『妊娠小説』という本を知り、『舞姫』を読み直したくなる、人生を狂わす三宅香帆の本
ここ数日、三宅香帆にハマっている。
Youtube動画に始まり、その著書にと。
よい書評は人を動かす。
気になる作家や批評家が書評を書いていると、つい読んでしまう。
そして、その本を読みたくなってしまう。
そういうこと、皆さんにも経験ありますよね?
三宅香帆が『人生を狂わす名著50』の中の1冊で『妊娠小説』斎藤美奈子:著、を取り上げていて日本に「妊娠小説」という伝統的ジャンルがあるらしいことを教えてくれた。それで森鷗外の『舞姫』を改めて読み直してみたいと思った。
三宅香帆は文芸評論家を名乗る。
30歳という若さで文芸評論家です、と自分をSelf-introductionする。
なかなか、そのような肩書を付けられる勇気のある人はいない。
ちなみにAI検索エンジンで日本の文芸評論家をリストアップしてもらうと…。以下のような方々がリストアップされた。
日本の文芸評論家一覧
歴史的な文芸評論家(†印は故人)
小林秀雄†: 日本の近代文芸評論の先駆者であり、鋭い批評眼で知られる。
中村光夫†: 戦後日本の文学を代表する評論家の一人。
江藤淳†: 文芸評論だけでなく、政治評論や歴史評論でも活躍。
吉本隆明†: 文芸評論家、戦後日本の思想界に大きな影響を与えた。
現代の文芸評論家
三宅香帆: 現代のコンテンツ受容と教養の変質について深く考察。30歳
加藤典洋†: 戦後日本の文学と社会を深く掘り下げた評論家。
小川榮太郎: 現役作家の作品を厳正に評価することで知られる。61歳
その他の著名な文芸評論家
斎藤美奈子: 文芸評論家として、特に女性文学やジェンダー問題に関する評論で知られる。67歳
蓮實重彦: 映画評論家としても著名で、文学と映画の両方で活躍。88歳
柄谷行人: 文学だけでなく、哲学や社会学の視点からも評論を行う。83歳
特定のジャンルに特化した評論家
海老原豊: SF評論で知られる。42歳
江藤文夫†: 映像評論、思想評論、文化評論、映画評論など多岐にわたる評論活動を行う。
上にリストアップされた評論家のうち6人は既に故人で、6人は現役ではあるがすでに60歳を超えた方々が4名、40代が1名、30代が1名。と文芸評論家としてはダントツに若い、若手で気鋭の文芸評論家である。
もちろん他にも多くの文芸評論家はいる。上のリストは現時点でのサイト情報を参照するAI検索エンジンによるリストアップなので、多くの参照サイト情報から抽出された著名な文芸評論家リストだ。
多くのサイトで取り上げられているなり、評価されているなりのAIの何らかのロジックによって「著名」な人と判断されリストアップされる文芸評論家の1人である。
小林秀雄、中村光夫、江藤淳、吉本隆明、加藤典洋といった方々は著名で多くの方の知るところだろうし、今も健在な蓮實重彦、柄谷行人といった方々も80年代以降の彼らの仕事を知る人だったらビッグネームと納得する突出した文芸評論家の方々だ。
三宅香帆は2024年現在、30歳にしてこれまでに13冊の著書がある。この刊行ペースの早さにも驚く。『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』 (2018年)が今の時代にあって新書で15万部を超えるヒットとなり、この本のプロフィールからは文芸評論家を名乗っている。
昨日、書店で『人生を狂わす名著50』 (2017年)があったので思わず買って読んだ。まだ京大の大学院生時代、天狼院京都書店のバイトスタッフ時代に天狼院のブログに書いた記事がバズり、そのきっかけで本になった処女作だ。
濃密な本への偏愛ぶりが心地よいこの本の中で50冊の本がリストアップされていて選書の幅広さと深い洞察、センスよく唸らされる引用箇所。さらには「人生を狂わすこの一言」と題された、選書した本の中の「もっとも狂わされたフレーズ」のピックアップに至るまで素晴らしくて心地よい。
文芸評論という分野では、小林秀雄の『無常といふこと』を高校の国語の教科書で初めて読んだとき、衝撃を受けた。こんな文章を、こんな書き方できる人がいるんだ!と、言葉をまるで知らないくせに頭でっかちな子どもだった私は驚いて小林秀雄本を買い漁って以来、文芸評論の本で面白いと思える著者に久々に出会った気がする。小林秀雄以来の衝撃ということで言えば、日本の文芸評論という生業をする人たちで彼に影響を受けなかった人はまずいなかっただろうし、小林秀雄を批判して、いかに新しい文芸批評を切り開くか?という感じで、たくさんの追随者を生み出し日本の文芸評論の礎を作った人に比して、三宅香帆?と言う方もたくさんいるかも知れないけれども。
