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独りを感じる
人には心があり、そのこころには気持ちと感情がある。人は、そのこころを感じ活きている。
それは、心の中にある”気持ち”が幸せを望ませるがため活きる理由となる。人は誰しも”幸せになりたい”と思っている。それが証である。
その思いは、気持ちからの感情を湧かし自身に知らせている。独りでは活きられないと。
例えば、心に病を持つ人がいる。
人の心は浮き沈みをする。”気持ちのままに”いられるときはどうでもないことが、一旦、沈み込んでしまうと感情に囚われ幸せを感じることができない。
それでも、気持ちは”幸せになりたい”と思わせ感情を湧かさせる。感情には癖があり思いのとおりできなければ感情が感情を湧かしてしまう。
その感情は次第に自身の気持ちを心の奥底に埋(うず)めてしまい感じられなくさせる。”幸せになりたい”をも見失わせ感情に苦しませる。
人は感情に苦しむと自身の気持ちを見つけることが難しくなる。それは、心を然程知らないから自身のこころに余裕を持たす術を持てない。
自分の心は自分が一番よく解っているというが、それは感情から湧いた感情が言わせている。本当はどうする術もなく、どうなるか判らないまま耐えきるしかないと。
そんな時、”独りを感じる”ことになる。
しかし、人は産まれたときから人に頼ることをしている。
赤ちゃんは独りでは活きられない状態で産まれるのは知ってのとおり。当たり前なことだが。その当たり前なことに親が支え育ててくれている。
事情により親に育てられない方もいるが、それでも独りで育ったはずがない。今の自分がいるのは必ず誰かが居たからに変わりはない。
その経験が、心の病になろうが、出来事で悩んでいようが、こころの中では人を忘れることがない。その忘れることがないには、独りでない”幸せ”を気持ちにしっかりと記憶している。
そんな記憶がすることは、気持ちから感情を湧かすことで「こころの手をのばす」。その手は決して長くはなく感情に埋め尽くされた心からは到底誰かに届かない。
それは、”独りを感じる”ことにもなるが、それが”独りではない”ことをも感じさせる術にもなっている。
人は感情を湧かし言動を起こすもの。その感情の感情のそのまた感情の中心には気持ちがあり、言動は必ず気持ちからの現れを含んでいる。
だから、自分と同じこころを持つ相手(ひと)は”気持ちの現れ”に気づき、心に埋もれたその手を掴み引き上げることをする。それが”独りではない”ことを知る。
人は独りでは活きられないには、自分の心の中に”幸せ”という記憶がある限り独りではないということ。
今は。
感情がそう思わせているだけ。
(心のカタチより)
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