索し続けている様子は、自分の殻を破ろうと踠いている印象を受けます。たとえ痛く見えてしまっても一所懸命歌い踊るその姿に心から「頑張れ!」と思うのです。

それと同時に、もし梅澤美波さんがその高身長の活かし方を完全に会得した時、とてつもない何かが起こるんじゃないかと思うと期待せずにはいられません。

ただでさえ梅澤美波さんの同期である乃木坂46の3期生には、山下美月さんというアイドルになるために生まれてきたような人材がいるわけで、同じアイドル路線では山下美月さんには敵わないでしょう。

しかし、乃木坂46のメンバーは仲間であり、ライバルです。

お互いに切磋琢磨するためには、山下美月さんにないものを活かすしかありません。山下美月さんになくて、梅澤美波さんにあるもので最も顕著なのは明らかにその高身長であり、これを活かさない手はありません。

いつか自分の高身長を活かして、今よりもさらに堂々と立ち振る舞う日がくることを願い、応援し続けたいと思います。

そして、本当は握手会でヒールを履きたいのであれば、堂々と履いてほしいと思います。


まとめ

いかがでしたでしょうか?
僕が考察する乃木坂46が愛される理由、伝わったでしょうか?

AKB48が今直面している「テセウスの船問題」は、乃木坂46にも間近に迫っているものだと思います。
しかし、乃木坂46にとって「テセウスの船問題」は、事実としては問題であっても、実情としては問題ではないと思います。

何度も繰り返すように乃木坂46には流動性があり、乃木坂46は変わり続けるグループだからです。変わり続けることが当たり前のグループにとって、オリジナルでなくなっていくことはむしろ受け入れられることです。

乃木坂46は、変わらない「乃木坂46らしさ」を追求し続けることで、変わり続けていくのでしょう。そしてそれは、ファンに新しい魅力を提供し続けていくことでしょう。

新しい魅力を提供し続けるために、乃木坂46のメンバーは成長し続けます。

過酷な状況に必死に食らいつき、もがき苦しみながらも成長を続ける乃木坂46の姿を見ていると、奮い立たせられると同時に心のそこから「頑張れ!」と激励したくなります。

そして、心許なかったメンバーが成長してLIVEや歌番組で堂々とパフォーマンスしている姿を見ると「よく頑張ったね!」と称賛したくなります。

そうです、「変化による成長」こそが乃木坂46の最大の魅力なのです。

だからこそ、どうか、卒業していくメンバーを「なんで卒業するんだよ」と責めたり、卒業することを悲観したりしないでください。

乃木坂46のメンバーにとって変化は当然のことであり、変化して成長した結果、自分の新たな道を見出すことは自然な成り行きなのです。

以上、乃木坂46が愛される理由の個人的考察でした!!

この記事が参加している募集

#とは

57,836件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?