小林秀雄は難しい事を難しく語る達人だった。
他方、三宅香帆は、古典文学から現代のポップカルチャーの極である推しのアイドル文化やハリウッド映画、少女漫画に少年漫画、アニメなど多ジャンルを軽やかに横断しながら同時代の文脈で並列に等価に考察していく。ジャンルにこだわりがないのは全て彼女が推したい愛すべきもの達だからだ。
だから語れば引かれそうな本格評論っぽい話と、カフェで女友達と思わずきゃっきゃっとしてしまう漫画談義との、一見混在できなさそうな二つが分断されずにしなやかでカジュアルなことばの縄ばしごによって向こう岸へと渡されていく。
そうして読者を置いてけぼりにせずに見知らぬ向こうの難解だと思い込んでいた地の、見晴らしのいい場所まで運んでいくことばを紡げる達人である。
そんな彼女の『人生を狂わす名著50』で妊娠小説という言葉を知った。
と、《人生を狂わせるこの一言》として上の箇所が引用されている。
なるほど、このように書かれてあって「妊娠小説」というものの姿が、ほの見えてくる。
そして、上の斎藤美奈子の本の中からの引用を提示する。
斎藤美奈子は、児童書の編集者を経て、1994年に『妊娠小説』でデビューする。その後、2002年に『文章読本さん江』で第1回小林秀雄賞を受賞し、文芸評論家としての地位を確立した女性文芸評論家でありフェミニズム系の評論家でもある。なので三宅香帆からすれば女性文芸評論家の大先輩になる方、その方の処女作によって目が開かれた瞬間の、その再編の感覚にふれた驚きを持ってこの書評を終えている。
なるほど「妊娠小説」という言葉の発見から生まれる編集軸で持って小説を読み直すと、先に挙げられていたような小説群があたかも初めから「妊娠小説」として書かれたかのように見えてきてしまう。
小説群を妊娠というキーワードでリカテゴライズすると、今まで関係性など感じなかった個別の小説群が再編されて「妊娠小説」ジャンルとして見えてくる世界の面白さ。
そんなことで『舞姫』を、あらためて読み直してみたいと思った。
男が女から「赤ちゃんができたの・・・・・」という告白を受け、どうたじろぐのか?というエピソードが小説の中で、どう描かれ、どう作用するのか、また、日本の文学界は、このモチーフをなぜ描き続けるのだろう?
という女性目線の素朴な疑問から始まった、この「問い」は「妊娠小説」という4文字のコンセプトワードを手に入れて多くの人に伝わるものとなる。
きわめてすぐれた編集的な、言葉の発見が、私達の観念世界や概念をぐるりと変えて、違った見え方になる瞬間の「驚き」と、その言葉に遭遇してしまった「喜び」というものを、この短い書評は見事に描き出していた。
自分も仕事で「言葉がみつからない」言葉探しを、いつもしている。
何か言葉が足りない、言いえていない、その居心地の悪さと、喉に刺さった魚の骨が取れない感覚。そこにピカッと突然日の光が射し、霧が晴れ、昨日と同じ世界を見ているのに、全く違った世界に見える瞬間が訪れることが、ごくごくたまにある、その時の言葉の発見の驚きと喜び。
私達は言葉を求めている、いや探している。自分探しも、ひとつの言葉探しのバリエーションだろうし、言葉と言葉の隙間や、言葉の裏側を探ったりして、人との関係を測ろうとしたり。言葉は世界を理解していくための枠組みとして働く、が、枠組みとしての言葉にばかり囲まれていると息苦しくなってくる、そこに風穴を開けてくれるのも、やはり言葉だ。
「妊娠小説」という言葉の発見は、斎藤美奈子を文芸評論家にし、三宅香帆が文芸評論家になる前の、まだ愛書家時代の「公開ラブレター」であったこの本で、その言葉との出会いを嬉々として告白させるほどに人を動かす。
こうして言葉は人をすくい、目を開かせてくれる。何よりこんなにも言葉知らずな私にすら「妊娠小説」という言葉に出会った瞬間、なるほど!そうか!という目から鱗と腹落ちを与え、思わずこんなnoteを書かせる始末だ。
言葉によって、まだまだ世界は新しく編むことができる。三宅香帆の一連の本は、そのことを今風の読みやすい言葉で伝えてくれる。
今を生きる人を、そのような言葉の世界へいざなってくれる。こうして良き本を通して、言葉は伝播し、また次の次代へと引き継がれていくのだと思うと、なんだか嬉しい。本を愛した人の言葉は、歳月を経てもなお、本を好きな人の下に届いていく。
本という器は、そういう時空を超えた発見を今にも伝えるタイムカプセルであると思う。
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