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愛したいけど、愛せない理由とは


おはようございます!
心教育研究家のかなえです。

夏 真っ盛りという暑さですが、お変りないですか?
久々に文章を綴りたいと思い立ち、noteに筆をとっております笑

突然ですが、
『愛したいけれど、愛せない』
何か気になる。実は誰もが一度は悩んだことがあるテーマではないかと思い、今回は考えてみたい。


愛したいけど、愛せない

心の奥底から相手を愛したいけど、愛せない。
受け入れたいけれど、受け入れられない。

そんな自分は、人間性がおかしいのではないか、 自分を責める。
相手のことを責めたり、はたまた環境や時代のせいする。

倫理道徳の世界では、
「自分も他者も愛しなさい、受け入れなさい」という。

でも、それが一筋縄ではいかない・・難しいことだと
誰もがわかり、内心は心の葛藤したり、諦めたりしている。
私はそうだった。

教員時代
「仲良くしなさい」と指導してきたけど
大人の押し付けにすぎない・・大人だって難しい時がある・・
葛藤があったけど、先生のフリ・演技をしていたと、今は思う。

相対世界は、矛盾だらけだ。
必死に、“ねばならない”を全うしようとしている。

愛することができない人間の涙

「人間は、愛することができない」
ハッキリと断言してくれたのが、21世紀の悟り人 令和哲学者ノジェス氏だった。

これを聞いた時に衝撃よりも、ホッとした。
みんなVRのヘッドセットをかけていて、その観点ですべてと出会っている。
例えるならば、人間は繭のなかのサナギ状態だという。

詳しくは、ノジェス著「心感覚~正しい絶望からはじまる究極の希望」をご覧いただきたい(読書会を主催しているのでご一緒したい笑)

繭のなかのサナギ状態の人間は、
一度も誰とも出会ったことがない。出会っても出会ってない。
愛したくても愛せないのは、当然なのである。

真実の出会いのはじまり

以前、ノジェス氏に質問したことがある。
かなえ「では、本当の出会いとは何なのですか?」
ノジェス「かなえちゃん、それは自分から出て、出会うことだよ」と。

数年前に聴いた時は、
理解が追い付かなかったのが正直なところだった。
けれど、ノジェス氏の深いエネルギーに引き込まれたことは、今も鮮明に覚えている。

そして、今
自分から出ないかぎりは、誰とも出会えない。
愛せないことの意味と価値が、相当に深まっている。

人間は、1分1秒 誰とも同じ画面をみていない。
問題意識が深まれば、深まるほど・・真実の出会いの価値を実感できる。

愛せないことを理解した所から、本当の愛がはじまるのだ。

私は、愛したいけど、愛せないと葛藤し、倫理道徳的な観念につかまれいた。でも、今は愛ができるんだ!と可能性と希望と、チャレンジ精神に溢れている。

愛のゲームができる人間はじめる

時に心が脳に負け、愛せない・・となっても自己否定や他者否定に溺れ続ける必要はない。仲間たちにアウトプットしながら歩めるし、そしてまた愛ができるアイデンティティが進化、成長できる。
愛はいくらでも拡張できるのだ。

愛せない自分を責めるはない。
愛のゲームができる新しい人間を、アイデンティティを共に育てていきたい。

一歩一歩。
共に、愛のゲームを、心の海を拡げていこう。

先日、ノジェス氏がTwitterで開催している「ノジェス水曜日」で、“人は人を愛せるのか”をテーマに語っていた。是非とも、直接お聞きいただけたら嬉しいです。

では、本日も読んでくださり、本当にありがとうございました。
暑い時期なので、どうぞご自愛ください。




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