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自分語り①

こんにちは。
前の記事で自分語りするよと書いたのですが、語ります。なんとなく自分史を残しておきたいなって思って書こうと決めました。タダなので。そして書くことが好きで、自分の頭の整理整頓🚮にもなるので。私の学生時代の体験談は大人になって人に話すと結構ドン引きされるので、特殊な環境だったんだと後になって確信しました。

あわよくば誰かの役にたったり、楽しんでもらえたら嬉しいです。

いま調子悪いので正直気持ちと喉のあたりが詰まってて、ふわふわドキドキしていて、頭が動いていないので、この記事が誰のためになるのかは全然わかりませんが。

以下、長いです。すみません。

わたしは幼少期の体験のせいでうつ病になったんだろうなーとおもいます。鬱って一括りにしていいかわかりませんが、とりあえずこの生きづらさと苦しさと、頻繁に起こる訳の分からない脳みそのごちゃごちゃは学校での体験が影響してるんじゃないかなとほんとは確信してます。なので結構学校や幼少期の環境に対して割とまだ恨めしく思っています。

私は幼少中高一貫校の女子校に通っていました。ただ私の場合、幼稚園で試験に合格してしまったので幼稚園からそこに通いました。3歳とかで受験をしたので私自身は何も覚えてません。親に聞いてどんなことをしてどんなことを言ってのかくらいは知っています。

ただ、かなりの進学校だったので、結論から言うと通っていた15年間の中でいい思い出があまりありません。自己否定させられた記憶しかありません。

幼稚園のころから電車に乗って(親と)通園して、いわゆる『幼稚園での遊び』っていうものはせずに、『おしごと』とされるアクティビティのようなものをしていました。これは、モンテッソーリ教育というらしく、賢い子を育てるためのものらしいのですが(よく知りません)、わたしにはすごく合わなかったみたいです。

なぜなら、3.4才でしたが、みんなと同じようにちゃんとやらなきゃ!🤯と、結構追い詰められてた記憶があるからです。慌ててたときの光景も間違えて恥ずかしかったことも、泣くのを我慢してたのもよく覚えてます。

合う合わないがあるのでこの教育方針がほんとに良いのかは知りません。が、子供の頃はもう少し自由でも良いんじゃないかなとおもいます。自分の経験を通して。

でもとりあえず小学校3年生くらいまでは、多分それなりに子供らしく遊んでた気がします。変わったのは4年生の時で、担任の先生から『もっと勉強頑張らないと中学に上がれません。』と言われて、まずい!となりそこから必死で勉強の日々が始まりました。

全てはここから始まった_| ̄|○

ほんとに必死で、『できないかも』なんてことはあんまり考えていませんでした。今思えばこの頃はまだ挫折を知らなかった子供だったから、あんな風に純粋に、先のことを心配しないで頑張れたんだなとおもいます。いまはあんな風に手放しで頑張れません。

そしてちなみに私が通っていた学校では、『呼び出し』というシステムがありこれは、成績が悪い生徒が呼び出されて、親ふくめて三者面談させられるやつです。そこでこれでもかってくらい、他の生徒と比較されて、ダメ出しされます。わたしはこれの常連でした。👮‍♀️

でもこれ先生にそのつもりがなかったとしても、よく考えてみてくれと、今は言いたいです。生まれて10年も経ってないヒヨコみたいな状態の時に、先生に囲まれて親の前で、『ここがだめであれもだめで』って言われたら、剥き出しの内臓に針刺てくようなものだと思うんです。(少なくとも10才の私はまだ赤ちゃんみたいなものだった)

だって、それに対して反対する経験も知識も言葉も何もないんですから。そこにそうやって何度も小さい傷を受け続けて、知らないうちに流血してたんだとおもいます。

でもわたしその中でも負けずと頑張って、成績があがって嬉しかったんですが、中学に上がる時に大きなテストがあって、そこで苦手だった算数がダメだったらしく、中学進学前に過去最大レベルにでかい呼び出しを喰らいました。

それまで必死で頑張って、少しずつ成績が上がっていた時だったので、相当なショックで、一晩中泣きました。たぶんここで初めて心をポッキリ折られる挫折をしたのかもですが、とりあえず泣いてました。

で、結局、学校の教頭・校長と、両親、わたし、って感じのクライマックス級に超絶シリアスな面接をすることとなりました。

面接前に学校のしーんとしたホールで待っていたのですが、このときは、親の緊張も伝わってきて、苦しくて怖くて、ごめんなさいという気持ちで溢れてました。お父さんお母さんが大好きだからこそ、こんな点数とってごめんなさいと思って、息が苦しくなるほど、本当に申し訳なかったです。友達はこんなことになってないのに、わたしだけこんなで、悲しませてごめんなさいってずっと思っていました。

点数=自分の価値、になっていました。怖かった、とにかくなにもかもが怖かったです。

そして結局、なんと、面接の最中に作文用紙をもらい、何枚分かの『誓約書』を書いてと言われました。(ひえーーーーー)つまり、中学には行っていいけど、なんでダメだったのか自分で分析して今後どう頑張るのか説明して提出して、ってことです。そんなことしてまで行きたくなかった、けど選ぶことはできなかった。

あとついでに、運動部には入っちゃダメとも言われました(学業に専念しないとだめだから)。ほんとは運動部に入りたかったー。すきだったから。

それまで必死で頑張ってきた子供のわたしでしたが、あの空間の中を通して、あぁーわたしはダメな子なんだなぁという気持ちが、それまでも散々呼び出しを喰らって、おおきく育ってしまったその感情が、最終的にそんなかたちでトドメを刺されて、ここで何かがポッキリ折れた気がします。

(20年近くたってこんなに鮮明に思い出すってことはたぶんほんとにショックだったんだと思う。)

もちろん、こういう仕打ちに耐えられる子供もいると思います。でも私は無理でした。そんなに強くなかったですし怖かったし、不安で、悲しかったです。

で、家に帰って部屋で大泣きしながら鼻水垂らしながらしゃくり泣きしながら、誓約書書きました。親は優しかったです。励ましてくれました。

でも、たった12歳だとしても、自分でどうにかするしかありませんでした。結局。

学校にいくのは1人だし、乗り越えるのも1人なんだなって感覚でした。だから、最終的な闇は1人で抱えるしかなかったんだとおもいます。たぶん。あまり覚えていないけれど、とにかく私のうつ病は、掘り返せばそのあたりから、始まったんだと思います。

そんなこんなで中学に上がりますが、1日目からやめたくて仕方なかった〜。そう思った瞬間の景色や感情や教科書の絵柄までよく覚えています。

長くなりますが、書くことは好きだし、これまでたくさん面白い経験をしているので(たぶん。。)この後の話もマイペースに書き続けます(^ ^)

あと、いつか何らかの形で私の経験が誰かの助けになれば、それだけで生きてみるか、となるので〜

つづく



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