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思うこと、言うこと、行動すること。
この歳になって、初めてぼんやりと分かったこと。
「経験」とは、タイトルに書いたこと、全部が一致した上で、全てが為されて初めて、それをしたと言えるのではないかと。
それら全てをしてみて、初めて分かること。それら全てが揃わないと、感じられない世界というのはあるのではないかと思う事が、最近になってとても増えているからだ。
分かったつもりになって、したり顔で「経験した」つもりになっていた事が、どれだけ
自分を大切にすることとは。
私は今でもまだ、うまく出来ていないけれど。
2つか前に書いた、「躊躇う事なく自暴自棄になる」こととも似ているかも。
自分を大切にすること、それはまず、「自分が、(自分を)大切にしたい時に、大切にする」事が最初にあるからこそ、なのかなぁと。
私は無意識に、ともすると誰かの目や、意見に左右されている事が多くて。
それを意識することから、人を、コントロールしない事へも繋がっていくのかなぁと。
長いスパンと短いそれと。
ふと。
人生は、長いようで、短い。
長いスパンで見るか、短いスパンで見るか。
どちらにしても、時間を意識して過ごして来なかった、いや、時間とうまく付き合ってきた自覚が今まで無かった私にとっては、その付き合い方をそろそろ考えた方が良い時期に来たのだと。
ただ、長いスパンで見るならば時間は短く、短いスパンで見るならば、時間は余裕を持って。
とにかく時間は「ある」ものであって、それは意識するためにあると
躊躇いなく自暴自棄になること。
先日の記事でも書いた、私が多大なる影響を受けている尊敬する人。
この人を見ていて、私が(勝手に)凄いなと思ったこと。
タイトルの通りなのだが、この人は、躊躇う事なく、人の目など気にせず自暴自棄になれる人なのではないかと。
他の人は分からないけれど、これ、私にはなかなか難しいこと。
なにをするにも、中途半端に人の目が気になるので、自暴自棄も、発散するにしてもたぶん、中途半端に中途半端。
自暴自棄だけ
飽くまで「自分の、感じ方」次第。
ほとんど備忘録なのだが。
私が不快になったり、怒ったり、悲しくなったり、反射的に取り込んでしまう負と呼ばれている感情は。
人によってもたらされているとしていたが、フと、全ては、タイトルの通り「自分の感じ方」なのではないかと。というか、そうであるとしてみた。
そうしたら、一旦、全ての自分に湧き起こった感情は、自分の責任となり。
結果的に、納得感として、自分の中に落ちて来た。
結果、たくさんの
症状があってはイカン、のではなく。
これに関しても。
一時が万事、私は、「こうであってはならない」の思考が、つきまとっているのだなと思う。
確かに症状が出た時は辛い。が、それも自分の事実であり、それにいい、悪いの価値観を付加する必要は無いのだろう。
やれること、やりたいと思ったことをやる。と決めたのだ。
首から上、心と感情、そしてお腹。
何の事かとお思いだろう。
私という身体を生きている以上、訪れる月1の身体の行事。
その前段階に当たる時期に差し掛かると、いつも私に大体不可避なのが、頭の膨張感。
これがやって来ると、意識という意識が、どんどんその拡張する膨張感にとって変わられ、その感覚は外へと向かい、対人関係に少なからずあまり嬉しくない影響を及ぼす。
そこで、考えた。
物理的に、首から上、心と感情、そのふたつの力を、緩め
頭と心とカラダの一致。
ここは久し振りに辿り着いた境地かも知れない。
ここのところの(絶)不調の原因を、どんなに考えたり行動を変えたり探してみても見つからなかったものが。
ふと、「(脂肪)分解しないと、身体持たないって、心の中が言ってるんで」と言うのが浮かんで来たのである。
何故だか、その時の私には、とてもしっくり筋の通る言葉だった。
その後、数通りの軽い、自分にとって分解となる、と思うところの筋トレ、ストレッチを